今朝。鹿児島の知り合いのtwitterに知らない言葉を発見。
Terima Kasih! とあった。たしか、インドネシア語。
つい、私もドイツ語で朝の挨拶。(恥)
「笑わせてなんぼの介護福祉士」の昨夜書かれた記事には
なんとフィンランド語が長く引用され、ネットの翻訳機能で大略が日本語で紹介されていた。
フィンランドの「ラヒホイタヤ」と日本の介護福祉士の違いを考えた記事。
今朝家を出る頃には
不思議な頭の中でした。
午前の学部の授業を終えて、
午後、台湾から先生と学生がきていて英語での会合があると知りでかけた。
夕方に、大学院の講義を控えていたから、ふつうは参加しないのですが、朝のことがあったのですね。
【英語のプレゼン】
会議室にはザット40人ぐらいの学生。
最初に、台湾かたみえた英語教育がご専門のLan-Hsin Chang (中国語で、張 蘭心)先生から
English Presentation Contest
というスピーチがあった。20分ぐらい。通訳なし。綺麗な英語でキャッチできた。
2009年に行われた英語によるプレゼン(ビデオ)を13例紹介された。
パワーポイントの内容、身振り手振りを交えての英語、何より多彩なトピック。
私の左に座ったカナダ人のマック教授がなにやらメモというか印をつけていた。
Chang 先生から、13の発表のうちで、どれが最優秀だと思いますか?
とフロアーを見渡す。
マック先生:4番 をあげる。
なんと・・それが正解でした。一同から拍手が。
【台湾からの学生のプレゼン】
太陽電池で動く車の発展といったテーマで、英語でプレゼン。
内容も興味深いものでしたが、英語も良かった。
このあと、台湾からの学生がたくさん前に出て
歌を歌った。(中国語。写真)
台湾からの学生が、自己紹介を日本語でした。
あとは、ずっと、基本は英語で展開していく。
【これから】
若い人たちの、台湾と日本との交流。
とびかう、英語。覚えたての台湾の学生の日本語。
さまざまな言葉が飛び交って
言葉は手段に過ぎないのだな
と気づかされる。
最近、ブログで、
介護に従事する人が
日本人に韓国語を教えたり
インドネシア人に日本語を教えたり
といった記事もみかけました。
韓国の方が日本の介護現場から真剣に学んでいる
という記事もありましたね。
【最も遠いように見えたのに】
先日来
「介護と哲学」という話題を書いています。「笑福会」には「介護と哲学」委員会ができました。
「介護と語学」というこれまでの感覚では結びつかないテーマも浮上してきたように思います。
介護の問題も、日々の身の回りの緊急なテーマに追われるのですが(私の「社会福祉概論」の受講者であるハッピーさんからコメントが寄せられていました・・)
・より深く考えてみる(「介護と哲学」)
・より遠く考えてみる(「介護と語学」)
のはいかがでしょうか?
Terima Kasih! とあった。たしか、インドネシア語。
つい、私もドイツ語で朝の挨拶。(恥)
「笑わせてなんぼの介護福祉士」の昨夜書かれた記事には
なんとフィンランド語が長く引用され、ネットの翻訳機能で大略が日本語で紹介されていた。
フィンランドの「ラヒホイタヤ」と日本の介護福祉士の違いを考えた記事。
今朝家を出る頃には
不思議な頭の中でした。
午前の学部の授業を終えて、
午後、台湾から先生と学生がきていて英語での会合があると知りでかけた。
夕方に、大学院の講義を控えていたから、ふつうは参加しないのですが、朝のことがあったのですね。
【英語のプレゼン】
会議室にはザット40人ぐらいの学生。
最初に、台湾かたみえた英語教育がご専門のLan-Hsin Chang (中国語で、張 蘭心)先生から
English Presentation Contest
というスピーチがあった。20分ぐらい。通訳なし。綺麗な英語でキャッチできた。
2009年に行われた英語によるプレゼン(ビデオ)を13例紹介された。
パワーポイントの内容、身振り手振りを交えての英語、何より多彩なトピック。
私の左に座ったカナダ人のマック教授がなにやらメモというか印をつけていた。
Chang 先生から、13の発表のうちで、どれが最優秀だと思いますか?
