国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

 国鉄当時を知る方に是非思い出話など教えていただければと思っています。
 国会審議議事録を掲載中です。

第5代国鉄総裁 石田礼助とは 第10話

2021-08-31 08:04:15 | 国鉄総裁

気がつけば、1ヶ月以上明けてしまいました、今回も石田礼助総裁のお話をさせていただこうと思います。

石田礼助総裁は、昭和39年度の予算で400億円復活と国鉄基本懇談会の設置が行われ「頭をなでられたわけです、とてもこんなことでは国鉄としての使命を尽くすことは出来ぬ」と左手を腰に当てて世を反らせて、代議士たちを正に睥睨しての発言であった」
と、粗にして野では書かれていますが、昭和39年2月7日の衆議院運輸委員会第五号に、その当時の運輸記録が残されていますので、参照してみたいと思いますが。

この質問に至る背景には、田中織之進議員【日本社会党・左派】が、政府の国鉄に対する取り組みについて、総裁としてどのように考えているのかという質問から来たものでした。

そこで、石田総裁は以下のように述べたそうです。
以下、長くなりますが誤解の無いようにするために全文引用したいと思います。

○石田説明員 お答えいたします。
 御承知のとおり、国鉄は戦時におきましてだいぶ打ちこわされた。戦後においての修理というものも、ようやくほんとうに真剣にかかったのは昭和三十二年からです。それまでというものは、ほんとうの寡少資本の投資によって十分の修理もやらなければ、また輸送力を増強することもやらぬ。一方に経済というものはしんしんとして発展いたしまして、輸送需要というものは非常にふえてきたというようなことで、第一次五ヵ年計画では主として修理の問題、輸送力の増強というものもありますが、これはきわめてわずかなものです。それをやっておるうちに、とてももう追っつけないというようなことで、途中で第二次五ヵ年計画というものを立てまして、それが四十年に完成すると、そこにおいて輸送力の増強というものも相当にやるということになったのでありますが、いろいろの財政上の都合で三十八年度までには六割を完成しなければならぬのがようやく四割しか完成しない。そこで、こんなことではとても国鉄としては輸送使命を遂行することはできぬ。一方に世界にも珍しい過密ダイヤのもとに運転している。したがって、あやまって事故でも起こるというと、連鎖反応によって大きな事故になる。ここにおいて何とかひとつやらなければならぬということで、私は国鉄総裁として総理大臣に対して第二次五ヵ年計画はあと三十九年と四十年の二年しかないのだから、その間に残りの六割をぜひ完成するようにしたいので、予算をぜひ考えてもらいたい、こういうことでお願いしたのでありますが、御承知のとおり財政投融資その他において千億ばかり打ち切られた。三拝九拝の後、ようやく債務負担というような、ことしには金の使えない、来年になってようやく金の使えるようなもので四百億円、そのほかに百億円というようなことで、頭をなでられたわけです。とてもこんなことでは国鉄としての使命を尽くすことはできぬ。この改善策を一体どこにわれわれは求めるか、こういう問題であります。

国鉄としては、それまでも少ない予算をやり繰りしてきた、第二次五カ年計画も計画の半分を過ぎたが未だ、4割であり残り2年で実行するための予算を請求したのに、債務負担行為として400億円、他に100億円が認められたとしていますが、大いに不満が残るとしています。

ここで、債務負担行為について解説を加えさせていただきますと。
債務負担行為とは、会計年度を跨いで事前に予算を確保すると言う意味合いのものです。

例えば、自動車を購入するのに現金で買いたいのですが、手持ちの現金が200万円しかなく、購入したい自動車が300万円の場合、200万は現金で払って、残り100万は来月払うと言う約束をして車の引渡を受ける、そんなイメージです。
国や地方自治体の会計では、債務負担行為は次年度の予算で支払いを確定させてあるものであり、予算を他に流用することは出来ません。
ですので、総裁としても枠として純粋に財政投融資などから受け入れられたわけではなく、借金の先送りのような方法で、決着をつけさせられたことに対して、不満があったと思われます。

さらに、石田総裁は、国鉄の輸送力増強工事は、所得倍増計画と対をなすものであり、こうした国鉄の改良計画などは、「国鉄ばかりでなくて、大蔵省、通産省、それから国会議員その他の方々に入っていただいて、政府の案として計画を立てるように、そういう意味からして委員会をひとつ設置していただきたい」という風に、国鉄だけが長期計画で輸送力増強等しているわけではなく、政府全体の問題として取るあえげるべきだとして、堂々と語っています。

このように、石田礼助総裁の答弁は、官僚出身でないことで、所謂、しがらみがないという点で良かったわけで、石田礼助総裁も指摘しているように、経済成長と国鉄の輸送力増強はセットであり、改めて国の政策として取り上げるべきではないのかという極めて正論を述べています。

しかし、政府の考え方は引き続き、国鉄に対しては冷たいものでありました。
結局、総裁は昭和40年度を初年度とする長期計画を立てることになりますが、それにより更に国鉄の財政は追いやられていくことになるのですが、その辺は改めてアップしてみたいと思います。

以下で、今回の運輸委員会の議事録全体を読むことが出来ます。

併せてご覧ください。

第46回国会 衆議院 運輸委員会 第5号 昭和39年2月7日

 

 

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