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2012年 天皇誕生日 ご会見全文

2012-12-24 | 皇室と憲法
【問1】東日本大震災から約1年9か月がたちましたが、復興への道のりは険しく、古里に帰れない被災者が今も多いのが実情です。一方で、国民を勇気づけるような明るいニュースもありました。皇室では、皇太子ご夫妻の長女・愛子さまがご両親の付き添いなしで小学校に通われるようになり、秋篠宮家ではお子さま方が留学や進学準備を迎えるなど節目の年となりました。この1年を振り返り、社会情勢やご公務、ご家族との交流などで印象に残った出来事をお聞かせください。

 天皇陛下「今年は2月に心臓の手術を受け、多くの人々に心配を掛けました。誕生日に当たり、当時記帳に訪れてくれた人々を始め、今も私の健康を気遣ってくれている多くの人々に対し、感謝の気持ちを伝えたく思います。

 東日本大震災から1年9か月がたち、被災地に再び厳しい冬が巡ってきています。放射能汚染によりかつて住んでいた所に戻れない人々、雪の積もる仮設住宅で2度目の冬を過ごさなければならない人々など、被災者のことが深く案じられます。

 震災時の死者行方不明者数は1万8千人余と報じられましたが、その後、2千人以上の震災関連の死者が生じたため、犠牲者は2万人を超えました。地震や津波を生き抜いた人々が、厳しい生活環境下、医療などが十分に行き届かない状況の中で亡くなったことは誠にいたわしいことと感じています。
また、被災地の復興には放射能汚染の除去や、人体に有害な影響を与える石綿が含まれるがれきの撤去など、危険と向き合った作業が行われなければならず、作業に携わる人々の健康が心配です。放射能汚染の除去の様子は福島県の川内村で見ましたが、屋根に上がって汚染を水流で除去するなど、十分に気を付けないと事故が起こり得る作業のように思いました。安全に作業が進められるよう切に願っています。

 社会の問題として心配されることは、高齢化が進んでいることであります。特に都市から離れた地方では大変深刻な問題になっていると思います。平成23年度の冬期の雪による死者は130人以上に達し、多くが除雪作業中の高齢者でした。私自身近年山道を歩く時、転びやすくなっていることを感じているので、高齢者が雪国で安全に住めるような状況が作られていくことを切に願っています。若い時には高齢のため転びやすくなることなど考えてもみませんでした。
 1年を振り返ると様々なことがあった年でした。明るいニュースとしてはロンドンオリンピック、ロンドンパラリンピックでの日本選手の活躍が挙げられます。ロンドンオリンピックで日本が獲得したメダル数は、これまでのオリンピックの中で最多でした。また、ロンドンパラリンピックでは、車いすテニスの国枝選手がシングルスで北京大会に続いて2連覇を達成するなど、日本の選手は様々な分野で活躍しました。金メダルをとったゴールボールの試合も映像で楽しく見ました。研ぎ澄まされた感覚でボールを防ぐ姿には深い感動を覚えました。脊髄損傷者の治療として英国で始められた身体障害者スポーツが、今日ではすっかりスポーツとして認められるようになったことに感慨を覚えます。

 山中伸弥教授のノーベル医学生理学賞受賞も誠にうれしいニュースでした。特に再生医療に結び付く大きな成果は、今後多くの人々に幸せをもたらすものとなることと期待しています。

 今年は英国女王陛下の即位60周年に当たり、御招待を受け、私も皇后と共にその行事に出席いたしました。この行事には、各国の君主が招待されましたが、戴冠式とこの度の60周年のお祝いに重ねて出席できたのはベルギーの国王陛下と私の二人で、戴冠式の時は18歳と19歳でした。若くして臨んだ戴冠式での様々な経験が懐かしく思い起こされます」
 【問2】陛下は今年2月、心臓の冠動脈バイパス手術を受けられました。現在のご体調はいかがでしょうか。最初に心臓のご病気をお知りになった時、手術をお受けになると決められた時、無事に手術を終えられた時の心境と、今後の体調管理で留意されている事柄についてお聞かせください。退院後も胸に水がたまるなど陛下に治療が続いた時も、ずっと支えられた皇后さまをはじめ、ご家族とのエピソードについてもお聞かせください。

