介護支援専門員のどりーむさんが、そのブログ「想い・思い・おもいver2」で4回にわたって介護保険制度とともに歩んだ10年を回顧し、この制度の今後に問題提起しています。
この重い10年を共有したいです。
第466回 その1
第467回 その2
第468回 その3
第469号 その4
「・・そして今。
平成24年4月の2度目の介護保険法の改正にむけ、厚労省では社保審・介護保険部会の議論も始まった。主な論点は、「制度の持続性を高めるための給付・負担のあり方とか、地域包括ケアの実現に向けた具体的な方策等」ということである。やはり、財政面からの議論が中心にならざるを得ないようである。
しかし、このままでは、現場は、ますます混乱し、疲弊する。
「人」が「人」に行うサービス。
ましてや、生きていく上で弱い立場にいる人達へのサービスであることを思うと、
財政面からだけで議論されるべき課題でないことは明らかになった。
「走りながら考える」とされた介護保険制度。
これから、どのように進むべきか。走りながらでは、考えられないことも多いだろう。」
*写真は、安曇野カンポンLIFE 2010.06.01 からお借りしています。
この重い10年を共有したいです。
第466回 その1
第467回 その2
第468回 その3
第469号 その4
「・・そして今。
平成24年4月の2度目の介護保険法の改正にむけ、厚労省では社保審・介護保険部会の議論も始まった。主な論点は、「制度の持続性を高めるための給付・負担のあり方とか、地域包括ケアの実現に向けた具体的な方策等」ということである。やはり、財政面からの議論が中心にならざるを得ないようである。
しかし、このままでは、現場は、ますます混乱し、疲弊する。
「人」が「人」に行うサービス。
ましてや、生きていく上で弱い立場にいる人達へのサービスであることを思うと、
財政面からだけで議論されるべき課題でないことは明らかになった。
「走りながら考える」とされた介護保険制度。
これから、どのように進むべきか。走りながらでは、考えられないことも多いだろう。」
*写真は、安曇野カンポンLIFE 2010.06.01 からお借りしています。
最初から関わった者としての、
なが~いつぶやきになってしまいました。
なんだ、かんだと言いつつ、
辞めずにやってこれたのは、
やはり、仲間が居てくれたからこそ
とも思います。
そして、これから10年後。
どんなつぶやきをしているでしょうか。
こうして、「blogをしった」
なんていうことも、かいているんでしょうね
実践してこられた方の言葉には重みを感じます。
制度はないと困りますが、この頃、漠然と感じていることは、制度のために、サービスの均等というか、平等性が求められてしまい、本当の意味での一人一人のニーズにこたえにくくなっているのではないか、ということ。
私の浅い経験と狭い知識で感じることで、それが本当に制度のせいなのかもよく分かっていません。
古瀬先生やどりーむさんに、解説していただけたら有難いです。
いつも不思議というか
偉いなぁ
と思うのは
実践家ならではの
詳細な記憶
微妙な人々の感情を
体系的で
無駄なおしゃべりがなく
一つのまとまった話として書く
お時間の制約の中を
ただ感服しています。
普通
・理屈を並べることと
・経験を話すこと
それぞれ別の人がやっているわけですね。
(私は早起きで夜中の3時ごろに起きたりしますが、その頃にもPCに向かっておられる気配・・)
コメントありがとうございます。
私が
多少、外国の行政の人の仕事を見ていて
思うのは、
日本では
なんでもかんでも
中央政府が決めすぎるということですね。
アメリカやドイツは
連邦政府ですから
福祉や介護の細かなことは州政府で大きく違いますね。
スウェーデンのような国でも
国は、大枠を決めはしますが
こまかいところは
市町村や専門職任せです。
話が飛びますが
一国の総理大臣が
これほど
簡単にかわってしまうこと
従って政治とか政策とかの基本が
行政に丸投げされる・・
ある程度社会保障制度を持っている国では
珍しいです。
過去にはそういうことが多かったですね。
そのうえ
専門職自体の自立性が乏しいですね。
ともかく
現実には
社会的に支援すべき方々がおられ
それを仕事とする専門職の方が
おられる。
私などは
その専門職の活動を
端っこながら支援できないか
という係りだと・・
そうこうするうちに残り時間が秒読みです。
(嗚呼)