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鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

雪辱!駿府城

2012-12-09 | 城郭【日本100名城】

2 0 1 2 年 1 月 9 日 ( 月 )

午 後 3 時 3 9 分

静 岡 市 葵 区

駿 府 城 公 園



月曜日に受けた駿府での屈辱を・・・
月曜日のこの日に晴らす!!

というわけで、駿府城の跡地である駿府公園(現・駿府城公園)へ。



駿府公園を取り囲む豪快な水濠。
この内側は二の丸ということになる。



堀に対して出っ張った部分は横矢掛りといい、石垣をよじ登る敵兵に横から射撃を加えるためのものである。


水濠に沿って東側を歩いていくと、



二の丸の南東を見張る(たつみ)【復元】がにらみをきかせ、



二の丸の東側を固める東御門【復元】に到着。
東御門の一の門は高麗門という形式。



二の門は櫓門。
堅固な升形構造になっている。


二の門から中に入ると、時刻は午後3時46分。

・・・まずい、急がねば。

全国的に閉城の時刻は、冬場は午後4時とか4時半が多いのだ。
雪辱を晴らすべく訪れた駿府城に返り討ちにあうのだけは避けねばならない。

ということで・・・



41番、駿府城!

スタンプを速やかに確保。


次いで東御門&巽櫓に入る。
入場料は、大人200円。
城内の紅葉山庭園との共通券が300円なので、こちらを購入。



大御所となった家康公を拝見。
中に展示されている資料をじっくり見る余裕はなく、わずか10分で出た。



いちおう雪辱を果たした・・・かな?




忌まわしの駿府へ

2012-12-09 | 移動の旅

2 0 1 2 年 1 月 9 日 ( 月 )

午 後 1 時 1 5 分

静 岡 県 三 島 市

伊 豆 山 中 城



山中城を出たが、バスが来るまではかなり時間があった。

ただただ待つ。
ふと、かつての苦い思い出を喚起する・・・



駿府城。

2010年9月6日、月曜日。
このときも駿府城を登城した。

月曜日は平日だったが、この日は有給をとっていた。

有給バンザ~イ!

浮かれ気味の私を待ち受けていたこの駿府城は、月曜定休日という仕打ちを与えてきたのだ。
駿府城の東御門には入れず、紅葉山庭園にも入れず、100名城スタンプももらえなかったのだ。

駿府城で受けた月曜日の呪いの災厄はまだまだ続く。

静岡市内で食べるつもりだった静岡おでんの店が見つからない

そのまま静岡駅の駅ビルを放浪し、まったく食べる気のないプリングルズのサワーオニオン味を買っていた。

静岡から富士宮へ焼きそばを食べにいったが、駅の出口を誤り、事前にチェックしていた店が見つからない。
ようやく見つけたと思ったら、月曜定休

別の店を探すために、富士宮市内をうろつくこと約30分
見つけた店は、富士宮駅から約1キロ

焼きそばは今までで最も美味いものだったが、列車の時刻が押していたため、店から駅まで走るハメに。



バスが来た。三島駅へ戻る。


沼津東海登山バス 山中城跡 13時41分発
  65系統 三島駅南口行き
  14時16分着  590円


三島から、さらに西へ。


JR三島駅 2番線 14時27分発
  東海道線 普通 浜松行き
  静岡駅 3番線 15時30分着



2012年1月9日は月曜日であった。
しかしこの日は成人の日

国民の祝日の場合、定休日ではないことは、事前に確認済みである。


再びやってきた静岡の地。
再び挑む忌まわしの駿府城。




出丸を突貫工事!伊豆山中城・其之参

2012-12-09 | 城郭【日本100名城】

2 0 1 2 年 1 月 9 日 ( 月 )

午 後 1 2 時 2 7 分

静 岡 県 三 島 市

山 中 城 址 駐 車 場





山中城の北西部・本丸部分を約1時間半かけて回った。

山城は広い。
まだ南東部・岱崎出丸(案内図の左側)が残っている。


山中城の岱崎出丸は、豊臣秀吉の小田原攻めの際に真っ先に攻撃を受けたところである。

北条と豊臣の外交が破綻すると、北条軍は山中城の改修にとりかかる。
岱崎出丸は、その突貫工事により造成された。
しかし普請が中途のまま、秀吉の小田原攻めが始まってしまう。

北条軍の大将・北条氏勝、山中城城主・松田康長は、部将の間宮康俊を岱崎出丸に配置した。

しかし豊臣軍は総勢7万
多勢に無勢、奮戦むなしく岱崎出丸は陥落し、山中城は半日で落城する。



まずはじめにあらわれるのが、出丸御馬場跡



土塁で東と北を守り、南は急峻な谷をのぞみ・・・、



西は深い空堀(出丸御馬場堀)に囲まれた岱崎出丸最大の曲輪。
曲輪の中は、本丸と同じく二段構築となっている。
ここには馬場があり、軍馬を調練していたという。


出丸御馬場堀の次には、突貫工事で構築途中の曲輪の跡が残っている。



出丸御馬場堀を掘り返した際の土により、小高い丘のような曲輪を構築しようとしたのだろう。






岱崎出丸からの眺望もなかなか。


岱崎出丸の最先端は、すり鉢曲輪と呼ばれる。



ここの曲輪は、中央に向かってくぼんでいく、まさにすり鉢のような形をしている。
中央部は平らに近いが、曲輪の端に行くにしたがい傾斜が急になる。

私も曲輪に入ってみたが、重荷を持って曲輪を登れるだろうか・・・と考えるくらい急だった。

すり鉢曲輪のかたわらには城兵が控える武者だまりが備わっていた。


最後に、岱崎出丸の南側。



美しい畝堀がここにもあった。
小径をたどって堀のそばへ。



近くで見るとひとつひとつの格子が2メートルほどの深さがあり、落ちたときにはい出ることが困難なのがよくわかる。



植栽に目を向けると、「山中城跡」とあった。





山中城を出た。

旧東海道を100メートルほど歩いて、バス停へ。