 陛下「手術の後はその影響があり、テニスをしても走って球を打つという何でもない動作がうまくいきませんでしたが、最近は以前のように球を打てるようになったような気がしています。リハビリテーションというものが実に重要なものだと感じています。農業や漁業で体を動かして仕事をしている高齢者が被災生活で体を動かさなくなった時に体を壊すという話が実感されました。

 心臓の病気は検査で知りました。手術を受けることを決めたのは、心筋梗塞の危険を指摘されたからでした。時期については、東日本大震災一周年追悼式に出席したいという希望をお話しし、それに間に合うように手術を行っていただきました。手術が成功したことを聞いた時は本当にうれしく感じました。執刀をされた天野順天堂大学教授を始め、この手術に携わった関係者に深く感謝しています。
 体調管理としては筋力を衰えないようにすることが大事だと考え、これまでどおり早朝の散歩を続けるほか、できるだけ体を使う運動に努めています。

 入院中、皇后は毎日病院に見舞いに来てくれ、本当に心強く、慰めになりました。手術後のリハビリテーションの一環として病室の近くの廊下を一緒に歩く時にはいろいろな音楽をかけてくれ、自分も楽しそうに歩いていました。家族の皆がそれぞれに心を遣ってくれていることを、うれしく思っています」

 【問3】陛下は心臓手術後も以前と変わらないペースで公務に取り組まれていますが、来年80歳となられるのを機に一層のご負担軽減が必要との指摘があるほか、一定の年齢に達すれば、陛下には国事行為に専念、あるいは国事行為と最小限の公的行為だけなさっていただき、それ以外は皇族方が分担するという考え方を取り入れるべきとの意見も出ています。現行制度のままでは陛下のご活動をお支えする皇族方が減ってしまう現状の下で、今後のご公務に関する皇族方との役割分担についてどのようにお考えでしょうか。
 陛下「天皇の務めには日本国憲法によって定められた国事行為のほかに、天皇の象徴という立場から見て、公的に関わることがふさわしいと考えられる象徴的な行為という務めがあると考えられます。毎年出席している全国植樹祭や日本学士院授賞式などがそれに当たります。いずれも昭和天皇は80歳を越しても続けていらっしゃいました。

 負担の軽減は、公的行事の場合、公平の原則を踏まえてしなければならないので、十分に考えてしなくてはいけません。今のところしばらくはこのままでいきたいと考えています。私が病気になったときには、昨年のように皇太子と秋篠宮が代わりを務めてくれますから、その点は何も心配はなく、心強く思っています」

 【関連質問】陛下は皇后さまと共に11月に沖縄県を訪問されました。皇太子御夫妻の時代から数えると9回目となります。今回、8年ぶりに沖縄県に行かれた御感想、また、特に印象に残ったことをお聞かせいただけますでしょうか。

 陛下「8年ぶりに沖縄県を訪問したわけですけれども、今度行きました所は、今までに行ったことのない所が含まれています。
 沖縄科学技術大学院大学ですね、恩納村には行きましたけれどもそこは行きませんでしたし、万座毛も初めてでした。それから久米島がやはり初めての所です。戦没者墓苑は、これは毎回お参りすることにしています。そのようなわけで、毎回お参りしている所と新しい所があって、沖縄に対する理解が更に深まったように思っています。

 万座毛という所は、歴史的にも琉歌で歌われたりしていまして、そこを訪問できたことは印象に残ることでした。殊に恩納岳もよく見えましたね。久米島の深層水研究所も久米島としては水産上、重要な所ではないかと思っています。多くの沖縄の人々に迎えられたことも心に残ることでした。

 沖縄は、いろいろな問題で苦労が多いことと察しています。その苦労があるだけに日本全体の人が、皆で沖縄の人々の苦労をしている面を考えていくということが大事ではないかと思っています。地上戦であれだけ大勢の人々が亡くなったことはほかの地域ではないわけです。そのことなども、段々時がたつと忘れられていくということが心配されます。やはり、これまでの戦争で沖縄の人々の被った災難というものは、日本人全体で分かち合うということが大切ではないかと思っています」






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