今だにあちこちに地雷があって
それが思いのほか大爆発する時がある。
そんな事が自分でも図りしれなくて
傷ついたり、落ち込んだり
イライラしたりする事があります。
例えば
今年、息子が結婚をするらしい
そんな話しをしたら
「ほら~幸せ事があってよかったじゃん
もう大丈夫だね」
と…
息子の幸せは願っていますが
それとアユと凛がいなくなった悲しみは別で
息子が結婚したからと言って悲しみはチャラにはならない。
結婚したら子供も生まれるかもしれない
その子は凛じゃない
代わりにはならない
「花見には行かないの?」と聞いて来た人
「娘さんは成仏してるよ」と言った人
「がんばってる」って言われるのもカチンと来たりする。
私
何度も言っているけど
桜は嫌いです。
キレイだと思うけど
だからこそ悲しくて
どうしようもなかった気持ちが再現されてイヤなのです。
「成仏」って言葉はアユと凛には当てはまらない。
アユと凛はご先祖様にはなってない。
私が死ぬまでご先祖様ではない。
だから「成仏」ではないのですよ。
「がんばってる⁈」
頑張らなくちゃいけないの?
頑張らないと生きてちゃいけないの?
「三年経つと辛さますもんだ!まず頑張れ!」
と近所のおばあちゃん
何をどうがんばれば
アユと凛に会えるんですか?
会えるなら
がんばります!
それ以外は頑張る意味がわかりません
子供をなくした人にしかわからない
なくしてもわからない人もいる。
言葉の地雷がいろんな所にあって
悲しんで苦しんだ人が我慢して
悲しみなんかなくあたり前に過ごしている人が
考えもなく使ってくれる。
そんな言葉に振り回されて傷つく。
それは
今も同じです。