ピース・ダイアリー

競わないで、奪わないで、争わないで。
分けあって、話しあって、助けあって。
この世が、そのようであったらいい、と。

親愛の情と雄々しさ

2012年02月27日 14時48分50秒 | 日記
 この2月7日、第7回東北サミットが開かれ、そこで作家の玄侑宗久さんが特別講演をされて、その要旨が新聞に載っていました。福島県在住で、僧侶もなさっていますが、次のように。

「東日本大震災が起きた時、日本人は冷静に対処し、お互いを助け合った。それを見て、世界が日本人、東北人を称賛した」

「東北地方は縄文時代、狩猟採集文化の中心地だった。集団で生活する力があり、殺人事件もなかった。東北の人々は人間関係が濃い。縁側から近所の家にあがって、お茶を飲み、親愛の情を示す文化がある。こういう文化は煩わしい一面もあるが、いざという時のセーフティーネット(安全網)になる」

「だが、この国が高度経済成長の中で進んできた方向は、そういう文化を煩わしいものとして排除することだった。社会は核家族化し、『孤食』や『無縁社会』という言葉がはやった。しかし、震災を経て、日本人が進んできた方向が『違う』ということが確認された」

「東北地方は経済発展の面で中央都市より遅れているものの、親愛の情や(厳しい自然を生き抜く)雄々しさが残っている。『絆』や雄々しさこそ震災後、世界から称賛された東北の底力だ」

 いかがですか、なるほどと、うなずけますが、わたしには。そして、このあたりもそうだった、と。いろいろと、昔のことを思いだしました。お元気で。

1 コメント

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21世紀のルネッサンス (あかいとり)
2012-02-28 15:15:07
東北人の性向の麗しさ! それは少し時代を遡っては日本人全体であり、また世界中の人類にも当てはまる人間としての普遍的資質、麗しさであったろうと思われます。

そうでなければ、あの災害時、そのニュースを見た異民族に感動を与えることも無かったことでしょうから。

現在の物質文明爛熟の中、奇しくも本来の芳香が残る東北によって、忘れ去られそうだったあるべき人間のありよう、雄々しさ麗しさを感動をもって思い起こさせてもらえました。

これからは、末世とも云いたい程のこの大きな犠牲を伴った災害によって指し示されたもの、且つては無碍に置き去りにしてきた麗しいものを再度確認して、大きく人間性を回復させたいものです。


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