イロイロ忙しくて疲れました。
疲れた時はアユと凛の写真の前でボ~っと過ごす
写真を見ているだけでその中に吸い込まれていきそう。
いや アユが飛び出して来そう。
まだまだ現実とそうでないのの
境がわからなくなってしまう事が時々あって
アユと凛がホントはいるのかやっぱりいないのか
よくわからない時がある。
現実逃避なのかもしれないけど
なかなか受け止められません。
疲れてるとなお更ね。
哀しみが自分の底辺の基礎になっている事に
ほとんど抵抗を感じなくなってきたように思う。
自分の生きるための基礎が
ガラリと変えられるってとても大変な事のはずが
意とも簡単に変わってしまって、
そこからの自分が違う自分になっていく。
同じ自分なんだけど
でも感覚というか感性と言うのが違う。
一つの言葉や一つの出来事
一つの場面や一瞬目に入ってきた物への
想いが今までと違う。
人生の中で子どもが大人になった時
子どもは親を中々超えられない、と言うけど
アユは私の前からいなくなってしまった事で
母の私を簡単に超えてしまったような気がする。
家族の中でアユと凛が偉大な存在になってしまって、
私達のいろんな出来事をアユと凛が
動かしていると思う。
すごいな
アユ りんりん
疲れた時はアユと凛の写真の前でボ~っと過ごす
写真を見ているだけでその中に吸い込まれていきそう。
いや アユが飛び出して来そう。
まだまだ現実とそうでないのの
境がわからなくなってしまう事が時々あって
アユと凛がホントはいるのかやっぱりいないのか
よくわからない時がある。
現実逃避なのかもしれないけど
なかなか受け止められません。
疲れてるとなお更ね。
哀しみが自分の底辺の基礎になっている事に
ほとんど抵抗を感じなくなってきたように思う。
自分の生きるための基礎が
ガラリと変えられるってとても大変な事のはずが
意とも簡単に変わってしまって、
そこからの自分が違う自分になっていく。
同じ自分なんだけど
でも感覚というか感性と言うのが違う。
一つの言葉や一つの出来事
一つの場面や一瞬目に入ってきた物への
想いが今までと違う。
人生の中で子どもが大人になった時
子どもは親を中々超えられない、と言うけど
アユは私の前からいなくなってしまった事で
母の私を簡単に超えてしまったような気がする。
家族の中でアユと凛が偉大な存在になってしまって、
私達のいろんな出来事をアユと凛が
動かしていると思う。
すごいな
アユ りんりん