1000年以上も前に登頂した修行僧の残したもの。
明治四十年七月十三日、
参謀本部陸地測量官の柴崎芳太郎ら一行が、
剣岳登頂のさい頂上で銅製の錫杖頭と鉄剣を発見したことは、
新田次郎(本名:藤原 寛人)の剣岳<点の記>の小説にも記載され、
実際にその「銅錫杖頭」は立山博物館が所蔵・展示しています。
(新田次郎・藤原ていの作品は殆ど読む)
昔の立山信仰を様々な観点から見ると、
信仰対象になっていたのは雄山ではなく<劔岳>ではなかっのかと思うことが多い。
たてやま・たちやまというが、
富山平野からは劔岳が見え立山は見えない。
また、立山という山はない。
たちやまというイメージは<つるぎ>ではないか。
大伴家持も、
<たちやまの ゆきしくらしも はえつきの
うまのわたりせ あぶみつかすも>
馬 渡瀬
早月川と劔岳→<たちやま>です(^^;
明治四十年七月十三日、
参謀本部陸地測量官の柴崎芳太郎ら一行が、
剣岳登頂のさい頂上で銅製の錫杖頭と鉄剣を発見したことは、
新田次郎(本名:藤原 寛人)の剣岳<点の記>の小説にも記載され、
実際にその「銅錫杖頭」は立山博物館が所蔵・展示しています。
(新田次郎・藤原ていの作品は殆ど読む)
昔の立山信仰を様々な観点から見ると、
信仰対象になっていたのは雄山ではなく<劔岳>ではなかっのかと思うことが多い。
たてやま・たちやまというが、
富山平野からは劔岳が見え立山は見えない。
また、立山という山はない。
たちやまというイメージは<つるぎ>ではないか。
大伴家持も、
<たちやまの ゆきしくらしも はえつきの
うまのわたりせ あぶみつかすも>
馬 渡瀬
早月川と劔岳→<たちやま>です(^^;