おやじの誕生日。
終戦の年に生まれたおやじは、
今日で60歳。
18歳のときに、
徳島の山奥から大阪に出てきて、42年。
そこからずっと同じ会社に通いつづけて、
今日、定年を迎えた。
振り返れば、そこには、
一日一日を食いつなぐだけで懸命の暮らし。
安物の服を着て、安物の酒を飲んで。
金のかかる遊びには縁がなかった。
外で飯を食うことすら、
半年に一度あるかないかの家庭だったけれど、
おやじもおかんも、
そんなことで悲壮感を漂わせたりはしなかった。
家族を抱いて、
ふらふらになりながらも、
倒れず、朽ちず。
一つの山を登りつめた。
今日。
病気がちなおかんは入退院を繰り返しながらも、
まだなんとかこっちの世界で笑ってて。
一番上の兄貴は、相変わらず家にいるけど、
もう29年も生きてくれている。
真ん中の兄貴は、先月結婚して、
幸せになった。
で、一番下の俺は、再来月で24になる。
俺は今日、仕事を駆け足で終えて、
帰り道のコンビニで、
1リットルの一番搾りを買った。
いつからか発泡酒ばかり
飲むようになったおやじと一杯やりたくて、
バイクを飛ばす。
家に帰りつけば、時計はまだ9時過ぎ。
だけども既にもう、
布団の中で眠たげなおやじがいて。
「おとん、おつかれ。ビール、よかったら」
と声をかけると、
「おお、明日飲むわ」
と布団の中から、返事がある。
それでもう、じゅうぶんだ。
朝がきたら仕事に出ることの“当たり前”を、
42年間、貫いたおやじと、
何度も死にかけながら、
“生きているだけで感謝”が、口癖のおかんと。
二人の痩せっぽっちな背中に、力強い輝きを見て、
なんだかその眩しさに、
それ以上どうかっこよく生きれるんだろうかと、
涙をこらえた。
“ありがとう”なんて
口がさけても呟きはしないけれど、
マディの『FATHERS AND SONS』が心地よかった。
終戦の年に生まれたおやじは、
今日で60歳。
18歳のときに、
徳島の山奥から大阪に出てきて、42年。
そこからずっと同じ会社に通いつづけて、
今日、定年を迎えた。
振り返れば、そこには、
一日一日を食いつなぐだけで懸命の暮らし。
安物の服を着て、安物の酒を飲んで。
金のかかる遊びには縁がなかった。
外で飯を食うことすら、
半年に一度あるかないかの家庭だったけれど、
おやじもおかんも、
そんなことで悲壮感を漂わせたりはしなかった。
家族を抱いて、
ふらふらになりながらも、
倒れず、朽ちず。
一つの山を登りつめた。
今日。
病気がちなおかんは入退院を繰り返しながらも、
まだなんとかこっちの世界で笑ってて。
一番上の兄貴は、相変わらず家にいるけど、
もう29年も生きてくれている。
真ん中の兄貴は、先月結婚して、
幸せになった。
で、一番下の俺は、再来月で24になる。
俺は今日、仕事を駆け足で終えて、
帰り道のコンビニで、
1リットルの一番搾りを買った。
いつからか発泡酒ばかり
飲むようになったおやじと一杯やりたくて、
バイクを飛ばす。
家に帰りつけば、時計はまだ9時過ぎ。
だけども既にもう、
布団の中で眠たげなおやじがいて。
「おとん、おつかれ。ビール、よかったら」
と声をかけると、
「おお、明日飲むわ」
と布団の中から、返事がある。
それでもう、じゅうぶんだ。
朝がきたら仕事に出ることの“当たり前”を、
42年間、貫いたおやじと、
何度も死にかけながら、
“生きているだけで感謝”が、口癖のおかんと。
二人の痩せっぽっちな背中に、力強い輝きを見て、
なんだかその眩しさに、
それ以上どうかっこよく生きれるんだろうかと、
涙をこらえた。
“ありがとう”なんて
口がさけても呟きはしないけれど、
マディの『FATHERS AND SONS』が心地よかった。