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第四章 JR体制への移行と国労の闘い
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第一節 国鉄分割・民営化関連法の成立と新会社への移行準備
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├○ 一 日本のバブル経済と東欧諸国の動揺 │
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東欧社会主義諸国の動揺
1987年から88年にかけて米ソ首脳がそれぞれ相手国を訪れ、中距離核戦力( INF ) 全廃条約に調印し、批准書を交換した。
この米ソ和解の波は、ヨーロッパにもおよんだ。89年3月から、中距離ミサイルの撤去につづいて通常戦力削減交渉がはじまり、ゴルバチョフは500発の戦術核兵器の一方的撤去を発表し12年間で兵力50万人削減することを決め、ワルシャワ条約機構首脳会談にのぞんでは、東欧諸国を締めつけていたブレジネフ・ドクトリンを否定する方向を明確にした。
この年( 89年) 、ハンガリーで複数政党制と街頭デモが自由化され( 1月) 、ポーランドでは政府. 連帯間で大統領制の導入、議会二院制などが合意がされ( 12月) 、連帯主導のマゾヴェツキ連立内閣が成立した( 9月)・チェコスロバキヤでも民主化要求のデモが行われ、連邦議会が共産党一党独裁廃止などの憲法改正を可決した( 11月) 。ハンガリー政府が東ドイツ市民の西側への出国を承認した9月、1万人以上の市民が西ドイッヘ出国し、東独第2の都市ライプチヒなどで自由選挙、自由旅行を要求するデモが毎週月曜日に行われ、他の都市でも数十万規模の民主化要求デモが繰り返されるようになった。10月、東独ホーネッカー書記長が解任され、11月8日、クレンツ新書記長が自由選挙などの制度改革を提案、翌9日には西側への旅行と出入りを自由化した。
このとき「ベルリンの壁」は崩壊し、10日から壁そのものの撤去がはじまった。ルーニアでは軍隊が市民側につき、市街戦のすえチャウシェスク政権が崩壊した( 12月) 。
同年5月に中国を訪れ郵小平と会談して中ソ和解をなしとげていたゴルバチョフは12月、地中海のマルタ島沖でブッシュ・アメリカ大統領( 89年1月就任) と会談し、両首脳は米ソが「冷戦」に別れを告げ・「長い平和の時代」に入ったことを確認し合った。
続く
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