【人材は蓄積されていた】
最近、テレビで民主党の副大臣クラスの話を聞く機会が増えた。
これまで知らなかった人たちだ。
誠実な人柄で、こつこつと政策の勉強をしてきた形跡がうかがえますね。
他方、長年政権の座にあった自民党。
中堅の議員がテレビで言うには、党内での自由な発言は許されないらしい。
【総合的な企画力】
「岩清水日記」の記事(2009.09.20)で、厚生省(当時)の板山賢治さんをインタビューした記事のことがでていました。
私が、民間にでたあと、大学という世界に案内してくれたのは、この板山さんなので、懐かしく、「総合的な企画力がない」というくだりを読みました。
2001年、厚生省と労働省が統合されたときに、厚生省の企画部門であった「大臣官房政策課」がなくなっていました。組織として、総合的な政策を考える部署がなくなったわけです。(以前の厚生省には、「大臣官房企画室」といって中長期の課題を考えるにふさわしい組織があった)
【組織よりは思想的な核のようなもの】
話は、すこし教科書のようなことですが・・
世界で初めて「社会保障」のような仕掛けを考えて実現したのは、1883年の鉄血宰相ビスマルクの医療保険ですね。
少し下って、アメリカの社会保障法1935年は、ルーズベルト大統領の強いリーダーシップで成立した。
*医療保険の箇所は、原案から削除されて、オバマ政権下で公的医療保険の導入を議論しています。
有名なイギリスのビバリッジ報告1942年をまとめたビバリッジは官僚OBでしたが、戦後のイギリスの社会保障政策を構想したのは労働党の政治家です。
【自民党に社会保障政策はあったのか?】
日本の社会保障政策の基礎となった「国民皆保険」は、池田勇人大蔵大臣の決断だったといわれます。
佐藤栄作は、総理大臣のときに「社会開発」という当時国際的にも話題になった概念を所信表明演説でうたっている。これは、役所のシナリオではなく、佐藤自身の考え方だったという。佐藤首相の時代には、当時厚生省にあった公害部門を独立させて「環境庁」を設置している。これは、佐藤首相の政治的決断だった。(環境省への昇格や地球温暖化問題を考えると、政治家佐藤の先見性がわかります)
これ以外の、歴代の自民党総裁は、「社会保障」の意義を理解していないようです。経済成長の余沢を配分する・・ということだったと思いますね。
*小泉政権の頃にいたっては、「社会保障は財政を危うくする」というアメリカ流の思想でした。
【時代と行政組織】
厚生労働省の前身の「厚生省」ができたのは、1938年で、これは日本が太平洋戦争の準備をしていた時代ですね。
厚生省の前身である内務省「社会局」ができたのは1920年で、米騒動の後の社会的混乱を受け、寺内内閣が総辞職したときですね。
2001年に統合された厚生労働省には、社会保障政策を審議する社会保障審議会と、労働政策を審議する労働政策審議会は統合されませんでした。ですから、この統合は、自民党が組織いじりをしただけであって、「政策の統合」は、今日にいたるまでされていません。
【官僚と政治家】
私の知っている時代(厚生省)でいえば、
小山進次郎(昭和12年、当時の内務省に入る)
伊部英男(昭和18年、内務省に入り、後、厚生省に配属される)
吉村 仁(昭和28年、厚生省に入る)
などは、優れた構想力をもっていました。(いずれも故人)
しかし、小山さんは保険局長時代にK大臣に解任され、退官した。
伊部英男さんは、政治家から嫌われて事務次官にはなれなかった。
吉村さんは、次官在任中に癌が進行し、退官後まもなく亡くなった。
【民主党の政策能力】
政治家の仕事は、方向性を示すことで、かっての自民党のように選挙を考えるあまり耳障りのよいことばかりいうようにならないように、専門的な知識を踏まえたうえで、政策の意思のようなものを明確に示して欲しいです。
最近、テレビで民主党の副大臣クラスの話を聞く機会が増えた。
これまで知らなかった人たちだ。
誠実な人柄で、こつこつと政策の勉強をしてきた形跡がうかがえますね。
他方、長年政権の座にあった自民党。
中堅の議員がテレビで言うには、党内での自由な発言は許されないらしい。
【総合的な企画力】
「岩清水日記」の記事(2009.09.20)で、厚生省(当時)の板山賢治さんをインタビューした記事のことがでていました。
私が、民間にでたあと、大学という世界に案内してくれたのは、この板山さんなので、懐かしく、「総合的な企画力がない」というくだりを読みました。
