色々ありましたが、自分の家での治療生活が始まりました。生活の場所が変わっても襲ってくる副作用は一緒で、胃の不快感がしばらく続きました。まだ沢山は食べれませんでしたが、食べたいものや食べれそうなものを彼氏に作ってもらったり自分でもキッチンに立つようにしていました。また、夕方には散歩をするようにしました。初めは体力の回復を目指して毎日少しずつ散歩を始めましたが、歩いているともやもやしていた気持ちの整理がつき、また頑張ろうという気持ちになりました。
一日一日を大切に、今日出来ること、今日やろうと思ったことは明日に回さずにやりました。昨日やっとけば、と後悔はしたくありませんでした。今日を生きていることに感謝し、苦しみも悲しみも楽しみも嬉しさも生きているから感じれるものだと思い、精一杯生きるようにしました。
白血球が下がり、回復がゆっくりになっていましたので、主治医の先生は無理をせずに外来治療を継続していくように話してくれました。合併症が起こってしまっては元も子もないですから。
3週間あけて3クール目投与です。今回もワイパックスをのんでスタート。朝9時より投与開始となり投与中はうとうと眠り投与が終わるのが昼過ぎです。自宅へ帰ってからも眠たくて夕方までは眠ることが出来ました。しかし、辛いのは夜からです。夕方一度起きると吐き気に襲われました。また、病院にいるときは感じたことがなかったのですが、自分の体が抗がん剤のニオイなのでしょうか、なんとも言えないくらい臭くにおい、寝ていられませんでした。嗅覚がおかしかったのかもしれません。吐き気とにおいに苦しみ、ふらふらしながら夜中中眠れずに過ごしました。2日目には少しましにはなりましたが、2週間はいつもの関節痛、胃重感に苦しみました。病院にいるときは抑制されていた気持ちですが、自宅にいると感情がいっぱい溢れ出し、食べられない期間はテレビで芸能人が当たり前のようにご飯を食べているのを観るだけで、「なんで私がこんな苦しみを受けないといけないのか」と怒り泣きしていたことがよくありました。そんなことを聞いているだけで彼氏も苦しかっただろうに、そのたびに彼氏には慰められました。
今回は一週間すると白血球が1600まで下がり、2週間目には700まで低下。熱はでませんでしたが、扁桃腺が腫れて、しんどさが少しありました。さすがに白血球が700と聞くと、自宅安静をしていましたが、数日もすれば体調はよくなりましたので、毎日1時間の散歩で体力と食欲の回復も早かったように思います。
一日一日を大切に、今日出来ること、今日やろうと思ったことは明日に回さずにやりました。昨日やっとけば、と後悔はしたくありませんでした。今日を生きていることに感謝し、苦しみも悲しみも楽しみも嬉しさも生きているから感じれるものだと思い、精一杯生きるようにしました。
白血球が下がり、回復がゆっくりになっていましたので、主治医の先生は無理をせずに外来治療を継続していくように話してくれました。合併症が起こってしまっては元も子もないですから。
3週間あけて3クール目投与です。今回もワイパックスをのんでスタート。朝9時より投与開始となり投与中はうとうと眠り投与が終わるのが昼過ぎです。自宅へ帰ってからも眠たくて夕方までは眠ることが出来ました。しかし、辛いのは夜からです。夕方一度起きると吐き気に襲われました。また、病院にいるときは感じたことがなかったのですが、自分の体が抗がん剤のニオイなのでしょうか、なんとも言えないくらい臭くにおい、寝ていられませんでした。嗅覚がおかしかったのかもしれません。吐き気とにおいに苦しみ、ふらふらしながら夜中中眠れずに過ごしました。2日目には少しましにはなりましたが、2週間はいつもの関節痛、胃重感に苦しみました。病院にいるときは抑制されていた気持ちですが、自宅にいると感情がいっぱい溢れ出し、食べられない期間はテレビで芸能人が当たり前のようにご飯を食べているのを観るだけで、「なんで私がこんな苦しみを受けないといけないのか」と怒り泣きしていたことがよくありました。そんなことを聞いているだけで彼氏も苦しかっただろうに、そのたびに彼氏には慰められました。
今回は一週間すると白血球が1600まで下がり、2週間目には700まで低下。熱はでませんでしたが、扁桃腺が腫れて、しんどさが少しありました。さすがに白血球が700と聞くと、自宅安静をしていましたが、数日もすれば体調はよくなりましたので、毎日1時間の散歩で体力と食欲の回復も早かったように思います。