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今日はどこへ行こうかな 

東欧世界遺産・観光ツアー

2014年11月05日 | 旅行

戦渦を乗り越えた東欧の世界遺産・観光ツアーに出掛けてきました。

10/26、アルバニア◆ティラナ市スカンデルベグ広場◆

スカンデルベグ広場は、アルバニア共和国ティラナにある中央広場である。1968年に民族的英雄である
スカンデルベグの名を取って命名された。また、広場の中央にはスカンデルベグ像が建っている。

国立歴史博物館

アルバニアの英雄・スカンデルベグ像

ティラナ空港に移されたアルバニア出身のノーベル平和賞、マザー・テレサの像

マザー・テレサはカトリック教会の修道女にして修道会「神の愛の宣教者会」の創立者である。「マザー」は
指導的な修道女への敬称であり、「テレサ」は修道名である。カトリック教会の福者。カルカッタで始まった
テレサの貧しい人々のための活動は、後進の修道女たちによって全世界に広められている。生前から
その活動は高く評価され、1973年のテンプルトン賞、1979年のノーベル平和賞、1980年のバーラ・ラトナ賞
(インドで国民に与えられる最高の賞)、1983年にエリザベス2世から優秀修道会賞など多くの賞を受けた。
1996年にはアメリカ名誉市民に選ばれている(アメリカ名誉市民はわずか7人しかいない)。
2003年10月19日、当時の教皇ヨハネ・パウロ2世によって列福された。

10/26、モンテネグロ◆世界遺産のコトル旧市街◆

モンテネグロの都市および基礎自治体でコトル湾の静かな場所に位置している。古い地中海域のコトル港の
周囲にある印象的な城壁はヴェネツィア共和国によって築城されたもので、ヴェネツィアの強い影響が市内の
建物には残されている。コトル湾はアドリア海ではもっとも陸側にしゅう曲した部分の一つで、時にヨーロッパ
最南部のフィヨルドと呼ばれることもあるが実際はリアス式海岸の一部である。近隣にはオリイェンやロヴチェン
などの石灰岩の張り出した崖があり、コトルやその周辺部の美しい地中海的な景観を特徴付けている。近年
コトルはコトル湾と旧市街の美しい風景から多くの人々をひき付けていることから、観光客の数が安定的に
増加している。また、「コトルの自然と文化歴史地域」として1979年にユネスコの世界遺産に登録されている。

要塞都市時代の強固な城壁

山肌に造られた城壁、登りたくなります。

ピアッツア広場の時計塔

聖トリフォン教会

旧市街の教会

旧市街から見上げた城壁


10/27、クロアチア・「アドリア海の真珠」と称される◆世界遺産・ドゥブロヴニク旧市街◆

1979年に世界遺産に登録された旧市街は「アドリア海の真珠」とも謳われる美しい町並みを誇る。アドリア海
沿岸でも傑出した観光地であり、多数のクルーズ船が寄港する他、地中海各都市とフェリーで結ばれ
ドゥブロヴニク=ネレトヴァ郡の中心都市となっている。ドゥブロヴニクは歴史的に海洋貿易によって栄えた都市
で、中世のラグーサ共和国はアマルフィ、ピサ、ジェノヴァ、ヴェネツィアなどと共に5つの海洋共和国に数えられ、
アドリア海東側では唯一のライバルである都市国家はヴェネチア共和国だけであった。巧みな外交術と豊富な
富に支えられ15世紀から16世紀にかけてはとくに特筆するほど発展している。1970年代、恒久的に戦争に
よる破壊から守るために非武装化されたが、1991年のユーゴスラビア崩壊に伴う紛争でセルビア・
モンテネグロ勢力によって7ヶ月間包囲(ドゥブロヴニク包囲)され砲撃により多大な損害を蒙った。

