鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

滝山城登城・第2章~絶対死守

2020-11-29 | 城郭【続日本100名城】


令 和 2 年 ( 2 0 2 0 年 ) 8 月 7 日 ( 金 )

午 前 1 0 時 0 3 分

東 京 都 八 王 子 市

都 立 滝 山 公 園 入 口



令和2年最初の城攻めは、滝山城
意気揚々と攻め上る私に、小さき北条軍が思わぬ反撃をしてきました。

私は一時撤退を余儀なくされ、



近場の青屋敷にて兵器を買う羽目になったのです。





いざ、滝山城へ!(本日2回目)



天野坂を上り、





左の小宮曲輪、右の三の丸に挟まれた危険ゾーンを進み、



二の丸への通路と山の神曲輪への通路との分岐点まできたところで、先ほどは一時撤退をしたのでした。
今回はそのまま城の中枢へと攻め込んでまいります。


山の神曲輪は城の中枢から離れた郭で、その名のとおり山の神を祀る社がありました。
また永禄12年(1569年)の武田信玄の侵攻に対して、城下の民衆たちをこの郭に避難させたと推定されています。
今回は行かなかったんですけどね。


城の中枢をめざすと、しばらくは右手の三の丸からの脅威にさらされますが、



三の丸の切れ目から次の郭に進む間に、コの字型土橋を通らなければなりません。



こちらは、土橋を通過して振り返ったときの画。
対岸から攻め手が押し寄せてくるのですが、攻め手側はコの字をたどるように4回方向を変えなければならず、勢いが削がれてしまいます。



こちらも、土橋通過後に振り返った画。
土橋なので、道の両脇は空堀になっています。
さらに当時は、通路がかなり狭く造られていたようです。
ここを通過する際には、後方の三の丸からの攻撃、前方の千畳敷からの攻撃にさらされることとなっていたのです。




コの字型土橋を通過して直進すると、二の丸へと続きます。
先にある右への分岐路も、迂回しつつ二の丸へと向かう道です。
手前にある左への分岐路は、





千畳敷と呼ばれる郭に続きます。



千畳敷の先は二の丸へと続く虎口となっており、角型の空堀が造られて角馬出が構成されています。



草木が生い茂って、空堀が見えづらいですねぇ・・・。



でも確かに、深い空堀があるんです。
緑がいっぱいすぎて、よく見えないですけど。

そして緑いっぱいということは、例の小さき北条軍がさかんに羽音を立てているってことです。
対策を講じて臨んでいる滝山城ですが、虫よけスプレーの効力にも疑問を感じてしまう・・・それくらいに小さな北条軍は私に肉薄しています。



角馬出の箇所で、二の丸を背にして立っています。
向こうの広場が千畳敷ですね。
ここからもよくは見えていませんが、ここと千畳敷は深い空堀で隔てられています。

この厳重な構えを突破しなければ、二の丸へは入れないのです。
滝山城を攻めた武田信玄の軍勢も、ここを攻め抜くことはできなかったといいます。




滝山城攻防戦から幾百年、私は悠々と二の丸に入ります。



本丸へ向かう前に、信濃曲輪方面へ寄り道します。



なんの変哲もない細い道ですが・・・

 

両側は深い空堀、



道の脇には、草木が生い茂って見づらくなっていますが、東馬出が構築されています。



こちらは外側から見た二の丸
内外の郭の高低差は歴然としていて、さらに空堀の深さも見事です。



滝山城の二の丸に至る虎口は、そのすべてに馬出が備わっています。
築城した北条氏照のねらいは、「二の丸絶対死守」
永禄12年(1569年)の武田信玄による滝山城攻めでは、2千の北条軍が2万の武田軍を二の丸で食い止めたのです。

二の丸への虎口は上記2ヶ所のほかにあと1ヶ所あるのですが・・・
猛暑と蚊にやられてスルーしてしまったようです。
滝山城も再訪が必要ですね・・・そのときは草木が枯れる冬にでも参りましょうか。






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