Nurseのホジキンリンパ腫闘病日記

現役看護師のホジキンリンパ腫の闘病日記です。
同じホジキンリンパ腫で苦しんでる人に役立てばと思い書くことにしました。

ABVD4クール目ー②

2012-07-25 16:58:36 | 日記
前回から35日経って4クール目ー②となりました。先生はこんなものだよと言っていましたが、投与回数が増すごとに白血球や好中球などの回復が遅くなっていました。
今回が始まる前の外来では今回の治療が終わった後、PET-CTを撮って腫瘍の活動がなければ治療を一旦やめる選択もあるよと先生から言われていました。自分なりに色々調べていたところも先生と話し合いましたし、抗がん剤をすることでの二次発ガンのリスクや私の精神状態やまだまだ仕事をしていく年齢であることなども先生は考えてくださっていたと思います。
私の場合、縦隔に7×5cmの腫瘍があり、ステージⅢですので、ABVD6~8クールが標準治療です。また、4クールの段階でPET-CTをして腫瘍の活動がなくなっていることが確認されればあと2クールで治療を終了してもよいというのが標準だそうです。私の病気の状態では4クールで治療を終了させるのは、私が調べた限りでは例がなかったです。でも、私は4クールで腫瘍の活動がなくなっていれば治療は一旦やめようと決めていました。将来の二次発ガンのことや自分の精神状態を考えると、あとは自分の努力で免疫力を高め、『癌である自分の体と共に生きていこう』という気持ちで毎日を生きていこうと思いました。その選択に彼氏も賛成してくれましたし、私の癌とともに一緒に生きていこうとも言ってくれました。とにかく仕事に早く復帰をしたく、仕事をしているほうが自分が生き生きできて癌も活動しないんじゃないか、となぜそう感じたかはわかりませんが、自分の生命力に賭けてみようと思いました。

病気になるまでは、人と比べて自分は幸せか、とか、人をうらやましく思ったり、いろんな欲を持っていたり。長い人生を送っていくために大事なことを忘れ生きてきたと思います。明日が当たり前のように来て、いつまでも健康で生きていくことが当たり前と思っていました。

病気になって、ご飯を食べたり仕事をしたり、テレビを観て笑ったり、友達としゃべったり、当たり前のことが幸せなことなんだと思いました。朝起きて今日を迎えることがどれだけ幸せかと思いました。欲を出さず、毎日を生きていることに感謝して過ごすことが、簡単なようで難しいことだとも思いました。


4クール目ー②、今回も白血球は低下をしましたが好中球の注射はせず、熱もでることなく経過。いつもの副作用から解放されたのが、抗がん剤投与から18日目の12月24日でした。


ABVD4クール目ー①

2012-07-13 21:51:00 | 日記
4クール目が始まる前の外来で、先生に4クールが終わったら一度PET-CT検査をしてみようと言われていました。採血上ではLDHは正常値に戻っていましたが、白血球の低下が激しいのでLDHも一緒に低下すると聞いていたため、PET-CT検査がまさに治療の効果を示すものです。きっと効いているんだと信じ、4クール目を乗り切るだけでした。でも、もう精神的にはいっぱいいっぱいの状態でした。何度となく治療から逃げ出したい気持ちで苦しんでいました。副作用が強い時期には特に「なんで自分だけこんな苦しいのか。同じ世代の人は体のことなんか考えずに仕事に夢中になったり、大切な人と結婚して子供を産んで、子育てして、当たり前のように過ごしているのに。」と考えたり。この先腫瘍が一旦なくなっても何年も再発の不安を抱えながら生きていくんだと思うと、自分の運命を恨んだり・・・。先の見えない真っ暗な道にいました。彼氏によく言われていることがありました、あたし以上に抗がん剤が全然効かなかったり、癌の痛みで苦しい思いをしている人もいたり、食べたくても食べられない人もいたり、幼い年齢で癌になる人もいれば、幼くして命が亡くなる人もいるんだから、生きていることに感謝して毎日を生きようよ、と。そのときはいつも「そうだ、自分はまだ副作用が抜ければご飯も食べれるし、自分で歩けるし、プラスに精一杯生きないと。」と思うんです。
癌患者の気持ちはプラス思考になって前向きに考えていたと思えば、しばらくするとマイナスになり泣いていたり、浮き沈みが激しいと思います。楽しいときはいっぱい笑って、悲しいときはいっぱい泣いて、それができる事が大事だと思います。マイナスになったり泣いたりする自分を否定したり、だめなんだと思って自分を責めなくてもいいと思います。マイナスな自分も受け入れてあげることが大事なんだと思います。そうやっていろんな感情を持つことも生きていられるから感じれるものだし、自分が人として成長するためには必要な感情なんだと思います。周りに支えてくれる人たちを傷つけてしまうこともあるかもしれませんが、あとでちゃんと謝れば、きっと頑張っている自分も見てくれているはずだから、強い絆に変わると思います。

