本能寺址 2019年03月23日 22時13分00秒 | 史跡めぐり 本能寺址。 言わずと知れた本能寺の変の舞台。 光秀の「首」と「胴」を追った最終地点は、光秀「三日天下」の始まりの地へ振り出し・・・。 小栗栖で討たれた明智光秀の「首」と「胴」は本能寺に運ばれ、晒された(「天正十年夏記」)。 その後、光秀の遺骸は、織田信孝の命により「首」と「胴」が縫合され、六条河原で斎藤利三と共に磔にされたという。 にほんブログ村 « 明智光秀首塚 | トップ | 新しい元号は「令和」 »
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