紙魚子の小部屋 パート1

節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物のあれこれ、家族漫才を、ほぼ毎日書いています。

図鑑好きでした。

2006-03-15 23:35:54 | 読書
 また今日も子どもの頃の昔話。カテゴリーを「読書」にしたにもかかわらず、読むのは「図鑑」。

 リンクさせていただいている「毎日読み聞かせ」のkoyateruさんの昨日の日記を読みコメントを入れたら、そのお返事に「夫本は、数限りなくあります。平家物語の和歌に感動した小学時代、中学での古今集や牧野富太郎植物図鑑・・・」。えっ!? 『牧野富太郎植物図鑑』? 家(実家)にもあったよ、ハードカバーの英和辞典くらいの大きさで、ボタニカルアートみたいな牧野先生直々の植物画と説明が載ってたやつ!

 絵をしっかり見て、説明も最後のラテン語の学名(もちろんカタカナ)も嬉しそうに読み、すみずみまで味わった。時には手に携えフィールドワーク。庭や野山や道ばたの気になる草花の名前を、立ち止まって調べた。

 そういえば、先日参加したビオトープのワークショップでは、植物専門の大学の先生が、ほとんど葉の落ちた樹木の名前を(幹だけなのに)どんどん教えてくださるのを聞きながら、妙にわくわくした。あの「わくわく感」は「昔とった杵柄」!?をどこかでかすかに覚えていたからかもしれない。

そして『植物図鑑』と同じ装丁だったので、たぶん同シリーズだと思う『昆虫図鑑』もあり、同じく読み込んでいた。
 地に足がついてないかのように素早く逃げる美しい甲虫「ハンミョウ」や、お米の中に棲息する「ゾウムシ」や目玉模様のハネをもつ「クスサン」という蛾などは、いまでも覚えている。今では信じられないくらい、大きくて沢山の虫が、このあたりでも棲息していた。

 昆虫図鑑を読みながら、やはり興味深いのは「毒のあるなし」。

 カフカが『変身』の主人公を「毒虫」に設定していたので、絶対だれかが毒にやられるんだと思って、どきどきしながら読んでいたのに何事もおこらず、ちょっと期待はずれだった。たぶん自家中毒の毒だったのだろう。

 子どもの頃は「ドクガ(毒蛾)」のページをみて、実に繰り返しどきどきした。
「ドクガ」という字面からして、いかにも禍々しい。が、「日本には棲息していないが」という説明書きに、ほっとする反面がっかりもした。インパクト大の名前の割に、黄色いおとなしそうな造形のガで、見た目だけなら「ヨナクニサン」の方が縄文時代の呪術の壺のようで、はるかに迫力がある。
 
 しかし。
 子どもの頃の記憶はしっかり脳に焼き付くはずなのに、私の場合はやや、いや、かなりあやふやになっている。あるいはキレイに忘れ去っている部分もあるみたいで「更年期が来る前に認知症か?」と自分にツッコミをいれたくなるほど。というか、だから更年期すら認知できないのかも、と今書きながらうっすらそんな気さえした。

 子どもの頃繰り返し読んだ「ビジュアル読書」。たとえ知識は崩壊している?としても、自然とつながるワイルドな読書経験は、やはり得難いもので、夏の光のように輝いている。