今日10月28日 我が家の葵千姫が9歳を迎えました。
相変わらず とても穏やかな性格です。(好きです葵ちゃん)
私の近くの柱にリードで括られています。(一緒に寝ています)
用を足したくなると私に眼とクンクンと鳴いて知らせます。(時々深夜にも起こします)
でも とてもお世話が楽なお犬様です。
元気でこれからも私を癒して下さいね。
夏を何とか過ごして中の葵ちゃんです。(猛暑の日には首に冷たいタオルを巻いて過ごしました。)
葵ちゃんの大好きな柿が例年より少ないですがなっています。
柿の下に来ると食べたいなと見上げています。
金曜日から漱石の食欲が落ちていた。
私はその日が母の命日だったので京都の大谷本廟にお参りをしてた。
お参りを終え漱石が気になり、帰ると漱石がどうも吐いた形跡がいくつかあった。
飼い主のくノ一はいつものようになかなか帰って来ない。
元気が無い漱石の背中を擦った指圧をしたりして何とか元気になればといろいろやってみたが痛がる様子で可哀そう。
土・日曜日は奈良で後期の一つ目のスクーリングが入っていた。漱石が気になるが仕事のくノ一より先に出かけた。
夕方真っ暗な家に入った途端 足に何か冷たい液体の感触が…
蛍光灯を付けると あつこちに吐いた跡が点々と…
葵と涼の夕方の散歩も気になるが、先に漱石の吐いた後処理をすることに…
漱石はその間にもしんどそうにしている。
堪りかねくノ一に電話するが出ない…
何度か時間を置いて電話してようやく繋がった。
デーサービスで天神祭に行ったそうで、その後事務処理をしてたらしい。
電話も繋がらないし頭に来ていたので「飼い主さん漱石明日まで持つか…」と強い口調で言った。
くノ一が帰って来たので「病院に連れていかんと駄目かもしれんよ!」と
かかりつけの動物病院に電話するが 診察時間が過ぎているので出ない。明日は日曜日なので休診
住んでいる伊賀市には高度治療で有名なM動物病院がある。
そこに電話したが、もう診察時間は終えていた。日曜日にそこは開いている。
朝起きて生きていれば明日そこに連れていって診察代は私のカードで払えば良いからと くノ一に話して就寝
朝 漱石は相変わらずしんどそう。
スクーリングが今日もあるので準備をしていると、漱石がしんどそうに家の外に出て行った。
猫は自分の終焉を人間には見せないと聞いていたことがあるので、私はこれで漱石とも もうお別れかと思いながら出かけることにした。
でもとても気になるので、時々朝帰りした時居場所にしている所に行ってみることにした。
いた しんどそうに横になって
抱いて連れて帰り くノ一に「病院お願いね」と頼み
気になりながらスクーリングのある奈良へ
昼休みにくノ一に電話して「漱石の状態はどう?」と聞いたら
「CT・血液検査など一通りして今は点滴を受けている 夕方まで預けて連れに来る予定」と言った。
気になりながら講義を受け終え JR奈良駅で電話したが出ない。
何度か電話したら 今は家に帰っているよ「原因は分からないが…点滴(吐き気止め・下痢止め・抗生物質・栄養剤など)が効いて少しごはんを食べたよ。」と言ったので 安心して帰った。
帰ると漱石が「ミャ~ ミャ~」と寄って来た。
おぉ「帰って来たか」と擦ってやった。
一晩過ぎて今日は食欲も出てきたのかごはんも食べた。
くノ一に「治療費はどうした?いくらだった?」と聞いたら
「私のカードで払った。*****円だった。」と言ったので
「ほんなら年金も今月は入っているので半分私が持つは…」と半分現金を渡しておいた。
犬や猫には保険が利かないのでまぁ 仕方がないことです。
猫苦手な私を元気にまた癒してくれればうれしいよ漱石
BS11で土・日の正午から中央競馬中継を放送している。
