HAPPY LIFE ~月のリズムで暮らす ゆるりゆるりと~

Lokah Samastah Sukhino Bhavantu
全ての人が自由で平等にしあわせでありますように☆

変容するということ

2012-05-22 22:40:59 | 日記

昨日はほぼ932年ぶりに日本の広い範囲で見ることができた金環日食。

ふたご座の新月とも重なった、とてもとてもパワフルな特別な日でした。

みなさんは、どんなふうに過ごされましたか?

 私は、前日の日曜日、半日かけて家じゅうを掃除して、風と光を通して、クリスタルボウルと「空の花」というお香りの助けを借りて家中を浄化したからか、5時過ぎに気持ち良くパッと目が覚めました。

瞑想と太陽礼拝をしてから、おうちの東の窓から金環日食をみたのですが、あまりのパワーになんだか動揺して、その後また瞑想をしてから出勤しました。

 こんなパワフルなことが、このタイミングでこの日本で(しかも東京を含む太平洋側で)

みられたということは、なんだか宇宙からの大きな大きなメッセージ、が届けられたという感じがします。

私が金環日食を見て感じたのは、いま私たちが大きな変容の時にある、というメッセージ。

まさに、蝕というのは「変容」のエネルギー。新月もリセット力・浄化の力がとてもは強いけれど、蝕までいくと、そのキーワードは「変容」になるのだそうです。そして、蝕が起こる場所(観測できる場所)というのは、そのエネルギーを強く受けます。

加えて、ふたご座の0度で起きるこの新月の占星術上の個人のキーワードは「枠を外す」ということ。性別や国籍、年齢、などを越えていくということ。「変容」をキーワードにする蝕と、ふたご座の新月のこのキーワードが重なって、このタイミングで起きたというのは偶然ではない、と思うのです。それだけ、パワフルなメッセージが必要なぐらい、ぎりぎりのところで変容が迫られてる。望むと望まないとに関わらず。

多分、私たちの社会はいま、そういうところにあると思うのです。

 

いまの生活の在り方、こころの在り方、自然とのつき合い方。

自分と異なるものとのつき合い方。そして、自分自身とのつき合い方。

 

たくさんの関係性が切れたり、なおざりにされたり、自分たちのエゴのために傷つけてきたりしたことを

振り返って、その関係性をもう一度結び直して、はぐくんで、はめてしまった枠を越えていく時。

 すぐには変えられないこともあるかもしれない。

でも、変容していけると信じて。ギャップや壁は越えていくことができると信じて、日々を紡いでいくことが大事。

 

そのことは、大学院でのいまの私の研究テーマでもあります。このテーマに取り組み始めてから、

本当にありがたいことに、昨年あたりから、大きくこころに響く出会いが続いていて。

 

そのなかで、感じたことは、自分はその変容に向き合う覚悟がどのくらいできているのか、ということ。

腹をくくって覚悟して、向き合い続けていけるかどうか。そのことをいま、私自身問われているんだ、ということを感じています。

 

恐れや不安を持つことは悪いことではなくて、それを感じている自分自身をまず感じて。信じて手放す。

きっと道はひらいていくし、進むべき道がある。それは特別な人にとってだけではなく、誰にとっても。

その人のいのちが1番輝いて、幸福でいられる道が。

しあわせは、資源みたいに数限りあるものではないから。世界中みんなが幸せになっても、世界にある幸せが減ったりすることはないから。この変容の時、みんなが幸せであることができますように、祈りたいと思います。

どうか、この変容のパワーが佳き方向に向かうために使われますように。

 日々喜びと感謝を深く感じながら、愛をもって護り、育て、慈しんで、いのちのちからをサポートしていくことのできる私で、いつもあることができますように。

 瞑想していて、ふとそんな思いに満たされました。いのちって、宇宙ってほんとうにすごいなぁ。

 

言葉で言うほど変容って簡単ではなくて。

時にはいのちをかけなければいけないほどのエネルギーを伴うことだと思うけれど。でも、いきもののすることは多分、日々ただひたすらに変容するということ。それだけかもしれない、と思うのです。

さなぎという殻を破って、美しい蝶に変容したり。種から芽を出して、花を咲かせ実をつけたり。いのちは日々変化して、その変化を受け容れて、変化を恐れずひたすらに変容していく。

 私たちの日常でも、毎日、まるで何も変わっていないように感じても、ほんとはすべてのものがとどまることなく変化していて。その小さな変化の積み重ねがある日、劇的な変化を導く。

世紀の天体ショーと言われる日にに立ち会うことのできた私たちの中では、もうすでに劇的な変容が始まっているのかもしれませんね。

 私はクリスチャンではないけれど、学生のころ訪れた、インド・カルカッタのマザーハウスでシスターたちが毎朝捧げていて、そのマザーハウスを訪ねて以来、

私も日に一度はこころの中で唱えるようになった聖フランチェスコの祈りが、金環日食を見た後の瞑想で心に浮かんだのでここでもシェアを。

   

   「貧困と餓えのうちに生きて死ぬ 世界中の同胞のために働く私たちを

   そのことにふさわしいものとしてください  わたしをあなたの平和の道具としてお使いください

   憎しみのあるところに愛を  いさかいのあるところには許しを

   分裂のあるところには一致を 誤りのあるところに真理を

   疑いのあるところには信仰を  闇に光を

   悲しみのあるところには 喜びを与えるものとしてください

   聖なる主よ 理解されるよりは理解することを 愛されるよりは愛することを私が求めますように

   私たちは与えるから与えられ 許すから許され 自分を捨てて死に永遠のいのちを頂くのですから」

 

  生けとし生けるものすべてが健やかで平和で幸せでありますように☆

 

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