先日の5月12日(日)鈴鹿八鈴会の同窓会が京都 嵯峨嵐山のコミュニティ嵯峨野で東京・関東のお世話で参加者22名で行われました。(会いたかったW引さんが開催日を間違え前日に現地からまだ誰も来ないと電話があったそうで当日は欠席)
昭和46年4月から12月まで9カ月間 北は北海道南は九州沖縄までの(まだ沖縄は我が国ではなかったのですが2名)我が国の通信インフラをささやかでも支えるため技術を習得し現場で活かすため1組33名 4組計132名が思い出沢山の生活を過ごしました。
入学式から卒業式までわが2組33名素晴らしいキャラの持ち主ばかりで毎日が楽しい9カ月でした。
今でも学園でのいろんな行事が思い出されます。
入学後の鼓が浦での合同訓練 三木里での夏季訓練 北・南に分かれて行った修学旅行 運動会・水泳大会・駅伝大会などいろんな学園行事 思い起こせば切りがありません。
同窓会には副担任のM井教官も松山から若々しい元気なお顔で出席していただき学園でのいろんな思い出に夜遅くまで語らいました。
途中で 無理をお願いしてY田さんにプロも顔負けの手品もあり全員大喝采でした。
学園での出来事の話題にはきりがありませんでした。
とても残念なのは信越のO島さんが病気で亡くなられたことです。
近畿の何名から「第1回は熱海だったよね 2回目は京都鴨川荘でしたよね。今回は3回目だよね!」と
私はあったような気もしたし ?の気もした。
家に帰り どうだったか記憶をたどり 近畿の人が言うようにやったと思い出しました。
第3回の世話人は本来ならば北陸S秋さんとHさんのはずだったので、みんなからほんの少し責められていましたが、S秋さんは「おらぁ 聞いてないぞ 知らんぞ」「二人ではとうていお世話も出来んぞ」と言われていました。(言われる通りです。)
今回の世話人には全員感謝・感謝です。
帰り際にみんな元気でいましょうね。元気でいれば又会えますからと言い残し、次回も東京・関東でお世話していただけないだろうかと私個人的にお願いして、私の両親が分骨してある京都東山の大谷廟にお参りして帰りました。
当日は義母の命日だったのでくノ一には墓参りは待ってもらい、駅まで迎えに来てもらい二人で済ませました。
次回も今回都合で参加出来なかった人とも元気な顔で再会したいと切実に願っています。
※残念ながら撤去された格納庫(鈴鹿ケーブルTVの鈴鹿海軍航空隊番組から)