このブログでも折に触れて紹介していますが、私が毎朝自宅で読む新聞は、地元紙の「南日本新聞」と「日本経済新聞」の2つです。
全国紙として有名な、P紙、Q紙、R紙の三大紙は読んでいません。
大きな記事は、「研究のための覚書。」や「遥香の日記」で落ちがないので心配はいりません。
P紙やQ紙には、文芸欄などで優れた記事が載ることがあるのですが、そういう際には「岩清水日記」が記事にされています・・
【記者クラブ】
日本のメディアの保守性というか問題点は、しばしば指摘されるように、「記者クラブ」の問題に象徴的ですね。
どの役所も、記者クラブには、大臣室と同じか近い階を充てていると思います。
いつか、新しいビルを建てて引っ越すときに、大臣室のある階と同じではないというので騒ぎになったこともあったとか。
県庁なども、私の見聞では、記者室は、知事室と同じ階にあるのでは?
私が公務員だったのは20年以上も前の話なので、いまは事情が違うと思いますが、記者クラブは限定会員制で、記者発表のときには関係者以外、「会員」以外の記者は入れない。ここで役所から発表される資料は、担当者からレクチャーを受ける。「しばり」といって、記事にする時間を協定していて、各社同じ日の新聞に掲載されます。
ですから、統計や白書といったものの記事は、どの新聞も大同小異になってしまいますね。
記者クラブでは、お茶を入れたりする係りを役所側が提供したりしていました。昔話では、夕方、役所の幹部の部屋で冷えたビールを要求する有名記者もいましたね。
およそ、取材する側が、情報提供者から便宜を受けていて公平な記事、あるいは批判的な記事は書けませんね。
たしか、欧米では「記者クラブ」はありますが、担当する役所の建物の中に部屋があるということはないのでは?ドイツでは、大きなプレスセンターが独立にあって、役所側が、そこに行って発表していましたね。
【記者のプライドは高いが・・】
新聞、そして今日ではテレビ。国民生活への影響は大きいですね。
テレビのことはあまり知らないのですが、私が若いときに仕事などを通じて知り合ったり、観察することのできた新聞記者の数は相当数にのぼります。
もちろん、若くして退職していますから、私が知っていた記者はまだ若い人たちです。いまでも、親しくしている方がいますし、尊敬に値する方も多いです。
ですが、一般的にいって、
・あまり専門的なことは勉強していない(3年ぐらいで部署がかわるから)
・各地域の情報にも乏しい(やはり3年ぐらいで支局を転勤するから)
・プライドは高い(入社の競争率は高いから)
・自分の意見はない(「社説」ですら、署名はない。Q紙は、記事に署名のあるものが増えてきたようですが)
【部数の多いことの危険性】
アメリカやヨーロッパには、日本のような部数の多い新聞はないです。
日本の場合、部数が多くなる結果、いろんな意見をあいまいにのせるという宿命もあり、また、太平洋戦争のときがそうであったように、むしろ政治の世界を超えて「時代を煽る」ということがありますね。
【欧米の新聞】
最近は、インターネットの発達で、世界各国の新聞のオンラインを無料で読むことができます。
そこで、いつも感心するのは、署名入りの記事がアップされて、読者からのコメントがアップされることです。コメントには、無記名のものもありますが、記名のものも多いです。
日本の新聞のオンラインには、そういうシステムはないのでは?
【ブログを読む】
日本のブログには、実名が書いてないものも多いですが、三大紙を読むよりは、それぞれの分野の専門のブログを読んだ方が良く分かることが多いですね。
全国紙として有名な、P紙、Q紙、R紙の三大紙は読んでいません。
大きな記事は、「研究のための覚書。」や「遥香の日記」で落ちがないので心配はいりません。
P紙やQ紙には、文芸欄などで優れた記事が載ることがあるのですが、そういう際には「岩清水日記」が記事にされています・・
【記者クラブ】
日本のメディアの保守性というか問題点は、しばしば指摘されるように、「記者クラブ」の問題に象徴的ですね。
どの役所も、記者クラブには、大臣室と同じか近い階を充てていると思います。
いつか、新しいビルを建てて引っ越すときに、大臣室のある階と同じではないというので騒ぎになったこともあったとか。
県庁なども、私の見聞では、記者室は、知事室と同じ階にあるのでは?
