介護福祉は現場から 2007.02.22-2011.01.25

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一軒の茶見世の柳老いにけり(蕪村)【浜田 晋のエッセイより】

2008-04-23 14:15:53 | 介護福祉
【老いるという経験】
『ケアという思想』(岩波書店、2008-4刊)
に収載されている論文
「老いるという経験」(浜田 晋)を読みました。p227-p246
著者の浜田晋先生は、1926年生まれですから82歳ということになります。
東京の下町で精神科専門の診療所を開業。2007年に精神科医をやめた。
この論文は、満80歳8ヶ月で書かれた。

【18歳で老いを実感】
○ 昭和18年、学徒動員で6人に1軒の工員寮で暮らす。
先生にとって、老いと青春は背中合わせだった。私よりは15歳年上の世代。

○ 昭和20年、戦争が終わったが、先生の心は晴れず、多くの屍体の上にたっているという違和感をもちつづけた。62年を経過してもなお。

【父の場合】
昭和20年までは、保険会社の医師だった。なまけものだった。
65歳になって、別人のごとく、働いた。(65歳から73歳まで)
その父親の働くを見て、浜田先生も医師の道を志すことに。
(大学は工学部金属工学科)

その父親は、定年後、上京し、精神病院に勤める。
その1年後、入院先のベッドの上で天井に頭をぶつけて亡くなる。74歳。
それ以降、浜田先生は、「精神科医として燃えていた」p236

【母の場合】
父の死後、64歳で郷里の高知へ帰る。
母は、104歳まで生きた。
母親とは、長い葛藤の歴史があった。
104歳までの間、紆余曲折があったが、母親と付添婦との相性のようなことに触れている。
22年間付き添ったTさんという方と母親との間に流れた「静かなやわらかな時」のことを浜田先生はいつくしむように書いている。 p242

【百人百様】
母親が亡くなって、浜田先生は太った。「晴れ晴れとした」p245
親子の関係、老いという経験は多様、百人百様である。p245
(先生の実感がこもった感慨ですね。)

小説のような論文を読んで、医療者ならではの観察と、家庭内のさまざまな葛藤を想像した。

タイトルの蕪村の俳句は、浜田先生の論文の最後に挙げてあった。
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