SPILLANE KISS

オリジナリティーゼロのコピペブログ。最近の出典はほとんど「ヤ○○メ」。某巨大掲示板はとんと立ち寄らなくなりました。

センバツプレイバック 東邦対上宮(1989年決勝)

2005-09-16 06:53:05 | 野球
3日前にGAORAで1989年の選抜高校野球決勝・東邦対上宮のハイライト番組をやってたので録画してみました。
この試合はリアルタイムでは見てなかったんですが、結末の大どんでん返しぶりから当時結構話題になっていたので、楽しみにしていました。

やはりちょっと昔の映像だけあって、スタンドの女子高生が信じられないほどダサ・・・いや純朴に見えてしまいます。
それからバッターが打席に入るときにそれまでの打数・安打数が字幕で出るんですが、私が見た限りではあるバッターを除いて”17打数4安打”とか、とにかく決勝に出てくるチームの選手としては物足りない打率の打者が多かったのが印象としてあります。

さて、当時の上宮には、某巨大掲示板のアイドル元木氏ねと今やそのバッティングフォームが多くの人に愛されているタネタネが3年生で在籍していました。
ちなみに元木氏ねは今でもある意味アイドルですが、当時上宮の主将であり高校球界屈指のスラッガーであった彼は、正真正銘の人気者でした。
ちなみに上記の「あるバッター」というのは元木氏ねのことでして、彼はさすがにこの大会で5割ぐらいの打率を残していました。

試合の経過としては、1-1のまま延長戦に突入し、10回表に上宮が1点を勝ち越し、語り草となったその裏の東邦の攻撃に移ります。
もちろんこのイニングをゼロに抑えれば上宮の優勝というわけでして、マウンドに立っていた2年生投手・宮田は、そのプレッシャーからか、それとも疲れからか、制球が乱れがちで、先頭打者に死球を与えてしまいます。
とにかく同点に追いつきたい東邦は、当然のごとく送りバント・・・と思ったところ、強攻を試みるわけですが、ものの見事に二ゴロ併殺となってしまいました。
無死一塁のピンチが一転して二死ランナーなしとなり、この時点で上宮の選手・ベンチ・応援団は99%以上優勝を確信したと思います。

ところがそれでも宮田のボールコントロールは定まらず、次の打者に四球を出し、その次の打者にはショート内野安打(ちなみにショートを守っていたのは元木氏ね)を許してしまいます。
そしてこの試合結果的に最後の打者となった東邦・原の打球はセンター前にポトリと落ち、二死なので打ったと同時にスタートを切っていた二塁走者はホームイン、ここまではありがちな土壇場の同点劇でした。

問題はここからでして、このとき一塁走者が二塁をオーバーランしたため、バックホームされたボールをつかんでいた上宮のキャッチャーがなぜか三塁にいたタネタネに送球してしまいます。
なぜ「なぜか」と書いたかというと、オーバーランした走者はどちらかというと二塁に近い位置にいたので、当然最初に二塁に投げた方がアウトになる確率は高かったと思われるからです。
ボールを受け取ったタネタネはすぐさま二塁に送球しましたが、この時点でタイミング的には微妙でした(それでも送球がストライクならアウトはアウトだったかもしれません)。
これだけみても最初に三塁に送球した捕手の判断は誤りだったと言わざるを得ません。

タネタネの送球はベースの手前でワンバウンドしてランナーと交錯する形となり、二塁手がこれを捕ることができず、ボールはライト方向に転がりました。
このときライトが後方でカバーに入っており、それた送球をとっていれば何事もなく二死一二塁という場面でしたが、カバーの位置が二塁ベースに近すぎたせいか、そのライトまでがこのボールを後ろにそらしてしまいます。
そらしたボールは当然ライトが追いかけていくしかなく、このときの実況の言葉を借りれば、まさに
「ボールが逃げていく」
状態でして、本来二塁オーバーランでアウトになっていたはずの一塁走者は一気にホームまで駆け抜け、東邦の劇的サヨナラ勝ちとなったわけです。

優勝が決まった直後、東邦の阪口監督はあたりをはばからず男泣きしていました。
「こんな形で勝ってもやっぱりうれしいもんなのか」
というのが私の感想でした。

この試合をニュースだけで見た人(私もですが)は十中八九、二塁悪送球をやってしまったタネタネが悪いと思ったかもしれませんが、そのときのプレーやそこまでの背景をもう少し詳らかに見ると、上に書いたように、細かい判断ミス・プレッシャー・疲労などがおそらくは重なった結果のように見えました。

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1 コメント

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種田仁選手は今の健在 (デジ1工担者)
2007-01-26 22:26:14
右翼手がボールを追いかけてる間に二塁走者が本塁を駆け抜けるシーンは確かにある意味何とも残酷でしたね。

マウンドで蹲る宮田投手の姿は余りにも気の毒でしたね。ご指摘の通りあの大会元木選手にメディアの注目が集まった分種田選手はある意味霞んでしまってましたね。

あの試合のあと東邦ナインが泊まっていた宿舎へインタビューに行った高校生が当時神戸親和女子高に在学中だった藤原紀香さんだったんです。

運命の悪戯というかこの年秋のドラフトで優勝した東邦の山田投手,敗れた上宮の種田内野手は共に中日から指名されています。
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