長くなりましたが、3クール目のに から一ヶ月たって4クール目ー①です。夜にはまた強い吐き気に襲われ、体も心も「もう嫌だ」と泣いていました。でもこの日はとっても嬉しい知らせが来ました。兄のところに赤ちゃんが生まれました。新しい命の誕生に、一瞬吐き気を忘れて赤ちゃんの写メールを観て感動の涙をぼろぼろ流しました。すごく力をもらいました。

その後いつもの経過をたどり、一週間後には好中球の皮下注射を早めから投与していましたが、また熱が出てしまいました。やはり白血球が3桁まで下がっており緊急入院です。3日、吐き気と40度近い熱に苦しみましたが、無事に退院です。


その後しばらくしてから毎日1時間ウォーキング。おかげでヒップや太ももにやや肉がつき、それが引き締まっていました。
食欲もすごくあり、とても健康的な日々を過ごしておりました。

ABVD3クール目のに

2012-07-06 01:14:38 | 日記
前回投与から約一ヶ月経ってから3クール目の2回目投与です。白血球の下がりが強く回復がゆっくりでしたので間がだいぶん開きました。
今回はいつにも増してさらに強い吐き気に襲われました。吐くことができればどれだけ楽になるかと思いました。船酔いの強力なのに一晩中苦しめられ、薬もなにも効かず・・・数日続きました。そしていつもの副作用です。
投与して一週間、すでに白血球が低下してきており、好中球の注射と抗生物質の内服をしていくことになりました。10日もすれば少し外に出て歩くようにしましたが、その次の日から寒気と熱が出てきてしまいました。救急で病院を受診し緊急入院です。白血球も下がっていましたし、炎症値もあがっていましたので抗生剤の点滴が始まりました。入院しても強い寒気の後には40度近い発熱、解熱剤を飲んで、6時間も経たないうちに、また寒気に襲われる。それが3日続きました。熱がでている時期は吐き気にもみまわれました。3日後白血球も上がり無事退院です。
ひとたび白血球が上がってしまえば体はぴんぴんしていました。丁度その頃には食欲も全快になり、退院した帰りにハンバーグステーキ屋でたらふく食べたことを今でも覚えています。

その後は体調も戻り毎日一時間の散歩です。ご飯も自分でつくり家事もこなし、毎日を無駄なく生きていきました。散歩に行くと気分転換にもなりますし、気持ちの整理もついて前向きな気持ちにもなれました。この頃から仕事が出来ない状況にいらいらして社会から取り残されているような気分になることがありました。昨日まで元気に働いていたのに、いきなり癌と告知され仕事を休むことになり、仕事も気持ちも整理がつかぬまま闘病生活に入ったので、また働きたい気持ちでいっぱいになっていました。癌になった自分だからこそ、できることがきっとあると思っていました。今まで思って働いていた気持ちとは全く違う気持ちで患者さんと向き合えると感じていましたし、看護師の自分が生き残ることができたら、きっと私が癌になった意味が見つかるんじゃないかとも思っていました。生きた証を残すため、自分にできることを全てやり尽くそうと心に決めていました。


今は強く思います・・・・・私は癌に選ばれたのだと。