偏平足

里山の石神・石仏探訪

里山の石神端書299 石垣(山梨県上野原市秋山)

2024年06月21日 | 里山石神端書

上野原市秋山桜井・諏訪神社の石垣

 鎌倉時代に鎌倉街道の裏街道が通っていたという秋山。桜井集落の諏訪神社境内の石垣に、年号や寄進者銘のある石が使われているのを見ました。


 この石は石造物の礎石か、仏菩薩の台座だったものか、元はどの様な石造物だったかはわかりません。それにしても年号や寄進者銘を隠そうともしないで石垣に転用したのは、何かの理輔があってのことなのでしょう。

 戦国期には城の構築時に、不足の石として信仰対象の仏菩薩や墓石などの石造物が転用されたという話はよく聞きます。
 大久保修氏は『日本の石仏』167(注)で、城の石垣に転用された石造物を報告しています。そのなかで、転用された時期は戦国期が多く、その背景として、急な築城や領主の移動や滅亡によって見捨てられた墓地が多いことを指摘しています。転用された石造物として五輪塔、石仏、宝篋印塔、礎石などを挙げています。
 大久保氏が調査したほとんどは畿内と中国・四国の城で、これらの地方では中世から石造物が盛んに造立されたことがわかります。
(注)大久保修著「城の石垣に転用された石造物」2019年、日本石仏協会『日本の石仏』167
(地図は国土地理院ホームページより)


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 里山の石神端書298 心印塔(... | トップ | 里山の石神端書300 道標(山... »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。