柳宗悦の、
『芸術は、国境を越える。差別を越える。』
という言葉に触れた。
先日、京都文化博物館で催されていた
『柳宗悦の民藝と巨匠たち展』に行ったときのこと。
柳宗悦が興した民藝運動の軌跡と残した言葉の数々、
柳宗悦が惚れこんだ作家――河井寛次郎、濱田庄司、
バーナード・リーチ、黒田辰秋、棟方志功などの作品が展示されていて。
そんな、薫りたつ魂たちの一つに、
柳宗悦の言葉があった。
『その国のことを疎ましく思ったとき、その国の芸術に触れるといい。
美に心が没する時、争いの情がどこにあろう。芸術は、国境を越える。差別を越える。
素晴らしい芸術を生み出す人々が生活する国を、どうして疎ましく思えようか。』
というような意味のことが書かれていて。
この言葉に触れた瞬間、
心が震えて止まらなくなった。
涙が溢れてくる。
魂を感じた。
あまりにもシンプルで、ときに陳腐でさえあるけれど、
それゆえに、深く心に突き刺さる。
『人』と『人』が、魂のキャッチボールをしている。
性別を越えて、世代を越えて、国境を越えて、時代を越えて。
それは特別な一部の人たちのことではなく、
例えば、名も無き作り手の一杯の琥珀色に、魂を見る。
俺のソウルはどこにあるのか。
どこに映るのか。
世界がまだまだ楽しくなりそうだ。
『芸術は、国境を越える。差別を越える。』
という言葉に触れた。
先日、京都文化博物館で催されていた
『柳宗悦の民藝と巨匠たち展』に行ったときのこと。
柳宗悦が興した民藝運動の軌跡と残した言葉の数々、
柳宗悦が惚れこんだ作家――河井寛次郎、濱田庄司、
バーナード・リーチ、黒田辰秋、棟方志功などの作品が展示されていて。
そんな、薫りたつ魂たちの一つに、
柳宗悦の言葉があった。
『その国のことを疎ましく思ったとき、その国の芸術に触れるといい。
美に心が没する時、争いの情がどこにあろう。芸術は、国境を越える。差別を越える。
素晴らしい芸術を生み出す人々が生活する国を、どうして疎ましく思えようか。』
というような意味のことが書かれていて。
この言葉に触れた瞬間、
心が震えて止まらなくなった。
涙が溢れてくる。
魂を感じた。
あまりにもシンプルで、ときに陳腐でさえあるけれど、
それゆえに、深く心に突き刺さる。
『人』と『人』が、魂のキャッチボールをしている。
性別を越えて、世代を越えて、国境を越えて、時代を越えて。
それは特別な一部の人たちのことではなく、
例えば、名も無き作り手の一杯の琥珀色に、魂を見る。
俺のソウルはどこにあるのか。
どこに映るのか。
世界がまだまだ楽しくなりそうだ。