その中でプレゼントの応募があり、初めて応募したら優駿(競馬月刊誌)が送られて来ました。
文面に「大変遅くなりましたが、…」と書いてありました。
10月なのに9月号でした。
でも付録に「1990年代の名馬&名ホースマンの記録」というDVDが付いているようなのでこれはうれしいです。
久々にプレゼントをいただきました。
くノ一が月初めにブロッコリーと白菜とキャベツの種を植えた。
白菜とキャベツの種はどうも古いのを植えたらしく…芽が出て来なかった。
私が農業屋で新しい種を買って来て、くノ一が植えなおしてようやく最近苗らしくなった。
本業農家では白菜なんかはもう葉もかなり大きくなっている。
畑に植えなおして霜が降りる前葉が大きくなれば良いが…
キャベツは葵や涼の朝のデザート用に植えている。
春に植えたキャベツは虫に食べられ散々な出来だった。
冬に向かうのでたぶん虫も付かないだろう。
楽しみだ 大きく育って欲しい。
今日は岡八幡宮の秋の大祭
午前中に小学生は1時間目を終え帰宅し祭の子供神輿を担ぎ区内の各戸を廻り祭を盛り上げてくれました。
我が家の葵と鈴は遠くから聞こえる祭り太鼓の音に『祭りだ祭りだ』と吠えて神輿が近づくのを教えてくれました。
午後にはお宮にお参り各社に参拝
巫女舞の奉納を見て
甘酒(お餅)の接待を受け
獅子舞の奉納を見て元気をいただいた秋のひと時でした。
今日伊勢神宮では今年収穫の新米の奉納があったそうです。
昨日からの寒さが秋を感じさせます。
一昨日 広島の退職者の会から『お元気ですか』の新聞が届いた。
その中の お悔やみ申し上げます という記事の中に……
同期入社の「名越實」君の名前があった。
え~ぇ
あの元気そのものの「名越」君が……
亡くなった原因が何故か気になり なんとなしに名前を入れてネットで調べてみた。
沢山 ヒットして出てきた。
その内容は 昨年末 鑓が岳付近に単独冬山登山に行き遭難したらしく、その後行方不明となり
所属広島山岳会の3度目の捜索で今年の6月6日に槍沢尾根側槍沢ロッジ下約450mで発見されたそうだ。
ヒットした中に「イッテQのイモトさんの山の番組」にバックアップされてたとの記事もあった。(山岳界では超有名だったようだ)
同じ職場ではなかったが広島で勤務してた時 時々顔をみては、お互い「どうしょとる」と言葉を交わしていた。
不思議と波長が合う自然人だった。
チョモランマにも登頂(8300mまで無酸素)したようだが そんな事は何も言わない人だったが、カナダのバフィン島フリーガⅡ峰北壁(60m×16P)初登攀の時には「オーバーハングなどで手ごわく大変だった。」と言っていたのが今も記憶に残っている。
私が最後に言葉を交わした時には「自転車で通勤している。」と言っていた。
かなりの距離や坂がある通勤路 50歳過ぎて体力維持に毎日努めているのだなと関心していた。
亡くなったのが、残念でしかたがない。
彼の冥福を祈り合掌
以下に彼の山行の凄い記録を記して明るく自然人だった名越実君を偲びたい。
海外登山:踏査歴:
1975・76年12月・2月韓国:雪岳山、土曜城氷瀑登攀(170m/200m まで)
1976年秋インドヒマラヤ:キシュトワール山域踏査(単独)
1977年4~7月インドヒマラヤ:バルナージ峰(6290m)初登頂
ラダーク地域踏査、パキスタン:ラホール~ガンダーラ~カイバル峠旅行
1981年5~8月インドヒマラヤ:クン峰西壁(7077m)初登攀(近藤x名越=アルパイン)
1983年夏パキスタンカラコルム:シムシャール山域踏査(単独)
1984年6~8月パキスタンカラコルム:ボイオハグール・ドゥアンアシール(ウルタル)Ⅰ峰(7329m)初登頂
