出石城【豊岡市指定史跡】を登城し、「但馬の小京都」・出石の城下町を後にします。
全但バス出石営業所に戻ってきました。
ここからは、15時33分発 豊岡駅・豊岡病院行きのバスに乗車します。
出石の城下町を後にしたバスは、しばし出石川ぞいを進んでいきます。
この日はあいにくの雨、出石川の水量もかなり増えているようでした。
出石川は、やがて本流の円山川に合流します。
バスは円山川を渡り、豊岡の市街地に入ります。
かなり強い雨が降っています。
山陰本線は運行しているのでしょうか・・・。
悪天候の中、全但バスさんはほぼ定時運行で進み、
「次は、豊岡駅前です」
私は「とまります」のブザーを押し、バス停で下車しました。
おおぅ、全但バスさんは豊岡駅のロータリーで停まっています。
どうやら「豊岡駅前」と「豊岡駅」は別のバス停だったようです。
豊岡駅前バス停から、雨の中を歩いて豊岡駅に到着しました。
【今回のバス乗車記録】
全但バス 出石営業所 15時33分発
■出石豊岡線 出石特別支援学校・
豊岡駅前バス停 16時09分着
*所要時間 36分
*運賃 590円
豊岡駅から先へは・・・
山陰本線でさらに西を目指します。
乗車する列車は、次発の17時ちょうど発 普通列車 浜坂行きになります。
先発の特急列車は、2駅先の城崎温泉止まり。
城崎温泉に立ち寄って日帰り入浴をしていこう・・・なんて気力は失せてしまったので、40分ほど豊岡駅でじっと待つことにしました。
とりあえず豊岡駅で「城攻め」をし、豊岡城と久美浜陣屋を攻略。
田結庄是義は「山名四天王」と称される山名家の重臣のひとりで、同じ「四天王」の垣屋
宮部継潤ははじめ浅井長政に仕えましたが羽柴秀吉に帰順し、山陰地方の攻略や九州征伐に大功を挙げた武将です。
時刻は夕方、車窓を楽しむにも限りがある時間帯。
やれることといったら「城攻め」をこなしていくこと・・・それくらいでしょうか。
16時40分前、浜坂行きの列車が入線してきました。
今回乗り込む車両はキハ47形という気動車です・・・って、私にはさっぱりわからないんですけどね。
座席はボックスシートなので、窓際でゆったり車窓を眺められます。
見えるかどうかはともかく、私は日本海を見たかったので、進行方向右側の座席に腰を下ろしました。
列車はしばし、但馬地方を潤す円山川にそって進みます。
円山川の下流域は、特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約(ラムサール条約)に登録されている湿地なのだそうです。
このあたりは、絶滅危惧種に指定されているコウノトリの良好な生息地となっているそうです。
17時17分、城崎温泉駅に到達。
ここでは下車せず、先を急ぎます。
風情のある城崎温泉の旅館街を、チラリと垣間見ることができました。
城崎の温泉街から外れたところにある池は、桃島池というそうです。
この池も、円山川の下流域としてラムサール条約に登録されている湿地とされています。
この池の下流には、どうでしょう班が宿泊した「大西屋水翔苑」というお宿があるそうですが、山陰本線からは見えませんでした。
17時31分、城崎温泉の隣駅・竹野駅を過ぎたところで・・・
日本海だぁ~~~!
「北日本完全制覇!?」の小樽へ向かう函館本線以来、3年ぶりに日本海さんにお目通りすることができました。
しかしながら時はすでに日の入りを過ぎ、車窓から光が失せていきます。
17時38分、佐津駅到着前。
佐津川という川にかかる佐津川橋のライトアップが始まっています。
17時43分、柴山駅付近。
リアス式海岸を構成している小さな柴山湾の風景を、辛うじて見ることができました。
17時49分、香住駅に到着。
改札口に架かっているカニさんはベニズワイガニで、香住近辺で漁獲されるものは特に「香住カニ」というそうです。
18時00分、山陰本線随一の車窓・・・を誇る余部橋梁を通過。
車窓を楽しむのは、ここが限界のようです。
18時11分、
この列車の終点・浜坂駅に到着しました。
「ケビン・コスナーじゃん」
「エアーウルフだね」「トップガンみたい」
浜坂駅のあるこの地は「新温泉町」。
読み方はいたって普通の「しんおんせんちょう」。
温泉町という名前の通り、この町には湯村温泉があります。
湯村温泉・・・どうでしょう藩士にとっては有名な、かの大泉洋ヘリ嘔吐事件の地でもあります。
「・・・君は、トップガンにはなれないね」
現在はヘリコプターの運航は行っておらず、ヘリ嘔吐事件の現場となった湯村温泉ヘリポートも廃止されています。
この日最後となる列車にお乗り換え。
18時16分発 山陰本線 快速列車 鳥取行きで、はじめての山陰地方上陸へ。
浜坂から4駅、鳥取県に入って2駅目の岩美駅にて、
この日最後となる「城攻め」で、桐山城と二上山城を攻略し、
二上山城の城主であった垣屋光成を登用できました。
光成さんは父を討った田結庄是義を逆襲して滅ぼし、以後は時流を的確に読んで織田信長や羽柴秀吉につき、垣屋家の所領を守り抜きました。
光成の死後、子の
19時03分、
列車は定刻どおり鳥取駅に到着しました。
【今回の鉄道乗車記録】
JR西日本 豊岡駅 3番線 17時00分発
[E][A]山陰本線 普通 浜坂行き 2両ワンマン
浜坂駅 3番線 18時11分着
浜坂駅 1番線 18時16分発
[A]山陰本線 快速 鳥取行き 2両ワンマン
鳥取駅 1番線 19時03分着
*所要時間 2時間03分(移動時間 1時間58分 乗換時間 5分)
*移動距離 81.9km
*運賃 秋の乗り放題パス使用(使用しない場合、1,520円)
【今回の「城攻め」成果】
[E][A]山陰本線(豊岡駅~浜坂駅)
16時22分 豊岡駅 豊岡城と久美浜陣屋を攻略。
田結庄是義と宮部継潤を登用。
17時07分 玄武洞駅(豊岡から1駅) 轟城を攻略。
17時49分 香住駅 (豊岡から6駅) 大野城を攻略。
[A]山陰本線(浜坂駅~鳥取駅)
18時19分 浜坂駅 温泉城を攻略。
18時38分 岩美駅 (浜坂から4駅) 桐山城と二上山城を攻略、垣屋光成を登用。
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