HAPPY LIFE ~月のリズムで暮らす ゆるりゆるりと~

Lokah Samastah Sukhino Bhavantu
全ての人が自由で平等にしあわせでありますように☆

森を歩く時間

2010-12-23 20:38:13 | 日記

小さなころから本が好きで、ふと時間ができると本屋さんや図書館へ行く。

探している本がない時でも、棚と棚の間、本の森を歩いていると突然目に飛び込んできて妙に惹きつけられる本と出会ったりするから不思議です。そういう本は、探していたわけでもないのに、その時の自分にぴたりと合っていて。ああ、自分が探していたのは本当はこの本だったんだな、と納得せずにはいられないようなものだったりして。

 多分、人と人、モノや場所との出会いにしかるべき時機があるように。本との出会いにもベストなタイミングというのがあるのだと思います。

 私は多分、とても出会いに恵まれているのだと思います。折々に、私を支え育ててくれる本に出会ってくることができたから。だから、今度は自分が言葉の紡ぎ手となって、様々な人の人生の傍らに寄り添ってみたい、と思うのです。

 そっと背中を押してくれる言葉。やさしく包み込むような言葉。凛とした言葉。

 苦しくても、つらくても迷っていても。私たちは自分自身の足で自分の人生を歩いていかなくてはならないのだけれど。でも、そういうときに、いつか聴いた言葉や読んだ一節に救われることがある、と信じているから。

 私が紡いでいきたいのは、そんないのちのある言葉。

     

 本(BOOK) という言葉の語源はブナ(BEECH)にあるのだとか。木は、大地にどっしりと根を下ろし、ただそこにある。よくあろうとも、悪くあろうともせずに、ただあるがままにその命を全うする。

 田口ランディさんの「いつか森に帰る日」という本の中に、「森には封印した魂を生き返らせる力があるのかもしれない」という文章があるけれど、本当にそうなのだろうと思う。つくろったり、ごまかしたりしない、あるがままのいのちには、いのちの力を引き出すパワーがあるのだと思う。だから、神社仏閣には鎮守の杜があって、聖域を護ってくれているのだと思うのです。

 言葉も同じこと。

 その人の本当に深いところから出た言葉は、それに触れた人の心に響いて深いところを揺り動かす。

 本という、豊かな言葉の森でいろいろな人のいのちの深い深いところにたくさん触れさせてもらってきたので。その恩返しはやっぱり、その森で得た美しいものを、私というフィルターを通した別の言葉で、シェアして伝えていくことなんじゃないかな、と思ったりしています。

 そんな思いがふと、お昼休みに都会の木立の中をお散歩中に心に浮かびました。

 本の森も、自然の森も私にとってはとても近しい大好きな場所。嬉しい時も悲しい時も、そっと受け容れてくれるマイサンクチュアリ、なのです。そういう大切な場所を持てた、この人生に感謝しつつ。その恵みを、還元していけたらいいな。

    

 上の2枚の写真は、最近のお気に入り。関東近郊にある曹洞宗のお寺です。緑豊かな山に抱かれて、修験道が盛んな聖域だったようで時々ほら貝が鳴り響き、ひそかに興奮してしまいます(笑)。もっと昔に男に生まれていたら、絶対山伏をしてみたかった!凛とした空気と、見事なスギ林に心身が浄化されてエネルギーをいただける場所。なんだか、のびのびします。光を背に臨むのは、奥の院への結界門。護られて在る、って尊く素敵なことですね。

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ソウルフード「おにぎり」の秘密

2010-12-14 20:46:37 | 日記

        

ん?この写真なんか見覚えあるなぁ…・というかたはきっと映画「かもめ食堂」好きですネ^^

かもめ食堂で見て以来ずーっとほしかったALABIAの24thAvecのブルーのお皿。廃番になったと聞いてがっかりしていましたが

限定復刻されたものを最近入手しました。

で、大好きな「かもめ食堂」のメインメニュー兼日本人のソウルフード、おにぎりを乗せて記念写真を撮ってみたというわけです。うーん、うれしいなぁ。

こういうささやかだけど、日々の暮らしを彩ってくれる雑貨達のもつ力って本当にすごい!そういうものに囲まれて暮らしていると、仕事や

いろいろなことで消耗したエネルギーをチャージできるからありがたいです。うふふ。

 

さて、ソウルフードのこと。

「かもめ食堂」のなかでも「おにぎり」と言われているし。私も「おにぎり」という言葉に愛着があるのですが「おむすび」という言葉もありますよね。

何が違うのかな??と、ずっと疑問に思っていました。

「おむすび」は「御結び」で、陰(左手)と陽(右手)を結ぶからおむすびという説や、山の形、三角形を神格化し、その神様の力を授かるためにお米を三角にかたどって食べたのが始まりだという説も。 

