先日お寺で、食禅を学ばせて頂きました。とてもとても、ゆたかな、こころ満たされる時間でした。
自分の目の前に、いのちを差し出してくれているいのちに感謝して、両の手を合わせていただく。
そして、つくってくださった方が料理のためにさいてくださった、時間・いのちもいただく。
食べるって、「いのちの移し替え」なのだと思います。食事をした回数だけ、私たちの中にはいのちの連なりがあって。たくさんのいのちに支えられて今ここにある。そう思うと、自分の中に連なるたくさんのいのちを大切にするために、自分自身も大切にしなくてはと改めて背筋が伸びる思いがします。自分は決して一人で生きているわけではないから。
和尚さまが、「いのちの始まりにどんどんさかのぼっていくと、そこには130億年の時間があって。どこかでいのちが途絶えていたら今ここでこうして、話をしたり、ともに時間を過ごすことはなかった。あなたの中にも、私の中にも、みんな130億年の時が詰まっている」というようなことをお話しくださって。自分の中にあるものすごく大きないのちの時間こと、考えました。
その時ふと頭に浮かんだのが、「一粒の宇宙 130億年のいのち」という言葉。
お豆や、お米や。穀物の種や実は、その一粒の中に、いのちをつないでいくために必要なものをぎっしりと詰めて。土に根付けば新しいいのちを実らせ。食物になれば食べた人のいのちを支える。素敵ですね。
一粒の種や実には、宇宙といういのちが生まれてからの130億年という時間が詰まっている。だから種って、とってもパワフルなんだな、と改めて実感です。
樹齢2000年の楠の大木も、元をたどれば一粒の小さな実から。
そして、130億年という気が遠くなるほどの時の流れから見たら2000年だって、きっとほんの一瞬のこと。
地球の時間、いのちの時間で物事を考えていったら、もっといろいろなことが変わっていくような気がします。
天気も、自然も、季節も、いのちはいつも変化していく。けれど、その変化は確実だけれどとてもゆっくり進む。
「けれどこの日から、何かが確実に変わり始めた。本当の変化がすべてそうであるように、それは草木の変化にも似て静かにゆっくり進んでいった」。(M・エンデ「はてしない物語」)
ゆっくりとした変化を待つことができるように。
待つ、ということのベースには「信頼」があるような気がします。
いつか芽が出ると信じて種を植える。きっと大丈夫、と信じて待つ。
いのちの変化がゆっくりなのは、私たちに信じて待つということを教えてくれようとしてくれているからなのかもしれません。
いま苦しいことや悲しいことがあっても。きっと超えていけるから大丈夫。
わたしたちの中にあるいのちは、は130億年という時間を生き抜いていまここでいのちを生きているんだから。
自分自身と、自分のいのちを信頼して。
こころの中に佳きことの種まきをしたら、信じて待つこと。日々を丁寧に紡ぐこと。
一つ一つの所作に心をこめて、「いまここ」にいつもこころを留め置いておくこと。
一粒の宇宙に学ぶ、このごろの信条です。