タイトルは大好きな詩人、長田 弘さんの本から。
今ヨガの集中クラスを受けています。
どのタイミングでどのクラスを受けることになるかも、ご縁とタイミング。
木々が芽吹いて、たくさんのいのちが芽吹いていくこの時期に桜並木の見下せる
目黒川沿いのスタジオで長い時間を過ごせる幸運に感謝☆
ヨガをしていると呼吸に意識を向けることがたくさんあって。
深呼吸の必要、って言葉がとてもこころに響きます。息=いき=生きること、だと思うから。
呼吸は、いのちの循環、エネルギーの循環なんだな、ってしみじみ思います。
クラスでは瞑想の時間もあって。
この前、『死の瞑想』をしていたときにとてもリアルに感じたこと。それは、いま自分がまぎれもなく「いまここ」にいるということと、今までそばにいてくれた祖父母が今はもう全員亡くなって風になっているということ。そして父と、大切な友人の一人も、また。
すべてのものには終わりがあって、出会ったらいつかは別れる日がやってくる。
そう思うとさびしくて切なくて。じゃあ、その寂しさや切なさを味あわないですむために出会わなければよかったの??というとそうではなくて。
やっぱり、たくさんの素敵な出会いに恵まれた人生は、日々がとても豊かだと思うのです。だって人は、人と人のあいだで磨かれて成長していくからこそ『人間』なんだと思うから。
死の瞑想では、最後に『明日があなたの人生最期の時だとして、あなたはどうしますか?あなたにとって一番大切な人や物、場所を思い浮かべてください』と、問われます。
その問いに、ふと自分の中から浮かんできた想いはとてもシンプルで。
人生最後の日にしたいことは、大好きなパートナーと手をつないで、ただ静かに海を眺めに行くことでした。
そのシーンを思い浮かべたときの、穏やかで静かな気持ち。そのシンプルさはとても心地のよいものでした。
普段は、これからのこと、仕事のこと、叶えたい夢のことなど雑多なことで頭を悩ませているけれど。
ほんとうは、いつももっと自分の芯というか、心の底の深い部分を静かに見つめることができたら。ことはとてもクリアでシンプルなのかもしれないな、と思いました。
死の瞑想で、いのちには限りがあることをあらためて感じて。
今の自分は本当にたくさんの人やもののいのちに支えられてここにある、と思いました。今はもう、旅立ってしまったいのちも含めて。
大切な人の死はとても悲しいけれど。でも、だからこそ、遺された人たちに限られた時間を生きていくためのパワーを与えてくれるような気がします。
そんなことをつらつら考えたのは、この前のクラスがちょうどお彼岸中だったからなのか、次の日に亡くなって間もない友人の実家を訪ねたからなのか・・・。
とにかく、自分の中にはたくさんのいのちの重なりがあって。そのことに感謝しながら、そのいのちと一緒に生きていけたらいいな、と思うのです。
そして、いつか自分のいのちも終わるときがきたら。
自分のいなくなった後に遺される人たちにも、笑顔の思い出が残るようなしなやかな生き方をしていきたい。
・・・・あれ?ヨガの集中クラスのことを書こうと思いながら、ずいぶん話がそれてしまいました(笑)
でも、変化をすることがヨガだから、これもまた、ヨガかな。
こんな風に自分の気持ちとまっすぐに向き合う時間と場をくれた、masaさんの穏やかなインストラクションに感謝。
ヨガの集中クラスのことは、また次の日記でシェアできたらな、と思います。
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