新潮45杉田先生の論文に始まって、新潮が擁護特集を行い、急転直下の#新潮45休刊 。
政権までが再三言葉狩りに遭っているにも関わらず、わざわざ敵に餌を与える言葉を用いた #杉田水脈 先生の責任は免れないだろう。
総理がしばき隊に暴言を浴びせられて「こんな人たち」と言われたことを執拗に攻撃されていることをご存じないわけはなかろう。
保守側にも脇の甘い人が多すぎる。
ただし、私は杉田先生に辞職を求めるものではない。別の問題において朝鮮系が絡む闇に切り込んでいるからだ。
しかし、ここまで騒ぎを大きくしてしまった責任は何らかの形で問われねばならないだろう。
これにより、差別排除という名目の言論弾圧が加速しそうな気がする。 それは断じて許してはならない。
左側は、権力が行うものでは無ければ弾圧にはならないと称している。政権だからダメで非政権ならいい。左ならいい右だからダメ。
日本国憲法にそんな規定があるのか?
第十九条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。
第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
○2 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
最後になるが、先生の主張は、こういう柔らかい表現でよかったのではないか?
別の例えをして、どうしても十分な食糧が届かないときに、同じ3人家族だと言って、夫婦と乳児の家と、成人3人の家とを平等平等で扱うのはおかしいのではないか、そこにはどうしても優先的に配分する順番が生じてしまう、と。
悔しいが、マスコミ主権、衆愚主権の現状では守りに入らなければいけないこともある。
保守派は左側から、24時間365日、絶えず狙われているのだ。