とフロアーを見渡す。
マック先生:4番 をあげる。
なんと・・それが正解でした。一同から拍手が。
【台湾からの学生のプレゼン】
太陽電池で動く車の発展といったテーマで、英語でプレゼン。
内容も興味深いものでしたが、英語も良かった。
このあと、台湾からの学生がたくさん前に出て
歌を歌った。(中国語。写真)
台湾からの学生が、自己紹介を日本語でした。
あとは、ずっと、基本は英語で展開していく。
【これから】
若い人たちの、台湾と日本との交流。
とびかう、英語。覚えたての台湾の学生の日本語。
さまざまな言葉が飛び交って
言葉は手段に過ぎないのだな
と気づかされる。
最近、ブログで、
介護に従事する人が
日本人に韓国語を教えたり
インドネシア人に日本語を教えたり
といった記事もみかけました。
韓国の方が日本の介護現場から真剣に学んでいる
という記事もありましたね。
【最も遠いように見えたのに】
先日来
「介護と哲学」という話題を書いています。「笑福会」には「介護と哲学」委員会ができました。
「介護と語学」というこれまでの感覚では結びつかないテーマも浮上してきたように思います。
介護の問題も、日々の身の回りの緊急なテーマに追われるのですが(私の「社会福祉概論」の受講者であるハッピーさんからコメントが寄せられていました・・)
・より深く考えてみる(「介護と哲学」)
・より遠く考えてみる(「介護と語学」)
のはいかがでしょうか?
私のポリシーは「現場で使えなくちゃ意味がない」なので、試行錯誤を覚悟の上に学んだことは無理やり実践してしまう冒険野郎でございます(笑)
伝える「内容」が一番大事なわけで、いくら文法を理解して単語をおぼえても、相手に伝えたいとする気持ちがなければ、語学勉強も意味がないのだと思ったりします。
げんきさんがボランティアで「日本で初めての介護福祉士合格インドネシア研修生」の夢をかなえたら、私も横須賀で泣きながら酒を飲むでしょう。
恵まれた環境の中で勉強出来る人がいる一方、がんじがらめになりながら夢をかなえようとする人がこの日本の介護現場にたくさんいます。
そういう人を応援したい、一緒に育っていきたいと思っています。
それにしても、私は語学の勉強が大好き!
先生のブログは、いつも私の心をドキドキさせます。
世界中に年寄りがいて世界中に介護があって、まるで違うようでどこか根本は同じなのでしょう。
昨日のラヒホイタヤさんの書き込みにちりばめられる単語を拾ってそんな想像をしました。
国を超えてみんなで知恵を寄せ集め、自分の国の文化を紹介しあって、、、交流が出来る日もそう遠くないのだと思います。
一番忘れられないのは,前のローマ教皇ヨハネパウロが亡くなった直後に,たまたまポーランドの女の子とお話ししました。(スペインのバルセロナです)そのとき彼女は,「ヨハネはポーランド人の誇り。亡くなって悲しい」というようなことを話していたのですが,今あのときどうやって質問をし,彼女がどんな言葉で話してくれたのかは,全く思い浮かびません。
でもこうして覚えているのは,「聴こう」「伝えよう」とする思いがあったからだろと思います。
言葉を知ることは,相手をもっと知ることだとすれば,ソーシャルワークと言語は無関係ではないのかもしれませんね。
今日も
素晴らしいコメント!
根本は同じ。
逆境で学ぶ人を支援する。
苦労して学んだからこそいえる言葉ですね。
私は
そういう支援する人のお手伝い
という役回りかな。
あまり
大きな顔をしてはいかんです。
語学は
「下手の横好き」です。
知らない言葉が気になる。
新しい世界を開くのが嬉しいです。
アラビア語とか
ノルウエー語とか
(いまは捨てたのですが)
たくさん辞書やテープをもっていた。
世界を相手の行動力には
驚かされますよ。
ソーシャルワークと語学の関係
なくなった伊部英男先生が
よく言っておられた。
JUNKOさんもMaa-chanさんも「相手に伝えたい気持ち」「聴こうとする思い」に
触れていますが、私が「会話」を教えるときに学生たちにも、よく言ってきました。
「気持ち」があれば、多少文法が違っても言いたいことは通じるし、
また全部聞き取れなくても理解できるということを。
言葉が通じないときに発揮するのは、非言語の情報を
読みとる能力だと思います。
以前、蓮池薫さんのインタビューをテレビで
見たことがありますが、
言葉が理解できなかった当初、自分の安全のために
全感覚で状況判断したようなことを話しておられました。
ちょっと話がそれましたが、コミュニケーションの難しい
利用者さんとのやりとりは、そうした感覚が敏感かどうかで
変わってくるような気がします。
コメント有難うございます。
昨日は
ふだんならやり過ごす会合をのぞいて
この記事を書きました。
それで
JUNKOさん
Maachanさん
げんきさん
といった
ふだん多くの外国人そして日本人を相手にされているかたのコメントをいただきました。
どなたも
言葉は試験勉強のようなものではなく
伝えよう
理解しよう
というこころが大切というお話でした。
私が若い頃
国際会議の手伝いをして思ったことは
福祉の大先生たちは
外国の方との話を避けていましたね。
「文法的に間違ったら恥ずかしい」
といった姿勢ですね。
伝えるものがないのですか?