2001年、厚生省と労働省が統合されたときに、厚生省の企画部門であった「大臣官房政策課」がなくなっていました。組織として、総合的な政策を考える部署がなくなったわけです。(以前の厚生省には、「大臣官房企画室」といって中長期の課題を考えるにふさわしい組織があった)
【組織よりは思想的な核のようなもの】
話は、すこし教科書のようなことですが・・
世界で初めて「社会保障」のような仕掛けを考えて実現したのは、1883年の鉄血宰相ビスマルクの医療保険ですね。
少し下って、アメリカの社会保障法1935年は、ルーズベルト大統領の強いリーダーシップで成立した。
*医療保険の箇所は、原案から削除されて、オバマ政権下で公的医療保険の導入を議論しています。
有名なイギリスのビバリッジ報告1942年をまとめたビバリッジは官僚OBでしたが、戦後のイギリスの社会保障政策を構想したのは労働党の政治家です。
【自民党に社会保障政策はあったのか?】
日本の社会保障政策の基礎となった「国民皆保険」は、池田勇人大蔵大臣の決断だったといわれます。
佐藤栄作は、総理大臣のときに「社会開発」という当時国際的にも話題になった概念を所信表明演説でうたっている。これは、役所のシナリオではなく、佐藤自身の考え方だったという。佐藤首相の時代には、当時厚生省にあった公害部門を独立させて「環境庁」を設置している。これは、佐藤首相の政治的決断だった。(環境省への昇格や地球温暖化問題を考えると、政治家佐藤の先見性がわかります)
これ以外の、歴代の自民党総裁は、「社会保障」の意義を理解していないようです。経済成長の余沢を配分する・・ということだったと思いますね。
*小泉政権の頃にいたっては、「社会保障は財政を危うくする」というアメリカ流の思想でした。
【時代と行政組織】
厚生労働省の前身の「厚生省」ができたのは、1938年で、これは日本が太平洋戦争の準備をしていた時代ですね。
厚生省の前身である内務省「社会局」ができたのは1920年で、米騒動の後の社会的混乱を受け、寺内内閣が総辞職したときですね。
2001年に統合された厚生労働省には、社会保障政策を審議する社会保障審議会と、労働政策を審議する労働政策審議会は統合されませんでした。ですから、この統合は、自民党が組織いじりをしただけであって、「政策の統合」は、今日にいたるまでされていません。
【官僚と政治家】
私の知っている時代(厚生省)でいえば、
小山進次郎(昭和12年、当時の内務省に入る)
伊部英男(昭和18年、内務省に入り、後、厚生省に配属される)
吉村 仁(昭和28年、厚生省に入る)
などは、優れた構想力をもっていました。(いずれも故人)
しかし、小山さんは保険局長時代にK大臣に解任され、退官した。
伊部英男さんは、政治家から嫌われて事務次官にはなれなかった。
吉村さんは、次官在任中に癌が進行し、退官後まもなく亡くなった。
【民主党の政策能力】
政治家の仕事は、方向性を示すことで、かっての自民党のように選挙を考えるあまり耳障りのよいことばかりいうようにならないように、専門的な知識を踏まえたうえで、政策の意思のようなものを明確に示して欲しいです。
1950年代から現在までです。
このような本でも読まなければ知ることができません。
例えば資格制度誕生の話などは知っておく必要があると
思いました。
bonn1979先生からも様々な証言を聞かせていただきました。
基準は生年ですね。
役所の場合はとても重要とわかりました。
まだまだ頭に入っていませんが、当時の人々のネットワークが少しだけ分かってきたようです。
私も環境庁の成立経緯は知りませんでした。
昔の話を聞く努力を怠ってはならないと職務、勉学とも強く思います。
コメントありがとうございました。
佐藤総理の最後の記者会見
テレビでみましたが
確かに不思議な絵でしたね。
環境庁のほうは
当時、成長部門が独立する?というので
厚生省に付属する組織(いまや悪名高い「社会保険庁」方式)とする案でしたが、総理の強い意向で決まったことは、私が、当時、厚生省の末席でこの問題を担当していていまだに覚えているという次第です。
問題には多様な側面があって
当事者談では
問題点の方は率直には伝えられない
といううらみがありますね。
それだけに
社会福祉の問題などは
実際の仕事をされている人からの視野も
重要ということになりますね。