介護福祉は現場から 2007.02.22-2011.01.25

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厚生労働省のゆくえ

2008-02-09 06:59:36 | 政治社会
【太平洋戦争と厚生省】
厚生労働省の前身である「厚生省」は、昭和13年に設置された。
太平洋戦争は、1941年から1945年まで。
野口悠紀雄の「1940年体制」の説くところによっても、
戦時体制は、1940年ごろに確立し、戦争が終わってからも生き残った。

厚生省は、直接には、徴兵に当たって、国民の栄養状態が悪いということがきっかけだった。「厚生年金」(正確には「厚生年金保険」)は、1942年に創設された。

【厚生省の前身は内務省社会局】
厚生省の前身は、1919年内務省に設置された社会局。
この前年、富山県魚津の漁村の主婦から起きた米騒動が全国に波及し、軍隊が鎮圧に努めた。ときの寺内内閣が辞職。
*今の魚津市の海岸に、記念の碑がたっている。

さらに、その内務省。明治のはじめに設置。薩摩の大久保利通がしきっていた。
「内政関係者名簿」(最終版が2007年11月にでている)には、明治9年に最初の採用者が掲載されている。
昭和22年までは、厚生省独自の採用はなく、内務省採用者から分配された。

【労働省の分離】
戦争の後、一時期、社会党片山内閣の公約によって、1947年、厚生省から労働省が分離した。労働組合の設置など、戦後の民主化の一翼を担う政策が遂行された。

労働省の初代官房総務課長斉藤邦吉(のちの労働次官)から、「労働省が厚生省から分かれる日、汚れた机や椅子は労働省が引き取らせられた、その恨みは忘れないぞと、労働省分離組みは誓った。・・」とは、私が、たまたま、厚生省官房総務課の課長補佐のとき、課長室へみえた斉藤さん(当時は、衆議院議員)から聞いた話。

労働省としての人事採用は、昭和21年から始まっている。

【環境庁の独立】
公害国会といわれた1970年の法律で厚生省から環境庁が独立。1971年から環境庁が発足した。この頃、私は、たまたま、官房総務課の係長をしていて、厚生省から環境庁を分離する法律案の起案をした。当時の佐藤総理の英断と聞いた。

その後、2001年、環境省へと昇格。
ながい間、環境次官は、厚生省と大蔵省(現:財務省)が交代でわけあっている。

【厚生労働省】
2001年から、厚生省と労働省が合併して厚生労働省ができた。
過去の経緯を考えても、この省の名前は不思議だし、食品・医薬品・公衆衛生(インフルエンザ)・医療・年金・労働と間口が広い。
外国の例でも、これだけのことを広く1省でやっている例はない。

私は、若い頃、環境政策に関心があり、1965年、当時の厚生省に入ったが目の前で環境庁が分離したのをみて「役所の機構は時代とともに変わる」ことを実感した。
*その後、老人福祉の仕事を最後に、1984年、自己都合で辞めた。

内務省→厚生省→厚生労働省
とその変動の後を追うと、大きな社会変化とともに組織の改革があったことがわかる。
コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

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予算の割合 (岩清水)
2008-02-09 16:26:02
厚生労働省の歴史については、名称の変更程度の知識しかありません。今は、巨大は省ですが、国家予算に対する省予算は、どのように変遷してきているのでしょうか。かっては今に比べて相対的に低かったとは思いますが。
社会保障費の増大は大きい (bonn1979)
2008-02-11 14:22:58
(休日で)
手元に資料はないのですが

ご指摘のとおり

昔は
建設省(公共事業)と
自治省(地方交付税)が大きな予算を持っていた。

私が
入った昭和40年ごろには
すでに
厚生省予算が予算の18%だかを占めて
一番大きかったのでは?
(国民健康保険の国庫負担
 最近では、基礎年金、生活保護の方も)


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