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蓄音機でジャズを聴く!

蓄音機とジャズを中心に、日々の出来事をつづる。

秋吉作品を聴く「渡米50周年日本公演」

2025-03-09 17:29:31 | ジャズ


2006年3月6日、東京有楽町朝日ホールで録音されたカルテット作品です。

この年は、秋吉さんがバークリー音楽院に留学した1956年から50周年目に当たるため、それを記念して非公開ライヴで録音されたアルバムです。

メンバーは、ルー・タバキン(ts)、ジョージ・ムラツ(b)、ルイス・ナッシュ(dr㎳)というおなじみの面々ですが、意外なことにカルテットでのレコーディングは1971年の「メディテーション」・「sumie」以来35年ぶりです。

曲目は、セロニアス・モンク作の「トゥリンクル・ティンクル」以外は全てオリジナルで「ロング・イエロー・ロード」、「孤軍」、「フェアウェル・トゥ・ミンガス」、「ザ・ヴィレッジ~レディ・リバティ(メドレー)」、「すみ絵」、「チェイシング・アフター・ラヴ」が選ばれています。

このアルバムのプロデューサーのひとりが、岩手県盛岡市のジャズスポット「ジョニー」の照井顕氏で、同市の「穐吉敏子ジャズミュージアム」を設立した中心人物です。

秋吉さん本人から「クレージーな私のファン」と呼ばれる照井氏が長年の夢をかなえたのがこのアルバムです。

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秋吉作品を聴く「ホープ」

2025-02-16 17:10:43 | ジャズ


2005年12月に録音された「音楽生活60周年記念」アルバムです。

トリオでの演奏が5曲とソロが4曲収録されています。

トリオは「ミラノの饗宴」、「広島節」、「アフター・ミスター・テン」、「すみ絵」、「ドラム・コンファレンス 3楽章」、ソロは「メモリー」、「エンドレス・ジャーニー(ドラム・コンファレンス2楽章)」、「スイート・ロレイン」、「ホープ」です。

「広島節」は2001年8月6日広島で行われたコンサート(「ヒロシマーそして終焉から」初演)のアンコールとして演奏された曲で、「節」と名付けられてはいても原曲となるものはないそうです。
コンサートの実況盤には未収録だったので、ここで聴けるのは喜ばしいです。

「ドラム・コンファレンス」は2002年1月31日、2月1日にニューヨークで初演された「リズム」というテーマで委嘱された3楽章構成のオーケストラ作で、コンサートでは大太鼓の林英哲さんをゲストに迎えて演奏されました。

唯一のスタンダード「スイート・ロレイン」は秋吉さんがジャズと出会った思い出の曲だそうです。
1947年にピアニストとして働いていた九州・別府のダンスホールの客から聴かせてもらったテディ・ウィルソンのレコードだったということです。

他の曲は、どれもなじみ深い秋吉オリジナルばかりです。

競演はジョージ・ムラツ(b)とルイス・ナッシュ(drms)とこちらもおなじみの顔ぶれです。

秋吉さんはこのアルバムの録音2日目(12月12日)に77歳の誕生日を迎えられました。
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秋吉作品を聴く「秋吉敏子ソロ・ライヴ・2004」

2025-02-09 15:13:46 | ジャズ


ビッグバンドを解散して約半年後の2004年4月24日、岐阜県多治見市でのソロピアノによるライヴレコーディング作品です。

ソロピアノアルバムとしては、1971年の「ソロ・ピアノ」、1994年の「アット・メイベック」、そして2000年の「アット・ザ・ケネディ・センター」に続く4作目です。