お聞きすることがないのですか?
とこころの中で反論していたことを
げんきさんのコメントを読んで思いだしています。
私は、外国に行く場合、まず挨拶と自己紹介だけは、相手の国の言語でするようにしています。それだけですが(^O^)
沖永良部島に行った時も、事前に方言を教えてもらい、自己紹介したところ、お年寄りの心をグッとつかみした\(^O^)/
また、どなたかがおっしゃったように、“感覚を研ぎ澄ますとき”が鳥肌が立つほど好きですね。相手の心がわかった瞬間といったら、もうそれだけでいいって感じです!
世界会議もとっても、楽しみ~~~
先生!通訳とレクチャーよろしくお願いしますね!
コメントありがとうございます。
テレマカシってのは
妻が昔、アルバイトでインドネシアの刊行事務所にいた関係でよく聞いていました。
今日の昼の会合で
乾杯をたのまれたので
「フゾンテ!」を皆さんに強制して
老教授たちの顰蹙を買いました。(ベルギービールのときに使う)。
小さな工夫でも
相手に通じたときは
嬉しいですね。
ベルギービールのベルオーブ系のお店が、
現地(ベルギー)では「乾杯」の意味だ、
と広めていますが、
「フゾンテ」は、「gezondheid」と書き、
そのままでは「健康」の意、
あいさつなどで一言で使われる際には、
「(健康に)お気をつけて」とか
「健康を祝して」といった意味です。
では現地での「乾杯」は、といったら、
オランダ語、ベルギーのオランダ語圏(フラマン語)では「PROOST」、
フランス語圏では「Votre Sante」です。
この件は、オランダ在住の日本人(女性)、
その下宿先の大家のおばさん(オランダ人)に問い合わせ、
そして私自身が
2008年にオランダ、ベルギーを旅して、
現地
(オランダ、ベルギーのフラマン語圏、フランス語圏)
にいって、何軒もビアカフェに行って、
確認してきました。
現地で「乾杯」の意味で、「gezondheid」を
使うのはまずはありえない、
「レアケース」だそうです。
ベルオーブ系のお店が
なぜそういう「思い違い」をしたか、を、
「デリリウムカフェトーキョー」の
店長(2008年当時)に聞いてみたところ、
ヒューグ醸造所の社長が来日して、
歓談した際に、社長が乾杯時に、
「フゾンテ」と言ったからだそうです。
この段階で、
関係者が「フゾンテ」=「乾杯」と
思いこんでも、
やむを得なかったかもしれません。
しかし、その後、小生は、
調べた結果を店長さんや店員さんに、
何度か、「違ってます」と
お伝えしております。
そのせいかどうかは関しませんが、
一時期はお店での「フゾンテ」の使用が
下火になったようですが、
(お店としても
今さら引っ込みがつかないのか?)
また、今年の春(2010年)頃から、
お店やデリリウムカフェ関連のイベントで
さかんに使われるようになったのは、
残念なことであります。
ちゃんと「健康を祝して!」の意味であって、
「乾杯」ではない、とわかって
言うのであれば、よろしいのですが・・・・。
「フゾンテ」はベルギー語?で
「乾杯」だという
とんでもない誤解が、
ベルギービール好きと言われている
かたがたの間に
広がっているのは、残念なことであります。
ちょっとポケット会話帳や、
ベルギーに行った時に
現地のかたにちょっと聞いてみれば
すぐわかることですのに・・・。
ご指摘ありがとうございました。
赤面のいたりです。
ドイツ語の
Gesundheitと似てはいますが
この場合も
くしゃみが出たときに
「お大事に」って
言うときの方が多いようです。
私が行きつけの
ベルギービールのマスターに
伝えます。