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鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

月見坂を歩く・中尊寺

2012-12-19 | 寺院仏閣

2 0 1 2 年 3 月 3 1 日 ( 火 )

午 後 1 時 5 9 分

岩 手 県 西 磐 井 郡 平 泉 町

中 尊 寺 月 見 坂





中尊寺の入口から。



中尊寺の参道・月見坂
江戸時代に伊達藩による庇護を受け、整備された杉並木の参道。

この月見坂は案外長く、500メートルほどの長さがあったと思う。

月見坂の左右に、諸々の伽藍が配置されている。
入口に近い方から、八幡堂、弁慶堂、地蔵堂、薬師堂、そして本堂の順である。


伽藍の前に、上り坂の右手側・・・



中尊寺の東側には奥州を貫く大河・北上川が流れる。
その北上川に合流する衣川
この画像ではよく見えないが、川の合流付近は「弁慶衣川の立往生」の地といわれる。


八幡堂は・・・
月見坂の側道に面しているので、私はスルーしてしまいました・・・。




衣川で立往生した弁慶を祀る弁慶堂
源義経弁慶の木像を安置している。

悲運の主従に、しばし合掌。




次は右手側に地蔵堂




坂の左手側に薬師堂

この時点で、財布の中に10円玉、5円玉、1円玉がなくなる。




坂の右手側に、本堂の前に構える中尊寺本坊表門【岩手県指定文化財】。
薬医門という形式の門構え。



中尊寺の本堂
本堂の中には、昭和になって延暦寺から分火された「不滅の法灯」が灯っている。

平泉の寺院は、毛越寺といい中尊寺とくに金色堂といい、浄土信仰に基づく意匠が目立つが、中尊寺も毛越寺も天台宗の寺院なのである。


中尊寺も、毛越寺と同じく、3代天台座主であった慈覚大師・円仁の開山とされる。

中尊寺の本格的な造営は、12世紀初めの奥州藤原氏初代・藤原清衡の手による。
1051年から1062年の前九年の役、1083年から1087年の後三年の役を経て奥州の覇者となった清衡は、合戦で戦死した者を平等に供養し、戦乱のない仏国土を建設するために伽藍を整備し、金色堂を建立した。

源頼朝による平泉攻めのあとも、伽藍は保存されたが、1337年の火災により、伽藍のほとんどが焼失してしまう。

江戸時代になると仙台藩の領内となり、藩主である伊達氏の庇護を受け、堂宇の補修や建立がなされた。

1909年に本堂が再建。
1962年より金色堂の解体修理が行われ、6年後に創建当時の輝きを戻すことになる。


私にしてはめずらしく100円玉!!をお賽銭で奉納した。




不動堂



峯薬師堂は、眼病にご利益があるという。



大日堂



阿弥陀堂



弁財天堂


財布の中に50円以下の硬貨が1枚もなくなってしまったので、本堂より先の伽藍では参拝をとりやめた。
なんと罰当たりな私。


このように中尊寺は、本坊と数々の支院で構成されている。
これらの伽藍の参拝は無料。



金色堂、宝物殿は次回で。