石ころ

すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしの所に来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。イエス・キリスト

神の保証(Ⅱコリント1章)

2019-05-26 13:57:47 | Weblog

 

神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。
それは、私たちにキリストの苦難があふれているように、慰めもまたキリストによってあふれているからです。(Ⅱコリント1:4~5)

人は世に在っては苦難がある。自業自得の苦しみもあり、人の罪による苦難もある。また、神の裁きかと思える苦しみもあるが、すべてのことは初めから主がご存じのことである。
神はすべてのことを、忍耐をもって主を礼拝する祝福に導いていてくださる。主を礼拝する礼拝に至った時、神のご計画は完成しすべてが益となる。

ほんとうに、自分の心の中で死を覚悟しました。これは、もはや自分自身を頼まず、死者をよみがえらせてくださる神により頼む者となるためでした。(Ⅱコリント1:9)

神のすべて約束は御子のあがないによって、信じる者に成就する。そのあがないをみことばのままに信じ受け取り安息することは、神の栄光となり、それは十字架の血潮を無駄に受けないことなのである。

神の約束はことごとく、この方(イエス・キリスト)において「はい」となりました。それで私たちは、この方によって「アーメン」と言い、神に栄光を帰するのです。
私たちをあなたがたといっしょにキリストのうちに堅く保ち、私たちに油をそそがれた方は神です。
神はまた、確認の印を私たちに押し、保証として、御霊を私たちの心に与えてくださいました。(Ⅱコリント1:20~22)

御救いを受けた者は、自分に押された聖霊の焼き印を知っており、人に責められて居る時も許されている時も、みことばの約束に留まり続けている。
永遠の赦しを受けた時、その霊は十字架のキリストの内に居たからである。そうして、今すべての時を望みにあふれて神と共に生きている。

だれでも、イエスを神の御子と告白するなら、神はその人のうちにおられ、その人も神のうちにいます。(Ⅰヨハネ4:15)

神は聖徒たちに、この奥義が異邦人の間にあってどのように栄光に富んだものであるかを、知らせたいと思われたのです。この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。(コロサイ1:27)

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2019.5.25

2019-05-25 16:37:44 | Weblog

 

ぬか床の匂いの滲みたる手にマウス
 川柳

昨日「大したことない」と言ったものだから、
今日は「これでどや!」と言うくらい暑くて、朝から熱風である。
今日は1日分生きることに集中しよう。

それにしても、アスターの5㎝にも満たない苗の強さには驚かされる。
ジリジリと炎天に焼かれていても、平気の平左。
神さまの用意された命の仕組みって、そういうものなのだ・・

主は、あなたを守る方。
主は、あなたの右の手をおおう陰。
昼も、日が、あなたを打つことがなく、
夜も、月が、あなたを打つことはない。(詩編121:5~6)

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2019.5.24

2019-05-24 17:46:33 | Weblog


初蝉や背たかのっぽの影が聞く


猛烈な暑さ・・、でもカラッとしているから家の中では
それほど苦痛ではない。
明日も暑いらしい・・

夕暮れを待ちかねて、何時ものコースをウォーキング
少し汗をかいたけれど気持ちいい・・。
イエスさまに感謝

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キリスト者(Ⅰコリント15章)

2019-05-24 14:22:15 | Weblog

 

 キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、
また、葬られたこと、また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと(Ⅰコリント15:3~4)

イエスさまは歴史的事実として十字架によって死なれ、墓に葬られ、よみがえられた。墓にはイエスさまの遺体も骨もなく空であった。
よみがえりのイエスさまは使徒たちに現れ、彼らはよみがえりのイエスさまに会ったことで、宣教の働きによる迫害も死をも恐れなかったのである。

また、ケパに現れ、それから十二弟子に現れたことです。
その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現れました。その中の大多数の者は今なお生き残っていますが、すでに眠った者もいくらかいます。(Ⅰコリント15:5)

500人以上の人が、嘘に命を賭けることはありえないことである。
もし、彼らがイエスさまの復活を偽っていたのなら、彼ら自身がもっとも憐れな者となる。神を偽った罪を負うからである。

そして、キリストが復活されなかったのなら、私たちの宣教は実質のないものになり、あなたがたの信仰も実質のないものになるのです。
それどころか、私たちは神について偽証をした者ということになります。
そして、もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。(Ⅰコリント15:14~17)

 アダムの罪によってすべての人は死ぬ者となり、キリストの復活によって信じる者には、滅びることのないいのちが与えられるようになった。
イエスさまのあがないによって人は神さまと和解した時、サタンの支配する死は力を失ったのだ。

しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。
というのは、死がひとりの人を通して来たように、死者の復活もひとりの人を通して来たからです。(Ⅰコリント15:20~21)

今やキリスト者の死は神の栄光を現すものとなり、世に在っても望みに溢れて大胆に生きる自由を得たのだ。
キリスト者の生き方は、みことばをどれだけ知り、どれだけ受け入れたかということを現している。みことばは信じた分だけ、その人の事実と成るからである。

朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものによみがえらされ、
卑しいもので蒔かれ、栄光あるものによみがえらされ、弱いもので蒔かれ、強いものによみがえらされ、
血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされるのです。血肉のからだがあるのですから、御霊のからだもあるのです。(Ⅰコリント15:42~44)

みことばは将来の約束であっても、信じた瞬間に自分のものとなる。神さまは御自身を否むこと出来ないお方であり、約束は御自身の真実によって成る。私たちの真実ではない。「私たちは真実でなくても」である。
だから、信じた瞬間から復活のいのちに居るのである。死は通過点に過ぎず、殉教の先人たちもそのように生きたのだ。

ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。(Ⅰコリント15:58)

これは、主のわざに「満ちあふれ」なさいであり、聖霊の備えと導きに拠って主を知ってゆくこと。みことばを知りたいと願わないならキリスト者でさえない。それは主に無関心ということだからである。
知ることは永遠のいのちであり、知らないことは滅びである。

そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、
一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。(ヘブル2:14~15)

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祈りは単純 (Ⅰコリント13章)

2019-05-23 14:40:19 | Weblog

 

何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。(ピリピ4:6)

祈りは単純に真っ直ぐな言葉で、ただ神さまに願いを知っていただくこと。「感謝をもって」という以外に何の資格も条件も付けられていない。
しかし、どなたに祈っているのかは一番大切なこと。それがあやふやだったり、何でも良いなら独り言に過ぎない。

「すべての願い」を祈るには幼子の心が必要なのだ。プライドは、叶えられないことを恐れるから、叶えられそうなことや漠然とした祈りを選択してしまう。願い通りにならない時に「神に拒絶された」かのように傷つくことを恐れるのである。

幼子が父に願うように祈るには、父の愛に安息していなければならない。神が良い方であることを知っていないと、自由に祈れないのである。

あなたがたは、よりすぐれた賜物を熱心に求めなさい。また私は、さらにまさる道を示してあげましょう。(Ⅰコリント12:31)
こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。(Ⅰコリント13:13)

キリスト者には命じられている祈りがある。それには「何も思い煩わないで」祈ることが必要になる。叶えられる感謝を持って祈るのだ。
とうてい手の届かないようなキリストの愛も、霊のたまものも、熱心に求めなさいと命じられている。
すべてのキリスト者に・・。

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2019.5.23

2019-05-23 11:44:00 | Weblog

 

「暑いですね」「寒いですね」と数十年
子や孫のこと分かち合いつつ

子が生まれ孫が生まれて・・、その間にもそれぞれに色々なストーリィがあり、それらを側で見てきた年月があり、近しい人が亡くなられることも、施設に去って行かれることなどがあると、一緒に生きて来た年月は心を揺さぶり、歳を取って行くことのめでたさばかりではなく、淋しさをも知るようになる。

造り主である神は、人の心に永遠への思いを与えられた。

永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに、誠実を尽くし続けた。(エレミヤ31:3)

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2019.5.22

2019-05-22 14:05:30 | Weblog

 

高く飛ぶトンビは何時も1羽なり
支配するごと青き空舞う


特売の新玉葱を、欲張って二つ買った。
鳥胸肉と大根を入れてヘルシーカレーを作ろう・・自分のために。

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2019.5.21

2019-05-21 17:27:54 | Weblog


真実は主に聞きなさい神の子よ


わたし、このわたしは、わたし自身のためにあなたのそむきの罪をぬぐい去り、
もうあなたの罪を思い出さない。(イザヤ43:25)

これほどまでに完全な赦しを賜った者は、誰が何と言おうと二度と同じ罪は犯せない。
聖霊の炎で焼かれた者は、キリストの充満の中に新しくされ、すべてに満ち足りて安息しているからである。

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一つのからだ(1コリント10章)

2019-05-21 11:14:06 | Weblog

 

私たちが神をほめたたえる賛美の杯は、キリストの血にあずかることではありませんか。私たちの裂くパンは、キリストのからだにあずかることではありませんか。(Ⅰコリント10:16)新改訳2017

日毎に捧げる賛美はキリストの血にあずかること、みことばのパンを裂くように開く聖書は、教会であるキリストのからだにあずかること。
たとえ何処に居ても、私はキリストのからだを愛して呻いている。

パンは一つですから、私たちは、多数であっても、一つのからだです。それは、みなの者がともに一つのパンを食べるからです。(Ⅰコリント10:17)

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試練(Ⅰコリント10章)

2019-05-20 18:57:21 | Weblog

 

あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。(Ⅰコリント10:13)

アーメン。試練の中では、主はなんと甘いことか・・

主は荒野で、獣のほえる荒地で彼を見つけ、これをいだき、世話をして、ご自分のひとみのように、これを守られた。(申命32:10)

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