 そういえば「むすび」という言葉は、古事記に登場する神様の名前にもありますよね。「むすび」は万物を生み出す霊力をあらわすものなのだそう。

 一方の「おにぎり」。

 握り飯はもっと歴史が古く「鬼を切る」ということから魔よけの意味があり、鬼に白い握り飯を投げて鬼退治をするという民話も残っているとか。

 「おむすび」と「おにぎり」どちらも好きな言葉ですが、なんとなく「おにぎり」のほうが遠足とか力仕事の時に持って行くには向いてる感じ。鬼退治しちゃうぐらいだからパワフルなんですよね、きっと。

 そんな、パワーを授けてくれる「おにぎり」が私たち日本人のソウルフードであるなんて、とっても素敵♪

 その秘密は、やっぱり心を込めて掌で握ること、にあると思うのです。人の掌ってものすごいパワーを秘めている。病気の時にそっと背中をさすってもらったり。嬉しい時に抱きしめてもらって背中にあてられる手。頭をなでてもらったり。大好きな人とドキドキしながら初めてつないだ手。外に出るときにはいつもつなぐ手。異国で心細い時にそっと繋いでくれた、ホームステイ先のお母さんの手。

 手を通して、その人のいのちを感じて。エネルギーを交換する。

 手にはきっと、目には見えない大きな大きなパワーが宿っていると思うのです。そんな手で、お米を一粒一粒つぶさないように心をこめて握るから、鬼を退治する力になったり、食べた人を元気づけるエネルギーになったりしてくれるんですよね。

 食べるって、いのちの移し替えをすること。そういうことをダイレクトに感じるおにぎりが日本のソウルフードであるなんて、感激です。ご先祖様に感謝!

 お天気がいい週末は、おにぎりを握って。魔法瓶に詰めたアツアツの豚汁をお供に大好きな近場の森に、冬支度を始める木々に会いに行こうかな。

 なんとなく、おにぎりには海よりも森や山が似合う気がするから。

コメント (2)
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好きなものとほんまもん

2010-12-02 23:03:37 | 日記

blogを始める前、mixiで日記を書き始めた時から一つだけ決めていることがあって。

それは、愚痴とか嫌だったことではなくて、ここに綴るのはみんなとシェアしたいと思えるものやこと

だけにしようということ。そんな風に決めて書き始めてから、実は書くことによって元気をもらったり救われたりしているんだなぁ、ということに気が付きました。書くことも、セラピーのようなもの、なのですね。だから書くことは、私にとってはとても身近で大好きなこと、です。

 そのほか、自分のすきなものってどんなものかなー、と思いを巡らしていて。私は「時間」というものをとても愛していることに気が付きました。

 と、いっても1分・2分と細かく刻まれる時のことではなくて。もっと脈々と流れている時間というのかな。なんというか、歴史とか伝統とか生活とかそういうようなもの。お鍋だったたら、代々使い込まれて譲り渡していくルクルーゼのようなもの。

 時の流れを経ても淘汰されない、上質なものたち。古布・文学・写真・器・着物などなど・・・・。

 長い時間かけて隆起する山や化石、天然石。はるか昔に瞬いた光を彼方から届けてくれる星の光。

 そういうまざりけのない、嘘のないもの。高価かどうかという意味ではなくて、「本物」が好きです。たとえば多少傷がついてもそれも味になるような。時の流れでへこたれないもの。美しいもの。奥深いもの。1本ぴしりと筋の通った凛としたもの。

 だからこそ、自分もそういう骨太な「ほんまもん」として生きていきたいと思うのです。長い時間を生き抜いてきた本家本元「ほんまもん」たちに勇気をもらいながら。

 そんなわけで、最近我が家に仲間入りを果たしたルクルーゼの新色ローズマリーのココットロンド17cmくん。

 (ローズマリーって「聖母マリアのばら」って意味の名前なんですって。知らなかったなー)

 写真はインザルームのHPから↓↓

ココットロンド17㎝は、残念ながら上の写真には載っていないけど1人とか2人のちょっとした煮物なんかには最適♪

そのまま食卓に乗せてもかわいい、ルクルーゼのお鍋はフランス育ちの由緒正しいほんまもん。

いつもおいしいご飯をありがとう。見ているだけでもなんだか幸せにしてくれる、すごいやつ、なのです^^

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