曲目は以下の通りです(参考までに過去に同曲を演奏したアルバムを挙げます。)
1「ロング・イエロー・ロード」(1961年「秋吉敏子リサイタル」他)
2「ディ・ドリーム」ビリー・ストレイホーン作(1978年「プレイズ・ビリー・ストレイホーン」)
3「アフター・ユーヴ・ゴーン(1957年「メニー・サイズ・オヴ・トシコ」、1963年「魅惑のジャズ」)
4「かんちょろりん節」相馬民謡(1965年「トシコの子守歌」)
5「ディープ・リヴァー」アメリカ民謡(1960年「トシコ=マリアーノ・カルテット」)
6「星に願いを」(1994年「ナイト・アンド・ドリーム」、1997年「ライヴ・アット・ブルー・ノート・トーキョー」)
7「セントラルパーク・ウエスト」ジョン・コルトレーン作(2004年「ニューヨーク・スケッチブック」)
8「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」セロニアス・モンク作(「ナイト・アンド・ドリーム」)
9「ホープ」(2001年「ヒロシマーそして終焉から」)
10「ティコ・ティコ」ラテン・ナンバー(1995年「イエス、アイ・ハブ・ノー・フォービート・トゥデイ 」)

以上の内、5「ディープ・リヴァー」だけが「アット・ザ・ケネディ・センター」でも演奏されているだけで、どの曲もこれまでのソロピアノのレコードには収録されていません。

ビッグバンドですべきことを成し遂げ、心機一転いちピアニストとして活動を始めた秋吉さんの意欲みなぎる演奏が記録された一枚です。




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この1枚「あのころ」古澤良治郎とリー・オスカー

2025-02-03 12:49:54 | ジャズ


ジャズを聴き始めたころは、スイングジャーナル誌の新譜紹介コーナーを見て興味を覚えたものを購入していました。

再発された名盤の他新譜もあり、日本人プレイヤーの作品もありました。

このアルバムもそうしたものの中の一枚で、リー・オスカーは知っていましたが、古沢さんは多分名前も聞いたことがなかったのではないかと思います。

当時は良く聴いていましたが、レコードが増えるにつれて出番がなくなりモダン系のレコードを大量処分した際に手放しました。

それがふと思い出して去年くらいから機会があったら再入手しようと思っていました。

どの曲も聞き覚えがありましたが、もともとアルバムタイトル通りどこか懐かしさを覚える曲ばかりなので「やっぱりいいなあ。」と納得しながら聴きました。

ハーモニカの音色自体も郷愁をそそる、ということもあるかもしれません。

とても心地よいレコードです。

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秋吉作品を聴く「ラスト・ライヴ・イン・ブルーノート東京」

2025-01-26 14:47:40 | ジャズ


秋吉さんは1973年以来、30年続けてきたビッグバンドをついに解散します。

その最後の記録が、2003年9月28・29日にブルーノート東京で録音されたこのアルバムです。

解散を決めたのは、「日本の伝統文化をジャズに注入すること」を目指してビッグバンドで活動してきた「成果が世界に認められ」、「ジャズ史に日本の1頁を加えることができた」ので、本来のピアニストに戻ってより上達する様、修行すべきだと思った」から、とライナーノーツでご本人が書いておられます。

数ある名曲の中から選ばれて収録されたのは以下の6曲です。

1「レディ・リバティ」
2「ザ・ヴィレッジ」
3「アンリクワイティド・ラヴ」
4「ヒロコズ・ディライト」
5「チェイシング・アフター・ラヴ」
6「ホープ」

「ザ・ヴィレッジ」と「チェイシング・アフター・ラヴ」以外は1982年にニューヨークに移住してから発表された曲です。
1「ウィッシング・ピース」1986年
2「花魁譚」1975年
3「ウィッシング・ピース」1986年
4「砂漠の女」1993年
5「塩銀杏」1978年
6「ヒロシマーそして終焉から」2001年

演奏はいつも通り、というかいつもに増して素晴らしいですが、中でも秋吉さんに「ワンアンドオンリー、日本が誇る」と紹介されて登場するゲストの日野皓正さんがバンドのトランぺッターたちとソロを競う4とルー・タバキンと圧巻のバトルを展開する5が最高の聴きどころです。

さて、この後の秋吉さんはご自身の言葉通りピアニストとして活動していきますが、7年後にビッグバンドを再結集して中国・上海で行ったコンサートのライヴアルバムが一枚残されています。
今のところ、それが秋吉さんが率いるビッグバンドとしての最後の作品になっています。

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