介護福祉は現場から 2007.02.22-2011.01.25

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第3652号 twitter小説 厚生省 (1)~(9)

2010-04-22 09:07:52 | 私の原点
写真は、昨夜、20時頃。キャンパス、図書館を望む。大学院のオムニバス講義を終えて。

《まえがき》
毎朝、140字の「小説」を3回分twitterに掲載し始めました。3回分まとめて「坂之上介護福祉研究会」(資料編)のカテゴリ997にアップしています。
今日は、3日分、twitterでは9回の記事がたまったので、まとめてコピーしました。
*著作権は古瀬にあります。無断で転載しないでください。


【厚生労働省が「厚生省」だった頃】
小説厚生省(1)
岡村三郎が厚生省にいたのは1965年4月から1984年8月までの19年あまりの期間であった。厚生省は、第二次大戦中の1938年に創設され、2001年に行政改革によって旧労働省と合併し厚生労働省となった。

小説厚生省(2)
今日、厚生労働省の世間的な評価は地に落ち、最大の下部組織だった社会保険庁は廃止されてしまった。岡村三郎が厚生省に勤務したのは、厚生省ができてから27年たったときであり、自己都合で彼が退職してから17年たって旧厚生省はなくなった。

小説厚生省(3)
この小説は、twitterの短い紙面を借りて、1965年から1984年までの19年間の旧厚生省の出来事を、岡村三郎の目を通して思い出してみるものである。登場人物は実在の人物と類似した名前を名乗ることもあるが、あくまでもフィクションである。

【昭和40年組】
小説厚生省(4)
岡村三郎たち昭和40年入省組は、11人である。この年以降2桁台の入省が続いた。11人中T大出身者は6人、うち法学部卒業者は4人、さらにT大法学部新卒者は、2人だった。1人は、後に事務次官となる川口剛生であり、もう1人が岡村三郎だ。

小説厚生省(5)
川口剛生は、事務次官退官後、自宅に暴漢に襲われて、夫人とともになくなるという非業の死をとげている。この頃は、(すでに「厚生省」ではなく「厚生労働省」となっていたが)年金記録問題や後期高齢者医療制度などでとかく世間の指弾を受けていた。

小説厚生省(6)
昭和40年組からは、ほかに事務次官が2人出ていて、異例の年次ともいえた。山田和夫は環境事務次官を、羽生光男は川口のあとの厚生事務次官(これが最後の「厚生事務次官」となった)を勤めた。羽生は、ながく宮内庁長官にあって時おりマスコミに登場する。

【辞令交付の日】
小説厚生省(7)
昭和40年4月に辞令をもらい、2ヶ月間研修を受けた。各部局の説明は筆頭課長クラスがその局の説明をした。援護局(当時は独立の局)のK課長は冒頭「君たち本当に厚生省を志望してきたの?えらいなぁ」といった。45年たっても耳に残る。

小説厚生省(8)
研修も終わりの頃に、人事課の課長補佐Yさんから、何か配属先に希望はあるか?と打診を受けた。「一番大変な部局にお願いします」と岡村は胸を張った。我ながら生意気だった。6月1日付で保険局(医療保険を担当)に配置となった。

小説厚生省(9)
6月1日早朝、当時は、新設の8階建ての庁舎の5階が保険局企画課だ。12時過ぎまで待ったが、辞令はもらえない。課長補佐(庶務担当)のOさんが、「かわいそうだからとりあえずわたしましょうよ」と渡してくれた。午後、局長室へ呼ばれた。
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2 コメント

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Unknown (JUNKO)
2010-04-23 22:07:38
「一番大変な部局へお願いします」

瞳の中に秘められたのは、自信と負けん気とプライドと、夢と希望だったのでしょう。

愚痴や説教に走ると嫌われますが、子どもに背中を見せるにも、今の40代も、ひ弱に育った世代です。

私にも当てはまりますが、若い人たち、楽することや、得することばかり考える傾向にある。

少年よ、大志を抱けと言う言葉が、そらわざとらしく、虚しく聞こえます。

困難に立ち向かう強さ、夢と誇りを持って、人の為に働く逞しさ、人間の大きさ、自らを逆境にさらす厳しさ、日本の大人たちは、第二第三の岡村三郎くんを創り出して行かなくてはいけないのでしょう。
言う者は行わず (bonn1979)
2010-04-24 05:54:52
JUNKOさん

コメントありがとうございます。

「小説」は、JUNKOさんがものかきになられる前に、と思いついて始めたのですよ。

「笑わせてなんぼの・・」はすでに人のこころをうつ読み物になっていますね。

老子が言ったという
「言う者は行わず、行うものは言わず」
が耳に痛いです。

道半ばで辞めてしまった私には
「敵前逃亡だ」との後輩の厳しい批判がありました。

自慢めいた雰囲気が残る小説ですが
実は挫折というか失意の青春を記録に
という思いです。

JUNKOさんのような明るさがない。

未来へ向けて歩みだすために
その暗く暗愚な過去を隠さず見つめておくことが必要だ・・
と思いました。

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