あれから12年。
犠牲者の方々の13回忌です。
当時、伊丹の昆陽(こや)に住んでた兄家族は、
マンションに亀裂は入ったけど、幸運にも無事でした。
それが分かったのは震災の三日後でした。
テレビのニュースは信じられない光景を映してました。
人々は倒壊したビル・家を見て、耐震の重要性を認識したはずなのに、
専門家の建築屋連中が起こした、耐震強度不足問題。
大惨事の教訓が生かされてない現実。
年月とともに薄れる認識
犠牲者は何を思う。。。
犠牲者の方々の13回忌です。
当時、伊丹の昆陽(こや)に住んでた兄家族は、
マンションに亀裂は入ったけど、幸運にも無事でした。
それが分かったのは震災の三日後でした。
テレビのニュースは信じられない光景を映してました。
人々は倒壊したビル・家を見て、耐震の重要性を認識したはずなのに、
専門家の建築屋連中が起こした、耐震強度不足問題。
大惨事の教訓が生かされてない現実。
年月とともに薄れる認識
犠牲者は何を思う。。。
被災者は、もっともっとたくさん居て、主人の実家には義姉と小学生の姪が少しの間帰って来てました。
むこうにいると姪が怖がって夜に寝ないから。
その姪も、今は結婚し一児の母。
年月は過ぎても、癒されない心の傷はあるそうです。
テレビをつけてみた衝撃、、何も此処からは出来ない
ジレンマで、救援に出向く方へ激励や、カンパという形でしか手助けできない自分が情けなかったです。
どんなに時が流れてもあの日のことは忘れてはいけないことだし、教訓としてたくさんの事が残されたはずなのに、、建築基準を守らないビルを作ったりする人間の浅ましさも感じた年月でした。
どうか、人の痛みや人間の愚かさを何時までも忘れないで居て欲しいです。
どんなに科学が進んでも、自然災害で毎年沢山の方が亡くなっています。
それなのに、耐震強度の偽造などという 自分の私利私欲を満たす為に、人の命の危険にさらすような事を平気でやる人間もいる。
失われたら二度と帰って来ない命。
考えると涙が出てきます
災害の恐ろしさ
失われたら二度と帰らぬ命の尊さ
肝に銘じて、忘れてはいけないのです。
朝起きたら大変な事になっていて、夫と呆然とテレビを
見ていました。
沢山の方々が亡くなられ、他人事ではありません。
ちょうど母が危篤の時に日本海中部沖地震がありました。
父の学校はあちこち壊れ、住んでいた校長官舎は全壊。
そして母が危篤で伯父が父を車で迎えに行ったのですが、
道路が陥没していて通れない。
あの時の事を考えると、記憶がないくらいです。
地震は本当に怖いです。
忘れてはいけませんね・・・
今年で12年なのですね・・・。
大阪の上新庄に住んでる姉のマンションも外壁のタイル等が破損して修復に大変だったとか・・。
芸予地震の時もかなり怖い思いをしたのを覚えています。
今朝の事旦那が地震保険に改めて入らないといけないな~ってつぶやいてました。
緊急持ち出し袋をきちんと作っておかないとダメですね。
あの地震で、子供の頃に発生した新潟地震を思いだした・・・確か東京オリンピックの年だったかで実家がテレビを買った時だった。で、地震のニュースをテレビで見て凄く怖かった記憶が。
ニュースで見るだけですが、一度は行ってみたいです。
芸予地震は、まさか愛媛に大きな地震など起こりっこない、などと変な安心感を持ってた私に、油断するなとおもい知らされました。