やってみたい好奇心は衰えず

すぐに忘れるので書けるだけ書くことにした。

Farewell Party

2008年11月23日 | 日記

昨日、京都で送別会があった。
送ったのは、僕の人生に大きな影響を及ぼした3人(正確には3組と言った方が良いだろう)の内のお一人である。

ジムは、ハーバード大学出の変わり者。
学歴を使った高収入サラリーマンの道は選ばず、
(アメリカはサラリーマンでもスゴイ収入)
自分だけのビジネスを持ち、好きな物を食べ、好きな所に住み、
好きな仲間と遊ぶ人生を選んだセレブな自由人である。

ジムには同居人が居た。

ジムが選んだ最高の人生のパートナーは久米さん。
二人はゲイでもなんでもないが、男同士2人でケンカしながら仲良く暮らし、
1年に何回も海外旅行に行っていた。

久米さんは、デザイナーの変わり者と言ったら怒られるだろうが、文化に長けた人。
絵画、デッサン、彫刻、遺跡、映画、オペラ、料理、写真、・・・と挙げるとキリがない。
たくさんのことに興味を持ち、趣味にしている人だった。

影響を及ぼした1組とは、久米さんとジムの2人のことだ。

その久米さんが今年亡くなられた。
71歳だった。
僕にとっては、あまりにも早い!

知らせを受けた時のショックは、今も言葉に表わせない。



そんな彼らと出会った時、僕はまだ大学生だった。
大学院に行ってからは、さらに親しくお二人に付き合っていただいた。

セレブ自由人2人の影響はスゴイものだった。
行った事の無いような店にばかり連れて行ってくれた。
ちょっと寄ろうかと言った、おでん屋さんでも1人5千円以上かかるような店、
魚料理は京都No.1の魚晋、
ステーキも祇園の一流どころ、
滋賀県八日市の招福楼などは、一見(いちげん)では絶対行けない、ちゃんとした紹介者が必要な料亭だった。
庭園が素晴らしく、料理も素晴らしかった。
成功者でも何でもなかった僕は、ただただビビっていた。
ちらっとおしながきを見ると、当時、昼食35,000円より
とあった。

そんな2人が付き合ってくれたお陰で、毎日毎日、実験ばっかりの
楽しくない大学院もそれなりに楽しかったのを覚えている。

大学院を出たら、企業に就職してエンジニアになるのを決めていたが、2人の暮らしぶりを見て、「僕の人生の選択はこれで良いのだろうか?」という疑問も感じることが多かった。
専攻を決めた僕には、エンジニアしかできないし、他に手段が思いつかない。
とりあえず某財閥系のそこそこ優良企業に就職を決めた。


とりあえず

この言葉、今は好きじゃない。
その瞬間は楽だが、後で変えるのが大変だからである。


僕の場合も多分に漏れず、一旦就職してしまったら、何も考えられず、自由も奪われ、京都のことはどんどん忘れていった。

そんな中、僕にも転機が訪れた。


32歳の時だったが、自分自身のビジネスを持てる話がやってきた。
とっさに2人のことを思い出して、相談した。
ジムは、そのビジネスはBIG BUSINESS!と言ってくれた。
頑張るとすごいことになると2人とも応援してくれた。


さらにラッキーなことに今の仕事を続けながら始められる、
いわゆるセカンドビジネス、サイドビジネスのスタイルのものだったので、
僕の未来への気持ちはどんどん明るくなっていったことを覚えている。


その時の残業時間は最低で200時間、最高で250時間。
月に400時間も働くサラリーマンだったので、全く自由というものがなかった。
そこまでやっていたので、逆に「自分自身のビジネスを持とう!」の提案は、飛びつくぐらい正直うれしかった。


そのチャンスのお陰で、今、曜日感覚の無い生活が成り立っている。
まさに久米さんとジムが見せてくれた、あの生活である。

友人も多いので、本当に楽しい。


あの時、久米さんに会わなかったら、

そんな仮定は成り立たないが、本当に感謝である。


ジムは久米さんがな亡くなったことでのショックは尋常ではない。
日本のマンションは全て処分し、ジムは来月の初めにバンコクに移り住む。
新築のマンションの写真を見せてもらったが、すごすぎる!

超高級マンションの上層階
やはりジムである。


いつお呼びがかかるかな?

お呼びがかからなくても行くんだけど。。。


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