Nurseのホジキンリンパ腫闘病日記

現役看護師のホジキンリンパ腫の闘病日記です。
同じホジキンリンパ腫で苦しんでる人に役立てばと思い書くことにしました。

ABVD2クール目の2回目

2012-05-30 22:37:10 | 日記
2クール目1回目をしてから15日目に2回目投与です。

今回もワイパックスをのんでから投与開始です。おかげさまで血管痛はなし。看護師さんとともに彼氏が点滴ルートにアルミホイルを巻くのも恒例行事となりました。その夜から吐き気が出てきました。これも恒例?となりつつありました。次の日以降も吐き気はありますがまったく食べられないということはなく、果物やそうめんを少しずつ食べていました。
舌や口周りの神経痛、一週間たって筋肉痛で眠れない日、胃重感で食べられない日々、繰り返される副作用の数々。

脱毛もすでに始まっていましたが、もともと髪が多いせいか薄くなったと感じることはずっとなかったです。でもさすがにこの頃には、頭頂部からずいぶん薄くなりました。抗がん剤をする前、強気に脱毛くらい、また生えてくるんだから平気、平気。と思っていたのに、、、いざはげてきた頭を見ると、はぁ~とため息ばっかり。ついつい弱音も出てしまいました。なんでこんな目に遭わなくちゃいけないのか、、、また同じ精神状態の繰り返しです。

看護師になって3年目の時に、当時の自分の年齢より2歳上の卵巣がんの患者さんの受け持ちになりました。手術をして抗がん剤をしましたが、すぐに再発。その後もいろんな種類の抗がん剤をしましたが、良くなることはなく、発病から一年ほどで亡くなりました。その患者さんが当時言っていたことが「なんで私なんだろう。」。人生経験も看護師経験も未熟なあたしにはもちろん掛けれる言葉もないままでした。当時自分の中で思っていたことは、彼女へのこの試練はきっと彼女なら乗り越えられると思って与えられているんだと。今思えばとても浅はかは思いです。結局彼女は亡くなってしまったんですから。癌と言われたあたしに同じように「あなたなら乗り越えられる試練だと思って、あなたは癌になったんです」なんて言われたら、怒りまくりですよ。

人生って公平なんですかね?じゃあ公平って何なのかとも思います。「生きること」や「人生」について題材にした人の話や本やテレビで心に残っているフレーズがあります。
「苦労のあとには幸せがある」「人生は苦と楽が同じだけある」

生きるということは楽しいことばかりじゃなく、苦しいことにも直面します。生きていることが苦しくなる出来事も起こると思います。生きることが必ず幸せだ!とは言えないんじゃないでしょうか?

つらつら答えのないことを書きましたが、病気がわかってからわたしはずっと生きるとはどういうことなのか、かなりの難問をああでもない、こうでもないと色々と考えているのです。自分の人生を振り返り、この先この病気とどう向き合い、付き合っていけばいいのか・・・。癌になるって不幸なことと感じることも多いけど、ただ単に不幸な出来事で終わらせたらもったいない気もして。
もしかしたら自分の考えようによったら、癌になったこともプラスに思えることもあるのではないかと、抗がん剤をしながら試行錯誤していました。

2クール目が終了して、外来治療でも治療継続可能との判断にいたり、8月下旬に退院の運びとなりました。これからは自宅での闘病生活となります。

ABVD2クール目の1回目

2012-05-26 00:18:16 | 日記
抗がん剤の効果に関して、1クール目の1回目が終わってからレントゲンを撮りましたが、腫瘍の大きさに変化はありませんでした。こんなに辛い思いをしたのに、と思いましたがまだまだこれから・・・1クール目の2回目が終わってからもレントゲンを撮りました。先生が嬉しそうに画像を病室に持ってきて「いいニュースだよ」と。一目瞭然で腫瘍が小さくなっているのがわかりました。俄然治療を頑張る気持ちがでてきましたよ。

1クール目2回目が終わって、けっこう好中球が低下してしまいましたので、2クール目は3週間あけて投与しました。

2クール目1回目、わたしにはもう予測性の吐き気が出現してしまいました。抗がん剤を思い出しただけで、体が辛い時間を思い出して気分が悪くなるのです。後々までこの症状に苦しめられました。自分なりに色々調べましたが、抗がん剤の投与中に薬で眠るとかリラクゼーション方法をとったり、予測性吐き気をなくす画期的な方法はないようです。脳の記憶というものは怖いものですね。癌看護に携わっていたがためにいろんな患者さんを看ていましたから想像力も働いてしまって・・・副作用について「なるようにしかならない」と開き直ったり、詳しく知らない方が吐き気や嘔吐もなく過ごせるんじゃないかと患者さんを見ていて思います。色々心配ですが、あまり調べすぎて想像を膨らませすぎないことも大事だと思います。
私はワイパックスという気持ちを落ち着かせる安定剤を点滴の日に内服することになりました。眠くなりますので、眠っている間に点滴が終わっていればラッキーですが、、、うとうとしながら点滴開始。バックミュージックには大好きなビヨンセを聴きながら。

