【きっかけ】
かごしま近代文学館には初めて行きました。1Fに海音寺潮五郎ほか6人、2Fに有島武郎ら22人のコーナーがあります。最近、歯科医の篠原先生の親戚ということで知ることになった篠原鳳作(俳句。2月17日付け、第3523号)のコーナーがめあてでした。
そこで、昇 曙夢という加計呂麻島出身の人を発見。
帰りに本屋に寄って、郷土コーナーで田代俊一郎『原郷の奄美 ロシア文学者昇 曙夢とその時代』(書肆侃侃房 2009年)を購入しました。(写真)
原郷の奄美
【奄美そして加計呂麻島】
奄美大島には2008年と 2009年の正月にそれぞれ2泊3日の短い旅をしただけですが、深い記憶として残りました。特に、加計呂麻島については、80件の記事を書きました。
このブログのブックマークには奄美の方が書いている「奄美・加計呂麻島なんでもありBLOG」「徒然なる奄美」「光の中で」の3つのブログがあって、よく写真をお借りしています。最近は、加計呂麻島へのチップ工場建設問題が話題になっています。
勤務する大学に長く勤めておられた奄美学の権威山下欣一先生とお会いする機会があり、いただいた論文のことなどを記事にしました。
2007.04.25
2007.05.22
2008.01.11
2008.01.13
2008.06.26
【昇 曙夢】
著者の田代俊一郎は、西日本新聞の記者でしたが、西郷隆盛を調べるうちに昇曙夢に出会っています。
昇 曙夢
昇(のぼる)は、加計呂麻島の芝という集落の出身です。キリスト教、とくにロシア正教との出会いから、ロシア文学者になり、戦後の奄美の祖国復帰運動に傾注するまでの一生を追っています。ロシアと薩摩藩以来の400年にわたる支配・米軍統治下の奄美の解放とを重ねています。
最後の箇所(pp.133-135)には、トルストイを引用しながら、現代においては加計呂麻島のような生活こそが理想郷ではないかという暗示が示されています。
【奥さんの手記】
巻末に、奥さんの昇藤子の長い回顧録(pp.137-184「思い出の記」)が掲載されていて、昇の生活史(度重なる引越しと病気。多彩な交流)が浮かび上がり、昇の生涯が立体的に理解できます。この奥さんあっての昇曙夢だったことを知りますね。
【3周年】
今日で、このブログを始めてから3年になります。当初は「社会福祉学講義日記」といったタイトルでした。多くの方から読んでいただいて続けることができました。特に、2009年度の介護福祉コース1年生の講義「社会福祉概論」にこのブログを活用できたことが記憶に新しいです。
2009年5月に、坂之上介護福祉研究会というブログを作ってから資料的な記事はこの新しいほうに書くようにしたので、こちらの「坂之上の昼下がり」には、原則として1日1件の記事を書くことにしています。
これからも、引き続き、よろしくお願いします。
かごしま近代文学館には初めて行きました。1Fに海音寺潮五郎ほか6人、2Fに有島武郎ら22人のコーナーがあります。最近、歯科医の篠原先生の親戚ということで知ることになった篠原鳳作(俳句。2月17日付け、第3523号)のコーナーがめあてでした。
そこで、昇 曙夢という加計呂麻島出身の人を発見。
帰りに本屋に寄って、郷土コーナーで田代俊一郎『原郷の奄美 ロシア文学者昇 曙夢とその時代』(書肆侃侃房 2009年)を購入しました。(写真)
原郷の奄美
【奄美そして加計呂麻島】
奄美大島には2008年と 2009年の正月にそれぞれ2泊3日の短い旅をしただけですが、深い記憶として残りました。特に、加計呂麻島については、80件の記事を書きました。
このブログのブックマークには奄美の方が書いている「奄美・加計呂麻島なんでもありBLOG」「徒然なる奄美」「光の中で」の3つのブログがあって、よく写真をお借りしています。最近は、加計呂麻島へのチップ工場建設問題が話題になっています。
勤務する大学に長く勤めておられた奄美学の権威山下欣一先生とお会いする機会があり、いただいた論文のことなどを記事にしました。
2007.04.25
2007.05.22
2008.01.11
2008.01.13
2008.06.26
【昇 曙夢】
著者の田代俊一郎は、西日本新聞の記者でしたが、西郷隆盛を調べるうちに昇曙夢に出会っています。
昇 曙夢
昇(のぼる)は、加計呂麻島の芝という集落の出身です。キリスト教、とくにロシア正教との出会いから、ロシア文学者になり、戦後の奄美の祖国復帰運動に傾注するまでの一生を追っています。ロシアと薩摩藩以来の400年にわたる支配・米軍統治下の奄美の解放とを重ねています。
最後の箇所(pp.133-135)には、トルストイを引用しながら、現代においては加計呂麻島のような生活こそが理想郷ではないかという暗示が示されています。
【奥さんの手記】
巻末に、奥さんの昇藤子の長い回顧録(pp.137-184「思い出の記」)が掲載されていて、昇の生活史(度重なる引越しと病気。多彩な交流)が浮かび上がり、昇の生涯が立体的に理解できます。この奥さんあっての昇曙夢だったことを知りますね。
【3周年】
今日で、このブログを始めてから3年になります。当初は「社会福祉学講義日記」といったタイトルでした。多くの方から読んでいただいて続けることができました。特に、2009年度の介護福祉コース1年生の講義「社会福祉概論」にこのブログを活用できたことが記憶に新しいです。
2009年5月に、坂之上介護福祉研究会というブログを作ってから資料的な記事はこの新しいほうに書くようにしたので、こちらの「坂之上の昼下がり」には、原則として1日1件の記事を書くことにしています。
これからも、引き続き、よろしくお願いします。
おめでとうございます。最近のブログの内容が、寂しい気がしますよ。
六十八歳、まだ、若い!
先生の奨めで始めた私のほうは、停滞しきってお恥ずかしいかぎりです。
テーマはひとつの大きなものとして変わらないのですが、派生する様々な関心と出来事が増えていて、今後の展開方法を考える時期なのかな、とも思っています。
ぼやきはあっても、つぶやく手間はかけられず、といったところでしょうか。
今週はいよいよ管理者研修です。
ともかく、ブログでの牽引役として、これからもよろしくお願いいたします
なかなか11時から17時までの間に
そちらに
うかがうことができずに
失礼しています。
おまけのいなりが
もらえる間に
行きたいものですね。
3年たって
ここのところ
「自分にはよそ様に伝えるものはないなぁ」
という感じが強まっていました。
勉強のための
もう一つのブログの方へは
時間が余れば
記事を加えています。
こちらの方は
自分のため
と割り切っているので
気持ちは楽ですね。
4月になれば
授業が始まり
また元気になることでしょう。
コメントありがとうございます。
忙しくなってきたようですね。
書くことで
つながりが増えることに
意義がありますね。
毎週が大変だったら
twitterもいいのでは?
Pさんが最近
つぶやいていますね。
人間になりたいと彼女をみて思います。図書館は私の原点です。先生との出会いも皆、大切に思っています。
コメントありがとうございました。
図書館にもお見えになるんですね。
では
近いうちにお会いできますように・・