私が公務員だったのは20年以上も前の話なので、いまは事情が違うと思いますが、記者クラブは限定会員制で、記者発表のときには関係者以外、「会員」以外の記者は入れない。ここで役所から発表される資料は、担当者からレクチャーを受ける。「しばり」といって、記事にする時間を協定していて、各社同じ日の新聞に掲載されます。
ですから、統計や白書といったものの記事は、どの新聞も大同小異になってしまいますね。
記者クラブでは、お茶を入れたりする係りを役所側が提供したりしていました。昔話では、夕方、役所の幹部の部屋で冷えたビールを要求する有名記者もいましたね。
およそ、取材する側が、情報提供者から便宜を受けていて公平な記事、あるいは批判的な記事は書けませんね。
たしか、欧米では「記者クラブ」はありますが、担当する役所の建物の中に部屋があるということはないのでは?ドイツでは、大きなプレスセンターが独立にあって、役所側が、そこに行って発表していましたね。
【記者のプライドは高いが・・】
新聞、そして今日ではテレビ。国民生活への影響は大きいですね。
テレビのことはあまり知らないのですが、私が若いときに仕事などを通じて知り合ったり、観察することのできた新聞記者の数は相当数にのぼります。
もちろん、若くして退職していますから、私が知っていた記者はまだ若い人たちです。いまでも、親しくしている方がいますし、尊敬に値する方も多いです。
ですが、一般的にいって、
・あまり専門的なことは勉強していない(3年ぐらいで部署がかわるから)
・各地域の情報にも乏しい(やはり3年ぐらいで支局を転勤するから)
・プライドは高い(入社の競争率は高いから)
・自分の意見はない(「社説」ですら、署名はない。Q紙は、記事に署名のあるものが増えてきたようですが)
【部数の多いことの危険性】
アメリカやヨーロッパには、日本のような部数の多い新聞はないです。
日本の場合、部数が多くなる結果、いろんな意見をあいまいにのせるという宿命もあり、また、太平洋戦争のときがそうであったように、むしろ政治の世界を超えて「時代を煽る」ということがありますね。
【欧米の新聞】
最近は、インターネットの発達で、世界各国の新聞のオンラインを無料で読むことができます。
そこで、いつも感心するのは、署名入りの記事がアップされて、読者からのコメントがアップされることです。コメントには、無記名のものもありますが、記名のものも多いです。
日本の新聞のオンラインには、そういうシステムはないのでは?
【ブログを読む】
日本のブログには、実名が書いてないものも多いですが、三大紙を読むよりは、それぞれの分野の専門のブログを読んだ方が良く分かることが多いですね。
理由は自分の行動の極々一部だけクローズアップして偏った報道しかされなかった事への反論だったようで総理を辞職した際新聞記者を全て追い出しテレビだけを会見場に残し会見を開いたのは有名な話。
そういえば私が受験生だった30年以上昔は新聞の社説が国語の入試問題によく出題されました。
コメントありがとうございます。
佐藤総理の最後の会見で
総理が一喝したら
新聞記者がぞろぞろ部屋を出て行くところをテレビでやっているのを見たのを覚えています。
社説については、
地方紙の社説が剽窃をした事件が少し前に続きましたね。
そうですか、入試にでましたか。
私は、社説は絶対に読まないです。
署名もなくそれでいて結論がなくて「ずるい」と思いますね。
「市民」意識がある国とない国の新聞へのアクセスの違いでしょうか。
日本の新聞記者の多くは、新聞社に勤務しているのであって、新聞に書くことを使命としているのか? と思うことがあります。
コメントありがとうございます。
地元紙のN紙に関しては
足で歩いた記事が多くよく読みます。
おでん屋のお孫さんが80メートル障害で入賞したかどうかなど、N紙ならではです。
投書はよく読みます。
脱線ですが、北陸に住んでいたとき、地元紙に投書しましたら(紙上匿名希望)けっこう加筆修正されてから掲載されたのには驚きました。もちろん、事前の連絡などないのです。