『臨済録』(岩波文庫)を読んでいます。(写真、右)
松岡正剛の「千夜千冊」550夜
大隅半島にかってあった蘭渓道隆が建てた道隆寺のことをたどり、この秋道隆が建てた鎌倉の建長寺を訪ねました。建長寺は臨済宗ですね。その関係で、この本を合間見て読んでいます。中国の臨済(-867年)の弟子慧然が師の言葉を記録した本ですが、いまに通ずることがたくさんあって東洋の智恵を学ぶことができます。
「不如無事」(しかず、無事ならんは。)
:あるがままに何もしないでいるのが最もよい。p.84
(君たちがなにか求めるものがあれば苦しみになるばかりだ、の文章に続く)
という感じの文章が頻繁に出てきますね。
40歳の頃、3年間、中欧のドイツに住みました。ヨーロッパの社会福祉を考えるときにキリスト教の影響というか存在は欠かせません。ですから、その精神面を欠いた福祉サービスは「国家から金をもらう」という要求型というか「ばらまき福祉」になってしまう。キリスト教のような一神教の強い宗教を持たなかった日本の精神や思想を弱点ととらえることが多いですね。
そうしたときに、中国の古代思想はまことにわかりやすい。
昨日、新潮社の読者向け雑誌『波』(11月号)をめくっていて、
宗教学者の山折哲雄の連載「遠景の中の仏教/長谷川 伸と日本人第11回」pp.86-91
を読みました。(写真、左)
その中で、佐藤忠男(映画評論家)の、
「日本人は、神を信じなかったかわりに人間を信じてきた」という趣旨の指摘を引用しています。
新渡戸稲造の『武士道』(1899年)も、武士道という自己修練の道、つまり、神ではなく人間を信じたところに原点があると、山折はいう。
神戸で「笑福会」の人たちと会って、ずっと考えている。
介護保険制度という政策的なものの中には、強い思想性は乏しい。為政者というか責任ある政治家がこの制度をどのような方向へ持っていこうとしているかは不明ですね。あるのは官僚が用意した作文です。そこに大きな不安があります。介護の現場では、その不安が日常化している。
そういう状態にありながら、おおくの優れた実践が語られています。
介護現場からのブログを読んで、日本社会の消え入りそうな良心は、この分野のスタッフに、そして、その場面の主人公である高齢者のなかには残っている、という感覚。
1983年に日本の老人福祉に関する仕事で初めて感じたこの感覚を20年以上たった今日再確認しています。
政治的エリートには期待できないが、各分野の職人的な良識は残されている。人間そのものが基調となる介護現場では、この良識が受け継がれてきた。
なんか、難しくなりました。
いいたいことは、政治・外交の分野では、世界をリードするどころか、右往左往の時代が続くでしょう。ですが、介護現場をとおしてみるように、人間が勝負の分野では、日本型の精神は(キリスト教的なものはないけど)十分世界に通ずるのではないか?
「見見楽楽~九州ぶらり旅行記」は、昨夜の鹿児島おはら踊りを伝えます。
「リトアニアから愛をこめて」 のとも子さんの写真も素晴らしいです。キャンパスの同僚N先生の奥様です。
松岡正剛の「千夜千冊」550夜
大隅半島にかってあった蘭渓道隆が建てた道隆寺のことをたどり、この秋道隆が建てた鎌倉の建長寺を訪ねました。建長寺は臨済宗ですね。その関係で、この本を合間見て読んでいます。中国の臨済(-867年)の弟子慧然が師の言葉を記録した本ですが、いまに通ずることがたくさんあって東洋の智恵を学ぶことができます。
「不如無事」(しかず、無事ならんは。)
:あるがままに何もしないでいるのが最もよい。p.84
(君たちがなにか求めるものがあれば苦しみになるばかりだ、の文章に続く)
という感じの文章が頻繁に出てきますね。
40歳の頃、3年間、中欧のドイツに住みました。ヨーロッパの社会福祉を考えるときにキリスト教の影響というか存在は欠かせません。ですから、その精神面を欠いた福祉サービスは「国家から金をもらう」という要求型というか「ばらまき福祉」になってしまう。キリスト教のような一神教の強い宗教を持たなかった日本の精神や思想を弱点ととらえることが多いですね。
そうしたときに、中国の古代思想はまことにわかりやすい。
昨日、新潮社の読者向け雑誌『波』(11月号)をめくっていて、
宗教学者の山折哲雄の連載「遠景の中の仏教/長谷川 伸と日本人第11回」pp.86-91
を読みました。(写真、左)
その中で、佐藤忠男(映画評論家)の、
「日本人は、神を信じなかったかわりに人間を信じてきた」という趣旨の指摘を引用しています。
新渡戸稲造の『武士道』(1899年)も、武士道という自己修練の道、つまり、神ではなく人間を信じたところに原点があると、山折はいう。
神戸で「笑福会」の人たちと会って、ずっと考えている。
介護保険制度という政策的なものの中には、強い思想性は乏しい。為政者というか責任ある政治家がこの制度をどのような方向へ持っていこうとしているかは不明ですね。あるのは官僚が用意した作文です。そこに大きな不安があります。介護の現場では、その不安が日常化している。
そういう状態にありながら、おおくの優れた実践が語られています。
介護現場からのブログを読んで、日本社会の消え入りそうな良心は、この分野のスタッフに、そして、その場面の主人公である高齢者のなかには残っている、という感覚。
1983年に日本の老人福祉に関する仕事で初めて感じたこの感覚を20年以上たった今日再確認しています。
政治的エリートには期待できないが、各分野の職人的な良識は残されている。人間そのものが基調となる介護現場では、この良識が受け継がれてきた。
なんか、難しくなりました。
いいたいことは、政治・外交の分野では、世界をリードするどころか、右往左往の時代が続くでしょう。ですが、介護現場をとおしてみるように、人間が勝負の分野では、日本型の精神は(キリスト教的なものはないけど)十分世界に通ずるのではないか?