うとうとしている間に点滴終了。結果から言いますと、吐き気に効果があったかと言うと、う~ん?っていう感じ。ただ、難しいことを考えずにうとうとできるし、点滴が終わってからも夜まで寝ていられるので、内服していたほうがましかなあ、という感じです。

相変わらず、吐き気食欲低下に胃重感、あごと舌の神経痛出現。色々な胃薬を種類を変えて試しましたがどれも効果がなく、日にちが過ぎるのをただ待つのみです。だるさ、筋肉痛、・・・出現する副作用が決まってきたようです。また、一週間たったら白血球も下がってきて皮下注射を5日間投与。今回は白血球が下がってくると口内炎もできました。一個ですがかなり大きいのができてしまったので、食欲が戻ってきつつありましたが、口内炎のせいでまた食べられなくなりました。

毎回ですが、副作用から解放され思う存分食べたいものを食べて、減った体重を戻す。戻ってきた頃にまた抗がん剤投与。食べられなくなり、せっかく戻った体重が減少。副作用から解放された数日でまた必死で食べて体重を戻す。そのパターンになりつつありました。副作用の期間は耐えて耐えて、副作用が良くなると体力と気力とを回復させるために必死でした。そう過ごすことがそのときのあたしにとって一番大事な仕事だと思っていました。


なんであたしがこんな目に遭うのか、なんであたしだったのか、この病気になったことに意味があるのか、答えのない問題の答えを探していました。眠れない夜もありました。心が苦しくて苦しくて夜一人になったらしくしく泣いた日もありました。
日々あたしの担当をしてくれる看護師さんたちが普通に働いていてうらやましくもありました。ひねくれていましたね。
一方で支えてくれる人たちのために絶対病気には負けない。どんなあたしもあたし。たった一人の人間です。この先どういう形になろうとも一生懸命生きた証を残したい。生きている姿を見て欲しい。そう思っていました。


ABVD1クール目の2

2012-05-15 12:13:40 | 日記
ABVD療法1クール目の2回目をする前日
白血球2500
好中球1000
に低下していましたが、予定通り2回目の投与となりました。今回も万全を期して血管痛はなし。直後から食事量は減りましたが、前回よりも少しずつは食べれていました。体のなんとも言えないだるさも、前回よりはましでした。しかし、今回は新たな副作用がいくつか出てきました。一つ目は、3日目から物を噛むとあごに痛みが走るようになりました。その次の日からは舌全体も痛くなり、奥歯も痛くなりました。つばでもしみて痛みを感じ、かといって唾液を吐き出して口を乾燥させると余計に痛みが走り、何も食べられなくなりました。痛み止めも全く効かなかったです。その痛みで夜も眠れず、一日中洗面所の前でうがいをしていました。神経障害が出ていたと思います。先生も看護師さんもこんな副作用はあまり聞いたことがないと言われ、自然に治るのを待つのみでした。全く食べられなくなり、痛みは5日間持続しました。二つ目は5日目から筋肉痛が出てきました。この痛みも痛み止めは効かず、時々筋肉にぴくっと強い痛みと痙攣が起こり、体をじっとしていられなかったのです。これでも不眠が続きました。唯一効果があったのはストレッチとマッサージです。血流がよくなるとましになるようでした。筋肉痛は3日間持続しました。さらに三つ目は胃重感です。ちょっと食べるだけでも胃が重くなり、消化が全く進んでいない感じでした。これは一週間以上持続していました。白血球も低下してきて好中球が100台になり、好中球をあげる皮下注射を打ちました。3日間打ちましたが、好中球はさらに低下して10台に・・・結局6日間続けて皮下注射をしました。皮下注射をして3日目辺りから腰が砕けそうなほど痛みが出てきました。これは骨髄で白血球、好中球を造ろうとするため出てくる症状のようです。これには痛み止めが効きましたから一日3回痛み止めを飲みました。さらに、指のしびれも出てきました。しびれには効く薬はないようで、ビタミンをとると緩和することもあるとのことで、ビタミンタブレットを毎日食べるようにしました。あとはガンダムプラモデルを造って指の体操です。彼氏の影響でガンダムファンになりまして・・・
結局今回も新たな副作用が出てきて、体調が戻るのに2週間かかってしまいました。もちろん(?!)副作用で苦しんでいる時間は涙涙の毎日でした。抗がん剤っていうものは、癌には効くものですが、心には毒ですね。つくづく思います・・・。

ABVD1クール目の1

2012-05-10 16:03:34 | 日記
初めの治療計画としては標準治療のABVD療法を6~8クールと放射線治療を行う予定にしていました。
6月29日、初めてのABVD療法を受けました。部屋には大好きなビヨンセのライブDVDを流して、出来るだけ気持ちを抗がん剤に集中しないようにしました。イメンドという強めの吐き気止めを飲んでから点滴の針を挿入。でも針を挿入するのに3度の失敗があって、先生も手に汗をかくほど焦っていましたけど、なんとか細い針で針の留置に成功。。。薬に対するアレルギーはなし。でも、ブレオを投与中に胃の辺りに不快感が・・・吐き気を感じました。ダカルバジンによる血管痛も腕を温めることと薬本体と点滴のルートにもアルミホイルで遮光をしてもらうことで、あまり強いものはなく終了しました。。。ダカルバジン投与中はブラインドを閉めて、蛍光灯も暗めにしていたような記憶があります。


