小さなころから本が好きで、ふと時間ができると本屋さんや図書館へ行く。
探している本がない時でも、棚と棚の間、本の森を歩いていると突然目に飛び込んできて妙に惹きつけられる本と出会ったりするから不思議です。そういう本は、探していたわけでもないのに、その時の自分にぴたりと合っていて。ああ、自分が探していたのは本当はこの本だったんだな、と納得せずにはいられないようなものだったりして。
多分、人と人、モノや場所との出会いにしかるべき時機があるように。本との出会いにもベストなタイミングというのがあるのだと思います。
私は多分、とても出会いに恵まれているのだと思います。折々に、私を支え育ててくれる本に出会ってくることができたから。だから、今度は自分が言葉の紡ぎ手となって、様々な人の人生の傍らに寄り添ってみたい、と思うのです。
そっと背中を押してくれる言葉。やさしく包み込むような言葉。凛とした言葉。
苦しくても、つらくても迷っていても。私たちは自分自身の足で自分の人生を歩いていかなくてはならないのだけれど。でも、そういうときに、いつか聴いた言葉や読んだ一節に救われることがある、と信じているから。
私が紡いでいきたいのは、そんないのちのある言葉。
本(BOOK) という言葉の語源はブナ(BEECH)にあるのだとか。木は、大地にどっしりと根を下ろし、ただそこにある。よくあろうとも、悪くあろうともせずに、ただあるがままにその命を全うする。
田口ランディさんの「いつか森に帰る日」という本の中に、「森には封印した魂を生き返らせる力があるのかもしれない」という文章があるけれど、本当にそうなのだろうと思う。つくろったり、ごまかしたりしない、あるがままのいのちには、いのちの力を引き出すパワーがあるのだと思う。だから、神社仏閣には鎮守の杜があって、聖域を護ってくれているのだと思うのです。
言葉も同じこと。
その人の本当に深いところから出た言葉は、それに触れた人の心に響いて深いところを揺り動かす。
本という、豊かな言葉の森でいろいろな人のいのちの深い深いところにたくさん触れさせてもらってきたので。その恩返しはやっぱり、その森で得た美しいものを、私というフィルターを通した別の言葉で、シェアして伝えていくことなんじゃないかな、と思ったりしています。
そんな思いがふと、お昼休みに都会の木立の中をお散歩中に心に浮かびました。
本の森も、自然の森も私にとってはとても近しい大好きな場所。嬉しい時も悲しい時も、そっと受け容れてくれるマイサンクチュアリ、なのです。そういう大切な場所を持てた、この人生に感謝しつつ。その恵みを、還元していけたらいいな。
上の2枚の写真は、最近のお気に入り。関東近郊にある曹洞宗のお寺です。緑豊かな山に抱かれて、修験道が盛んな聖域だったようで時々ほら貝が鳴り響き、ひそかに興奮してしまいます(笑)。もっと昔に男に生まれていたら、絶対山伏をしてみたかった!凛とした空気と、見事なスギ林に心身が浄化されてエネルギーをいただける場所。なんだか、のびのびします。光を背に臨むのは、奥の院への結界門。護られて在る、って尊く素敵なことですね。