<シルクロードを点で繋ぐ旅><朝顔・君子蘭・竹など>

シルクロードの都市を点々と歩き、砂漠や高山、信仰と食事=文化に興味を持つ。
朝顔・君子蘭・竹などを育てている。

書聖 王羲之-資料ー喪乱帖そうらんじょう

2013-03-13 18:37:10 | シルクロードの旅--中国
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<心肝を貫く>が感動する筆使いと。

読み下し文
羲之頓首、喪亂の極み、
先墓、再び荼毒にかかる。
追惟すれば酷甚だしく、号慕摧絶し、
痛、心肝を貫く。 痛、当に奈何すべき、
奈何すべき。 即ち修復すと雖も、
未だ奔馳するをえず。哀毒、ますます深し。
奈何せん、奈何せん。紙に臨んで感哽し、知らず、
何をか言わん。 羲之頓首頓首。

書聖 王羲之の革命-資料ー喪乱帖

2013-03-13 17:42:37 | シルクロードの旅--中国
異民族(茶毒=匈奴)に先祖の墓が荒らされて、
心胆を貫く程のいかりを。
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王羲之は折にふれて様々な書を残した。
以下の中には、前田家・宮内庁・個人蔵もある。
これらは、遣唐使が持ち帰ったものと。

・行穣帖(こうじょうじょう)
 臨模本がプリンストン大学美術館に収蔵

・奉橘帖(ほうきつじょう)
・妹至帖(まいしじょう)
・平安帖(へいあんじょう)
・姨母帖(いぼじょう)
・瞻近帖(せんきんじょう)
・二謝帖(にしゃじょう、『二謝書帖』とも)
・寒切帖(かんせつじょう)
・初月帖(しょげつじょう)
・遠宦帖(えんかんじょう)
・孔侍中帖(こうじちゅうじょう)
・快雪時晴帖(かいせつじせいじょう)等など。
「羲之頓首」に始まる
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集王聖教序(しゅうおうしょうぎょうじょ)
『集字聖教序』ともいう。
唐の太宗が玄奘三蔵の業績を称えて撰述したもので、
これに高宗の序記、玄奘の訳した般若心経を加え、
弘福寺の沙門[17]懐仁(え にん)が、
高宗の咸亨3年(672年)12月勅命を奉じ、
宮中に多く秘蔵していた
<王羲之の遺墨の中から必要な文字を集めて>
碑に刻したものである。
字数は約1800字で、原碑は現存する。(碑林会館?)

羲之が歿してのち、300年後の仕事であるので困難も多く、
偏と旁を合わせたり、
点画を解体して組み立てた文字もあり、
完成するのに25年を要したといわれる。

平安帖 何如奉橘帖   
行書三帖を合幀したもの。 
古くより唐以前の双鈎填墨本であることが知られている。 
唐の懐仁は「集字聖教序」中に本帖より
「百」「霜」「降」の三字を採用している。


書聖 王羲之の革命-資料ー

2013-03-13 17:04:09 | シルクロードの旅--中国
王羲之の<革命>とは何か。
最後までTVを視聴してわかりました。

骨や甲羅に<彫って>吉凶を占う文字=最古の漢字
石に<彫って>契約=主従関係を守らせる文字=篆書
甲骨文字・金文・隷書・篆書。
やがて、
<紙>に、<筆>で自在に書く。
感情に任せ、怒り・懐かしさ・優しさなどの気持ちをも表現→<芸術>と。

小さな庭を作って野菜をそだてたとか。
怒って悲しくて辛くて、どうしよう、どうしようと悶え苦しむなど。
筆の流れも<緩急>をつけ、
字も、流れるように続く。
行書・草書のはじまりと。

資料  王羲之(おうぎし)
中国4世紀の東晋時代に活躍した王羲之303~361、異説あり)は、
従来の書法を飛躍的に高めた。
生前から高い評価を得ていた王羲之の書は、
没後も歴代の皇帝に愛好され、
王羲之信仰とでも言うべき状況を形成。

王羲之の神格化に拍車をかけたのは、唐の太宗皇帝でした。
太宗は全国に散在する王羲之の書を収集し、
宮中に秘蔵するとともに、
精巧な複製を作らせ臣下に下賜して、王羲之を賞揚したのです。
しかし、
それゆえに王羲之の最高傑作である蘭亭序(らんていじょ)は、

太宗皇帝が眠る昭陵(しょうりょう)に副葬され、
後世の人々が見ることが出来なくなった。

その他の王羲之の書も戦乱などで失われ、
現在、<王羲之の真蹟は一つも残されていません。>

そのため、宮廷で作られた精巧な複製は、
王羲之の字姿を類推するうえで、
もっとも信頼の置ける一等資料となります。