3月のあたまから始まったヨガの集中クラスが今日で最終回。とても気持ちのいいお天気で、窓の外には桜の新緑。
そして部屋の中には、たくさんの笑顔と温かな雰囲気。なんだか、とてもとても幸福で、心地のよい時間でした。
作家の江國香織さんが『泣かない子供』(あれ、『泣く大人』のほうだったかな?)のなかで、「勇気」というエッセイを書いているのですが。
「幸福な瞬間をたくさん持つと、人は勇敢に成ると思う。自分の人生に対する信頼、しか勇気にはならない。何かに護られて在る、ということ。(中略)
その勇気を惜しげもなく消費できるように、幸福な瞬間をたくさんくぐりぬけて暮らすのだ」という好きなくだりがあります。
今日のクラスはそんな、これから生活を重ねていく上での勇気をたくさんもらった
安全で快適で居心地のよい、護られて在ることを存分に感じられた瞬間の連続でした。そんな時間と空間をシェアしてもらえたことに感謝。素敵なご縁に感謝です。
クラスの中で、話の出た「傾聴」から想いをめぐらせた言葉が
「Be here now」 「with-ness」という言葉でした。以下は、私のバイブルのひとつ「自分の仕事を作る」の作者、西村 佳哲さんのHPで紹介されていて、読んだらすごく心に響いた、カーム・クローネンバーグ・ムトゥの『共同と孤立に関する14章』の一説。
このブログを読んでくれているあなたの心にも響くことを祈って。
『“ともにある”ということは、私たちの中に、また私たちの周囲に現実に存在するものを、見たり、聴いたり、それに触れたり、味わったりすることだ。
思考・感情・空想といった、個人に与えられた能力を結集することだ。
つまり人格としての自己に、面と向かうことである。
“ともにある”ということは、ささやかなものに心を寄せることだ。
…… 一枚の草の葉、飛び回る虫、ふくらみゆくつぼみ、巣立ったばかりの小鳥など。
“ともにある”ということは、美しい旋律に耳傾けることでもあるが、それと同時に、聞き慣れた音にも注意を向けることだ。
…… 吹きすさぶ風の声、軒端打つ雨の響き、道行く人の足音、幼子の泣き声などに。
“ともにある”ということは、彩り豊かな絵画に接することでもあるが、それと同時に、ありふれたものの姿に美を見いだすことだ。
…… バラの花の赤さ、思いにふける顔、新緑のみずみずしさなどに。
“ともにある”ということは、たがいに耳を傾けあうことだ。友情をもって接するとき、自分には役割があるという、生き甲斐が感じられてくるのである。
“ともにある”ということは、自己と他者の織りなす世界に関わることだから、一人楽しむ想像の世界にかくれ込んだりはしない。むしろ、人々の苦悩と努力に力を合わせるのだ。
“ともにある”ことの秘訣は、昨日と今日、今日と明日をつないでいる何げない出来事を、一つ一つしっかりと生き抜けるようになることだ。』
カーム・クローネンバーグ・ムトウ著
『共同と孤立に関する14章』より
生活の中の、何気ない瞬間が幸せで。
そんな小さな幸せに彩られて、今の自分がいて。そういう瞬間瞬間を逃さずに
味わいながら日々を紡いでいくことができたら。幸せなのだろうな、と思います。
あせらずに、地に足をつけて。生活を、人生を味わう。
自分自身と、自分自身の魂に寄り添って。一緒にいてくれる大切な人たちに寄り添って、笑顔で。
今日のクラスで感じたような幸せと、温かさと護られて在る感じを日常に持ち帰って、まずは大好きなパートナーに。家族に。そして友人達にシェアしていけたらいいな。
すべてのものが、すべてのものとつながりあっている、この世界に感謝して。
私につながる、すべてのいのちに。ありがとう。