ピレ門から入場

プラッッア通り

スルジ山ロープウェイよりアドリア海を展望、ヌーデスト・ビーチで有名なロクルム島

旧市街の全景

城壁の一周ウォーク、暑さのため半袖で周回しました

城壁よりフランシスコ会修道院等

ミニ海賊船で海上遊覧

海上より見たドゥブロヴニク市

ヌーディストを数人見ながらロクルム島を一周し、一時間程で旧市街に戻りました

旧市街のヨットハーバー

10/27、ボスニア・ヘルツェゴビナの世界遺産・モスタル市内

クロアチア軍に破壊され、修復されたスタリ・モスト(石橋)のライトアップ


10/28、 オスマントルコの影響を色濃く残す◆世界遺産・モスタル市内観光◆

ボスニア・ヘルツェゴビナの都市およびそれを中心とした基礎自治体で同国を構成する構成体のうちボスニア・
ヘルツェゴビナ連邦に属する。また、ヘルツェゴビナ・ネレトヴァ県の県都でヘルツェゴビナ地方では最大の中心
都市である。ボスニア・ヘルツェゴビナでは5番目に大きな都市で、市内をネレトヴァ川が流れている。ボスニア・
ヘルツェゴビナ紛争期には事実上独立したヘルツェグ=ボスナ・クロアチア人共和国の首都と定められていた。
ただし政治情勢によって、事実上の首都はモスタル近郊のグルデであった。紛争終結の1995年以降、モスタル
の復興は急速に進むこととなった。紛争で廃墟となった場所には新たに住宅やショッピングセンター
などが整備されている。2005年7月、ユネスコはスタリ・モストとその周辺を世界遺産に登録している。

朝のテレビ・インタビュー画面はストイコビッチ?

戦乱で放棄されたようなビルの残骸

市内には弾痕が残る建屋が無数にあります

破壊石片を集めて修復されたスタリ・モスト

10/29、クロアチア・城壁で囲まれた島◆世界遺産・トロギール観光◆

クロアチアのスプリト=ダルマチア郡の港町。アドリア海に面するクロアチア本土とチオヴォ島の間の小さな島
にある。1997年、古都トロギルはユネスコ世界遺産に登録された。トロギルは2300年に亘って続く植民都市
としての伝統で人々を魅了してきた。豊かな文化は古代ギリシャ、古代ローマ、ヴェネツィア共和国の影響から
生み出された物である。小さな島の中にアドリア海沿岸のみならず中欧でももっとも保存状態のよいロマネスク
=ゴシック建築群がある。中世から続くトロギルの中心部は城壁で囲まれ、城、塔、住居、宮殿など、ロマネスク
からゴシック、ルネサンス、バロックといったさまざまな時代の建物が保存されている。トロギル最大の建物は
聖ラウレンティウス教会で、その西正門はラドヴァンによる傑作であり、同時にクロアチア国内でもっとも顕著な
ロマネスク=ゴシック様式の作品である。

世界遺産・ロブロ大聖堂

 

鐘楼よりトロギール島の景観


10/29、アドリア海沿岸最大の街◆スプリット市内観光◆

ローマ皇帝が作り上げた世界遺産・ディオクレティアヌス宮殿の城壁

スプリトは、クロアチア南部スプリト=ダルマチア郡の主都で、ダルマチア最大の都市。アドリア海東海岸の、
小さな半島に位置する。295年-305年、ディオクレティアヌス宮殿を造営されたことが都市の起源となった。
ディオクレティアヌス宮殿は、クロアチアの都市スプリトに残っている宮殿で、3世紀末から4世紀初頭にかけて
ディオクレティアヌス帝によって建てられたものである。この宮殿は現在、他の重要な歴史的建造物群とともに、
スプリトの中心市街にある。ディオクレティアヌス宮殿は、その保存状態の良好さによって、一地域にとっての
文化財というだけにとどまらなくなっている。この宮殿は、クロアチアのアドリア海沿岸では、最も有名でよく
整っている建築的・文化的な遺産であり、地中海の宮殿、ひいてはヨーロッパや世界のものに目を移しても、
その中で際立ったものといえる。それゆえに、1979年には国際連合教育科学文化機関は、
ディオクレティアヌス宮殿と周辺のスプリト歴史地区を、世界遺産に登録した。

 

 

スプリト聖堂の鐘楼

鐘楼よりスプリット市内の景観

 

この後は、中国の九寨溝・黄龍と比較される世界遺産・プリトヴィツェ湖群国立公園等を観光しました。


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