Nurseのホジキンリンパ腫闘病日記

現役看護師のホジキンリンパ腫の闘病日記です。
同じホジキンリンパ腫で苦しんでる人に役立てばと思い書くことにしました。

急な告知

2012-04-30 12:08:59 | 日記
彼氏についてきてもらい総合病院を受診して、まずCT検査をしました。只者じゃない相手に医者6人くらいが私の画像を取り囲んでいるのが、一瞬開いた扉の向こうに見えました。そのときはまさか自分の画像を見ているとは思わなかったのですが、外来の待合にいるのは気づけば私たちだけで・・・

診察室に呼ばれて医者たちの顔が険しく、軽い問診のあとに「急速にこんなに大きな腫瘍ができているってことは悪性の可能性が高いよ。」と言われ、転移を疑われ、すぐに肝臓のエコー検査をしました。
はじめは肺がんを疑われ、もちろん喫煙しているんでしょうっていう感じで先生に質問され・・・喫煙なんてしていないと言ったら、え~!!って。
その日のうちに手術室で針生検を実施。。。大まかな細胞が判定され、肺がんの可能性は低いことがわかりました。悪性リンパ腫の細胞の可能性が高いとの判定でした。幸運なことに組織検査の技師さんが悪性リンパ腫に詳しい人だったので、早い段階で悪性リンパ腫という病名が浮上していました。


なにであっても、あたしの中には『悪性』というだけで、信じられず、自分の身に何が起こっているのか理解不能のまま時間だけが過ぎていった一日でした。診察室でいきなり「あなたは癌です」とたった一人で告知を受け、(あたしが泣き崩れたので、あとで彼氏も呼ばれて彼氏にも告知をされました) そのときは肺がんを一番に疑われたので「この腫瘍は大動脈に浸潤している感じだから肺を全部とっても採り切れるかわからないね。これだけ急速に大きくなっているとすれば、早急に治療が必要だよ。今はいい抗がん剤がたくさんできているから頑張ろう。」と、今でもはっきり覚えています。


針生検の日は病院に一泊入院。個室を準備してくれ、彼氏と一晩過ごしました。彼氏には「絶対彼女のそばを離れたらだめだよ」と看護師から言われていたそうです。一晩ふたりでとにかく泣きました。ずっとずっと泣いていました。現実が信じられず、でも生検した部位の痛みを感じると現実なんだと思い知らされました。
看護師っていやですね・・・経験上、あんな告知をされたら、「もう来年はこの世にいないのかな」と考えずにはいられませんでした。

灯台下暗し

2012-04-29 21:56:53 | 日記
帯状疱疹で一週間の休養。不思議と帯状疱疹の痛みと戦っているころからセキがましになっていました。また、首の後ろのしこりは帯状疱疹が完治して一週間後には自然と消失していました。
再度セキがひどくなってきたのは、4月の中旬ごろから・・・・同じころ職場の同僚もセキで悩んでいて、病院でセキ喘息と診断されたという話を聞きました。あたしもセキ喘息かな、、、と。また近くの病院に行って今度は吸入薬を処方してもらいました。
でもセキはひどくなるばかり・・・・時々左の鎖骨の下辺りがズキーンと痛くなることもありました。


看護師という仕事をしていると、自分の体の変調に対して色々と検索をかけるものです。楽観的すぎることもあったり、時には最悪なことまで考えてしまったり。自分の病院に行くことは後回しになりすぎました。『灯台下暗し』とはまさにあたしのことだと後々まで周りの人に言われました。


5月の末にやっと重い腰を上げて、再度病院へ。今度は別の病院に行ってみようと思いました。そこでレントゲン写真を初めて撮影。
左肺に大きな影が見つかりました。
先生に言われました。
「看護師さんならこの影が普通じゃないのはわかるよね。」


6月初旬に紹介された総合病院を受診しました。

予兆

2012-04-28 09:39:00 | 日記
私がホジキンリンパ腫と診断を受けたのは2010年6月です。
振り返って考えてみると、2009年の夏ごろから皮膚の乾燥もないのに全身のかゆみが強く、冬でも大量の寝汗をかいていました。薬局で買った保湿ローションの種類を色々と変えて毎日塗りたくり、全然引かないかゆみ。一晩に2回くらいは着替えをしないといけないくらい全身に汗をかいていましたが、夏は暑いから、冬は熱がこもりすぎて汗をかくだけだと思い込んでいました。
2010年3月ごろからセキが出るようになりました。喉が痛かったり、鼻水が出たりもなく、ただセキが出るだけ、、、家の近くの病院でセキ止めやタンきりの薬をのんで、アレルギーも疑って抗アレルギー薬も試しました。でもセキはいっこうに良くならず・・・
4月になって首筋の後ろに一個しこりを見つけました。痛くもなく、なんだろうと思っていたら、その2日後に鎖骨、肩、胸の辺りに赤いぶつぶつが出てきました。次の日にはその場所に痛みが出てきて・・・帯状疱疹の発病です。皮膚科の先生には「若い人がなるのは珍しいね。免疫力が低くなって発病する病気だから高齢者がなる病気だよ。免疫力がかなり低くなる病気が隠れているか・・・まあ、でも働きすぎで疲れがたまっているんじゃないかな。」と言われました。そう言われても、この時期に仕事が忙しすぎて疲れが溜まっていた自覚が全くなく・・・とにかく帯状疱疹の神経痛は私の人生の中で味わった痛みのmax。。。神経痛なので痛み止めが全く効かない。夜も眠れない。ただ、ウィルスが体からなくなるのを待つ日々。5日間痛みに耐えました。先生の『免疫力が低くなる病気』がまさかホジキンリンパ腫が隠れていたなんて、そのときは全く全然、想像もつかないことでした。

初投稿

2012-04-27 22:58:16 | 日記
完解から一年三ヶ月が経ちました。今日も看護を楽しんできました。毎日働ける幸せを感じながら生きています。

一年の検査からこの三ヶ月間、擬陽性が出たり、突然主治医から自宅に電話がかかってきて「また抗がん剤をしないといけないかもしれません。」と言われたり、楽しみにしていた旅行をドタキャンしたり、炎症値が上昇していたり、、、
ホジキンの再活動に不安を感じて気持ちも乱れた波乱万丈な時間でした。

この日本中に私と同じような気持ちを抱えていたり、不安な日々を過ごしていたり、希少で増加してきているホジキンリンパ腫と言われて頑張っている人たちに向けて、送ります。。。

この病気は治るガンです。気持ちで負けずに、病気とともに生きましょう。
可愛がればきっと悪いことばかりはせずに、人間として生きていくのに大事な気持ちを教えてくれるものになると思います。
自分の向き合い方ひとつで、ホジキンになって悪いことばかりじゃなかったと思える日がくると思います。
私がそうだったように、選ばれしホジキンさんたちへ・・・

一緒に頑張りすぎずに、ゆっくり生きましょう。