1988年2~6月チベットヒマラヤ:チョモランマ(エベレスト)峰登山(8300mまで=無酸素)
1991年1月韓国:済州島 自転車にて島を半周しハルラ山登山(3名)
1993年6~9月インド:カラコルム:アク・タシ峰(7016m)初登頂(南西壁より)
インドヒマラヤ、ガンゴトリ山域踏査
1997年夏カナダ:バフィン島(北極圏)踏査
1998年6~8月カナダ:バフィン島フリーガⅡ峰北壁(60m×16P)初登攀/Ⅰ峰(11p)敗退
10月ブータン王国:ドゥック山域踏査(単独)(通産大臣よりの招待)
2003年秋ネパール:クーンブ山域踏査(単独)
2005年4~5月ネパールヒマラヤ:テンカンポチェ峰(6500m)北東岩稜登攀(5100mまで)
2007年9~10月中国:四川省、チョンライ山系:覇王山(5551m)初登頂(3名=アルパイン)
中国:四川省:チョンライ山系:石笋山(5183m)初登頂(4名=アルパイン)
2008年10~11月インド:ガンゴトリ山域~パキスタン:カラコルム山域踏査
2010年3月台湾:玉山登山(JAC隊;中華民国登山協会よりの招待)
国内登山歴:
無雪期の記録
1971年7月南ア;光岳~聖岳~塩見岳~北岳(縦走)
1975年8月穂高:継続登攀(屏風~赤沢山P1~屏風~奥俣~滝谷~北鎌尾根~幕岩)
1976年7月黒部:奥鐘山西壁(広島ルート第4登 他)
1979年11月宮崎:行縢山雌岳南壁【広島ルート】を開拓
1980年8月甲斐駒ケ岳:継続登攀(大武川~A・Bフランケ~赤石沢奥壁~鋸岳~戸台)
2001年9月穂高:継続登攀(単独)(幕岩~唐沢岳~燕岳~横尾~屏風岩~奥俣)
積雪期の記録
1978年4~5月小川山温泉~白馬岳~針の木岳~槍が岳~西穂高岳(2名での完全縦走)
1979年1月後立山:赤沢岳西壁(凹状ルート冬季初登攀 中央ルンゼスラブ直上第2登)
1979年3月剱岳:小窓尾根~チンネ左稜線登攀~本峰~早月尾根
1980年1月黒部川~ハシゴ段乗越~剱岳八ツ峰~小窓尾根
1983年1月甲斐駒ケ岳:黒戸尾根~黄連谷~奥壁中央稜登攀~黒戸尾根
1998年5月剱岳:小窓尾根~剱尾根登攀~剱岳~早月尾根
2005年1月穂高:継続<単独>屏風岩東稜のみ
2001年~毎年大山:北壁(単独)(屏風岩、墓場尾根、天狗沢、別山幻のカンテ、他)
受賞等:
1980年10月第35回国民体育大会(登山部門) 5位入賞
1981年12月広島県体育協会 体育賞(特別賞)受賞
1998年12月広島県体育協会 体育賞(特別賞)受賞
2001年12月広島県体育協会 体育賞(功労賞)受賞
2007年12月広島県体育協会 体育賞(特別賞;新記録の部)受賞
東日本大震災復興支援に陸前高田にも行かれてたようだ。(本人言っていませんが)
※写真と山行の記録は名越君のホームページから拝借しました。(本人の許可は得ていません。)
今日10月1日からH26年度の後期が始まった。
前期で単位を2単位落とし 今学期の卒業が微妙となった。
くノ一からは「在学できる最大で卒業して欲しい!」と釘を刺されている。
あと2年は在学可能だが…
私としては今学期卒業可能な方法”スクーリングの空席がある専攻中の講座があれば申込み抽選に当たれば”今年度で卒業となる方法を取りたい。
駄目でも来年度前期でまともにいけば、伊賀に来て全科履修生の3回目の卒業を目指すこととなる。
卒業後 もう一度「情報」コースに入学して学びたい思いが少しある最近である。
(蛇足)
今日からくノ一が東京の娘の手術立ち会い、その後広島の窓サッシ交換立ち会いのため不在
葵と涼と漱石と仲良く1週間主夫見習いから主夫に束の間の昇格生活を過ごす。