「見見楽楽~九州ぶらり旅行記」は、昨夜の鹿児島おはら踊りを伝えます。
「リトアニアから愛をこめて」 のとも子さんの写真も素晴らしいです。キャンパスの同僚N先生の奥様です。
世の中に幾つ高度な研修があり洗練された勉強会があったとしても、自分だけ頭でわかって「それが出来ればとっくにしている」と言うものが多かった。
違う職場の全く利害関係の無い者同志が、「自分と同じ事で悩んでいる、疑問を持っている、そしてこのがんじがらめの現場の中でもがき苦しんでいる。
その気持ちを共有出来た大切な時間でした。
我々に決定権はなくても我々の後ろには、実際に苦しみ泣いている利用者がいる。待っている入居者が患者がいる。
私たちは代弁者だった。
10時から9時までと言う長時間、我々がそれでも足りないと思ったのはそういう響き合う関係性に飢えていたのかもしれない。
職場の環境や待遇が悪いと、運のせいにしてきた。無能な管理職のせいと諦めてきた。
嫌だったらやめればいいじゃない、と言われ唇を噛み締めてきた。
人を護り、人と協働して進んでいく仕事だからこそ、響き合う関係性が必要。
あそこからまた新しい介護福祉士としての私、が歩き出した、とそう思います。
早朝に
コメント有難うございます。
あういう場における私の役割が
こうもり的でして
「第1号被保険者だ」という目くらましで
しのいでいます。
権力とか既得権とかは
なんだかんだいっても
自分の地位、お金、支配、栄誉といって基準で動いていますから
そうでない動機で生きている人も
ちゃんといる
と実感できることが大きいですね。
井上先生は
さすが・・
あの日の発表を聞かれて
たびたび「初心に帰る」
とつぶやいておられましたね。
日本介護福祉学会のほうの今後も注目です。
探しに参りました。
「響き合った共感」は神戸以前にJUNKOさんの
ブログで感じていました。
もちろんこんなに素晴らしい出会いになるとは予想して
いませんでしたが、権威ある「○○学会」よりも
純粋で(年間に学会発表を何回するとか関係のない)、
情熱のある(科研費とって何かしましょうか
なんて発想のない)会ができると信じていました。
夢の全国大会が終わって「現実」とのギャップに苦しむ
コメントをいくつか見かけました。
そんな仲間の「やる気」を失わせてはいけないと思います。
それが先生のおっしゃる「日本の良心」ですから・・・
井上先生が、休憩時間に「インドネシアの研修生」の
お手伝いがしたいと申し出てくださいました。
とっさのことで、お気持ちだけ伺っただけで何も
返事はしませんでした。
外国人介護士を日本に迎え入れることは、日本の介護を
どうしていくか、ということにも関わっていきます。
井上先生とはまたゆっくりとお話できたらいいなと
思っています。
コメントありがとうございます。
このところ
調査のまとめの入力などで
時間をとられていました。
twitterは楽しいですが
時間の余裕がいりますね。
ブログもたくさん書かずに
1日1件としました。
自分自身は
介護の現場とは直接のかかわりがないので
それなりの距離感をもって
できることを支援していきたいです。
義母の介護に時間をとられている妻を
理解するというか留守番をするという
役割は続きそうです。