偏平足

里山の石神・石仏探訪

石仏235意波羅山(埼玉)

2010年01月11日 | 登山

意波羅山(いばらさん) 意波羅大権現(いばらだいごんげん)

235  【データ】意波羅山 450メートル▼25000地図 三峰(地図に山名無し。ピークも無し)▼最寄駅 秩父鉄道・三峰口駅▼登山口 埼玉県秩父市大滝の落合集落にある普寛神社▼石仏 意波羅山三山宮境内

23512352  【案内】意波羅山という山はない。ただ意波羅山という木曽御嶽山を開いた普寛行者にかかわる場所が、落合の普寛神社の裏山・秩父御岳山のふもとにある。神社からそこへ行く道も細々と続いている。落合は普寛行者の故郷で、生まれた場所に建つのが普寛神社。木曽御嶽を開いた後に普寛は、自分が開いた山を御嶽に勧請して御嶽五神とした。いわゆる御嶽山座王大権現・八海山大頭羅神王・武尊山大権現・意波羅山大権現・阿留摩耶天宮である(生駒勘七著『御嶽の信仰と登山の歴史』昭和63年、第一法規)。これは後に御嶽山・八海山・三笠山の三座神になっていくが、同書では意波羅山は阿留摩耶天宮ともに三笠山に祀られたとしている。しかし御嶽五神の神々は御嶽信仰に引き継がれたとみえて、意波羅山や阿留摩耶天宮も石造物として御嶽信仰を勧請した山にときどき見2353 ることになる。落合の意波羅山はその五神の一つ、普寛にとっても御嶽信仰にとっても重要な場所である。境内の石灯籠に「意和羅山」の名称がある。そこに刻まれた「寛政十年戊午」の銘は普寛が御嶽山の王滝口を開いた6年後になる。なお御嶽五神について菅原寿清著『木曽御嶽信仰』(2002年、岩田書院)では、阿留摩耶天宮にかえて三笠山(群馬県西上州の諏訪山1549メートル)を入れている。写真下は普寛神社の墓地に座す普寛像。

23542355_2  【独り言】山の中腹に社殿がある意波羅山へは、民家の庭や畑や杉林のなかの細い道を拾いながら登ります。たどり着いた狭い境内は、御嶽信仰に特有の石造物もなく、展望もなく、淋しいところでした。普寛神社にあった案内では「意和羅山」、意波羅山の鳥居には「意波羅山」、境内の石灯籠には「意和羅山」また「伊波羅山」「伊和羅山」などと書かれることもあって、銘がバラバラなのも淋しいかぎりです。社殿の東側は地獄谷という谷で「危険」の立て札があって立ち入り禁止の感じ。その奥の岩壁にポッカり空いた岩屋2356 2357 が見えました。それこそ普寛行者が修業をした岩屋に違いありません。谷に下りて岩屋に登ってみました。岩屋の下の3メートルほどの岩がちょっと厳しいですが、もし普寛がここで修業をしたとすれば梯子でもかけていたのでしょう。内部は雨露も防げるし、寝起きするスペースもあり、展望もある理想的な岩屋でした。そこには普寛神社の木札や陶器皿などがあって、近年神事をした者がいたような跡もありました。それからご忠告ですが、岩登りの経験のない人がこの岩屋に登るのは危険です。

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