一度目の投与の後は副作用が強くて、辛いつらい一週間でした。吐くことはなかったのですが、吐き気と食欲不振に陥り、食事をまったく食べられなくなり、水分もなんとか飲める程度。先生に点滴をしようと何度も勧められましたが、点滴をしてしまうと外来での抗がん剤治療に移れないので、なんとか自力で回復できるように必死でした。ポッコリお腹が陥没みたいに凹んでしまい、トイレにも体をくの字にしてなんとか行ける程度、病室の外に出るのには車椅子に乗らないと足の力が入らないほどでした。抗がん剤をして3日間はとにかく眠くて眠くて、ほとんど眠って過ごしました。病気がわかるまでに痩せてきていたのですが、それに加えて食べられない日が続いたため、健康なときに比べて体重は10キロも減ってしまいました。体が辛いと気持ちまでマイナスになってしまい、「なんであたしがこんな目に遭うのか」「あたしの人生のなにが悪くてこんな罰が当たったのか」「もう投げ出したい」と、ふさぎこんでしまいました。
そんなあたしを見ていた彼氏はなんとかあたしの気持ちを奮い立たせようと車椅子で外に連れ出してくれ、冗談を言って笑わしてくれたり、あたしの反応が薄くても話かけ続けてくれました。本当に感謝です。あたし一人では乗り越えられなかったと思います。両親はあたしのことが可哀想と思いどんな言葉をかければいいのか、どういう風に接したらいいのか戸惑っていたんだと思います。あたし以上に娘の病気を受け止められていなかったと思います。それを察していた彼氏は誰よりもあたしに寄り添っていてくれたと思います。
抗がん剤をして5日目あたりから少しずつご飯が食べられようになり、一週間をすぎたころには吐き気がなくなり、食欲が全快に戻っていました。朝起きたら、「あれ、食べられる!」と、急に食べられるようになっていたんです。病院食に加えて餃子、焼きそば、お好み焼き、グラタンと味の濃いものを食べていました。この時期には味覚障害が起こっていたんだと思います。病院食の味が薄く感じていました。減った体重を全力で取り戻すようにとにかくカロリーの高いものを食べていました。
体がらくになると、気持ちもプラスに考えられるようになり、次の治療もなんとか乗り切ろうと思うようになりました。

あたしを支えてくれるみんなに感謝です。今思い出しても苦しい時間でしたが、みんなのためにもあたしは生きていきます。
そんな気持ちで次の治療を迎えたのです。

準備

2012-05-09 02:22:16 | 日記
今日は抗がん剤治療に向けての準備について私がしたことを書きます。
まずは心の準備です。病気の正体がわかり、あとは相手を知り向き合うだけになったとき、とにかく病気に勝ってやるという気持ちで自分を奮い立たせていました。マイナスなことを考えて泣くこともあったけど、前を向いている時間もあったし、できるだけしゃべって笑って、プラスなことを考えるようにしました。看護師として7年間、癌患者さんをずっと看てきましたので、抗がん剤をすればどういう状態になるかは想像がつきました。気持ちが落ち込むこともあるだろうけど、負けない気持ちを常に持っていこうと心に決めました。実際は私が想像していたよりもはるかに辛い闘病生活になりましたけど・・・支えてくれるみんなのためにも頑張ろうと気持ちを強く持つようにしました。
そして脱毛についてです。外見が変わってしまうことですから、嫌じゃないと言えば嘘になりますが、吐き気や吐いたりしてご飯が食べられなくなることのほうが嫌だったので、脱毛についてはそれほど苦には感じていませんでした。なので、もともとは肩甲骨までのロングヘアーでしたが、抗がん剤をすると決まった日に、彼氏に肩の上までカットしてもらいました。長いままだと抜けてきた時に掃除が億劫になりますから・・・あとは帽子など被るものの準備です。普通の帽子屋さんに行き店員さんに抗がん剤で抜けた時に使うためと話し、通気性が良くファッション的にも被れる帽子を選んでもらいました。ピンクや白のカラフルなものを3枚購入しました。ウィッグの購入は急いでいませんでした。仕事復帰をして髪が薄かったら必要になるだろうけど、それまでは敢えて買う必要はないと思いました。帽子の生活を楽しもうと思っていました。脱毛は仕方がない、それよりも次に生えてくる髪がいい髪であるように頭皮ケアをしっかりとしていくことの方が大事だと、患者さんにも話していましたから。。。シャンプーとリンスはふんぱつして無添加のものを購入しました。

準備期間は一週間程度でした。準備と言っても楽しいことではないので、正直逃げ出したい気持ちがいっぱいでしたが・・・もうここまで来たら腹をくくって治療を受けるだけですね。。。