第18回日本介護福祉学会(岡山県立大学)第2日、第6-A 分科会において、志田洋子さん(日本福祉大学大学院研究科)が行った発表:
「在宅介護の歴史的考察-新潟市障害者家庭奉仕員制度が果たしてきた役割-」
の要点を報告します。
要旨集p.68 発表時間2010.09.19 11:20~11:40 於:8101教室
【発表の要点】
1960年代はまだ職業とみなされていなかったホームヘルパーの社会的な地位は、ヘルパー自身の組織化された運動によって向上してきた。
この活動から、重度障害者の自立生活が開かれた。
【新潟市障害者家庭奉仕員制度が果たしてきた役割】
1 尊厳を守る介護意識をつくりだした。
障害者の自立支援を通して、当事者の意向を尊重することに努めた。
研修、同性介護、夜間介護の必要性、A神父のボランタリーアクションと重度障害者の意欲に影響されてきた。
2 ホームヘルプの仕事内容、必要性、重要性を社会に伝える役割を果たした。
ヘルパー日記、ヘルパー白書、民生委員への協力依頼
3 介護の社会化
当時は、介護は「家庭で見るべきもの」であり、ヘルパーは「ボランティア」で十分とされた。介護の需要は週33時間労働で十分」として、20年近く在宅介護の進展を阻んできた。これに対して、介護は社会で対応する必要があり、介護体制が必要なことを新潟市に訴え、認められた。
【重度障害者の自立支援】
1994年、それまでの障がい者ヘルパーは統合された。介護保険制度以降、利用制度(自立支援法)に変わり、民間介護事業所が台頭し、公的介護の役割が見えなくなった。
【研究の背景】
戦後、わが国の障がい者施策が未熟であった時代に重度障害児(者)が義務教育を受けられずに孤立した在宅状況があった。
1967年に(国の)身体障害者家庭奉仕員制度が開始し、重度障がい者の意欲的な在宅生活が達成したことに注目して取り組んだ。
発表者は、新潟市の障害者家庭奉仕員であった者として、重度障がい者の在宅介護がどのようにつくられ、ホームヘルパーが在宅福祉の公的責任を確立するうえでどのような役割を果たしてきたかを明らかにしたいとする。
【時代区分】
1 創設期 1960年代~1988年
2 確立期 1989年~2002年
3 転換期 2003年~
当日の発表では、創設期を中心に実際携わった体験をもとに報告された。
1968年に新潟市身体障害者家庭奉仕員制度が発足(1965年、老人対象が発足)
ベルギーのA神父の献身的な活動が紹介された。
1984年ヘルパーの座り込みが報道された。
【個人的な記憶】
私は、1983年秋から1年間、厚生省(当時)老人福祉課長を務めていた。
1984年冬だったか、関東地域で開催された家庭奉仕員の研修で、新潟のこの障害者家庭奉仕員の発表を聞いています。
発表者の志田さんに、発表後、ご挨拶し、このブログに紹介する件でお許しを得た。
創設期の話は体験談だけに熱気があったがプライバシーの関係でここには詳しくは書きません。
「在宅介護の歴史的考察-新潟市障害者家庭奉仕員制度が果たしてきた役割-」
の要点を報告します。
要旨集p.68 発表時間2010.09.19 11:20~11:40 於:8101教室
【発表の要点】
1960年代はまだ職業とみなされていなかったホームヘルパーの社会的な地位は、ヘルパー自身の組織化された運動によって向上してきた。
この活動から、重度障害者の自立生活が開かれた。
【新潟市障害者家庭奉仕員制度が果たしてきた役割】
1 尊厳を守る介護意識をつくりだした。
障害者の自立支援を通して、当事者の意向を尊重することに努めた。
研修、同性介護、夜間介護の必要性、A神父のボランタリーアクションと重度障害者の意欲に影響されてきた。
2 ホームヘルプの仕事内容、必要性、重要性を社会に伝える役割を果たした。
ヘルパー日記、ヘルパー白書、民生委員への協力依頼
3 介護の社会化
当時は、介護は「家庭で見るべきもの」であり、ヘルパーは「ボランティア」で十分とされた。介護の需要は週33時間労働で十分」として、20年近く在宅介護の進展を阻んできた。これに対して、介護は社会で対応する必要があり、介護体制が必要なことを新潟市に訴え、認められた。
【重度障害者の自立支援】
1994年、それまでの障がい者ヘルパーは統合された。介護保険制度以降、利用制度(自立支援法)に変わり、民間介護事業所が台頭し、公的介護の役割が見えなくなった。
【研究の背景】
戦後、わが国の障がい者施策が未熟であった時代に重度障害児(者)が義務教育を受けられずに孤立した在宅状況があった。
1967年に(国の)身体障害者家庭奉仕員制度が開始し、重度障がい者の意欲的な在宅生活が達成したことに注目して取り組んだ。
発表者は、新潟市の障害者家庭奉仕員であった者として、重度障がい者の在宅介護がどのようにつくられ、ホームヘルパーが在宅福祉の公的責任を確立するうえでどのような役割を果たしてきたかを明らかにしたいとする。
【時代区分】
1 創設期 1960年代~1988年
2 確立期 1989年~2002年
3 転換期 2003年~
当日の発表では、創設期を中心に実際携わった体験をもとに報告された。
1968年に新潟市身体障害者家庭奉仕員制度が発足(1965年、老人対象が発足)
ベルギーのA神父の献身的な活動が紹介された。
1984年ヘルパーの座り込みが報道された。
【個人的な記憶】
私は、1983年秋から1年間、厚生省(当時)老人福祉課長を務めていた。
1984年冬だったか、関東地域で開催された家庭奉仕員の研修で、新潟のこの障害者家庭奉仕員の発表を聞いています。
発表者の志田さんに、発表後、ご挨拶し、このブログに紹介する件でお許しを得た。
創設期の話は体験談だけに熱気があったがプライバシーの関係でここには詳しくは書きません。
こんにちわ。
初めての学会発表で、古瀬先生にお声をかけられ、プログに取り上げていただきました。
私は老学生で、今春から高校の非常勤をしております。
あの後、機会があり、筋ジストロフィー障害の人と神父さんにお会いしてきました。
この論文に係り、重度障がいの困難にあっても逞しく生きる人々の可能性について考えさせられました。介護の在り方についてもです。
プログで『定年』の文字を拝見しましたが、これからもご健康とご活躍をお祈り致します。
志田
コメントありがとうございました。
初めてのご発表とは知りませんでした。
気迫のこもったご発表で
自分だけが聞くのはもったいない
と思いました。
いざ、ブログで書こうとして
事務的な報告になってしまいました。
コメントで
一番大事なことを補足いただきました。
これまで制度とか技術とかで考えすぎでした。
岡山では
奈倉道隆先生や石川彪先生など
80歳にも届かんとする方々のお話も聞き
70歳ぐらいで「引退」を決め込むことはない
と元気をもらいました。
同じ新潟の井上先生ともキャンパスで
ご一緒できて良かったです。