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あや乃古典教室「茜さす紫の杜」

三鷹市&武蔵野市で、大学受験専用の古文・漢文塾を開講しました。古文教師の視点から、季節のいろいろを綴ります。

桜のこと⑧

2013-04-08 20:59:23 | 
敷島(しきしま)の 大和心を 人問はば 朝日に匂う 山桜花
                          (本居宣長)

では、
ここ↓の師弟関係は、どのようなものだったのでしょうか?
本居宣長(もとおりのりなが)(→)平田篤胤(ひらたあつたね)

わざわざ(→)で括ってあるのは、
打ち間違いではなく、意図的なものなんです。

じつは、
<本居宣長と平田篤胤は、現世で出会ったことがありません>

平田篤胤が、
「幽体離脱して、あの世に行って、宣長と会って、弟子にしてもらった」
あるいは
「夢の中で、宣長に会って、弟子にしてもらった」
と、主張しているだけなんです(ホントに、主張しているんですよ)

国学の系譜にも入る人ですし、
篤胤の主張を尊重もし、最大限に「中取って」
師弟関係を(→)で、表記にしてあります。

桜のこと⑦

2013-04-08 00:11:02 | 
敷島(しきしま)の 大和心を 人 問はば 朝日に匂う 山桜花
                          (本居宣長)

賀茂真淵(かものまぶち)→本居宣長(もとおりのりなが)の間に、
「師弟関係の流れを表す」→を置いていますが、
実は、この二人、生涯に一度しかあったことがないんです!

お互い、噂は知ってたみたいなんですが、
何しろ、昔のこととて、機会に恵まれなかった。

ただ一度だけの師弟の邂逅は、「松阪の一夜」として、知られています。

賀茂真淵が、伊勢神宮への旅の途中に、
伊勢松阪の旅籠に宿を取った時に、本居宣長がその宿を訪れ、
宣長はその夜、真淵から生涯一度限りの教えを受けました。
その後、宣長は真淵門下に入門し、
以後、文通(『万葉集問目』)が続いていたようです。

昔の人の気の長さやら、学問に対する真摯な情熱やらと、
いろいろと考えさせられるお話です。

こういう出会いを、まさに一期一会と言うのでしょう。

この話を思い出すたび、
自分もどこで誰に何を与えているのかわからないので、
目の前にあることに、誠実に向かい合いたいと、いつも思います。

桜のこと⑥

2013-04-06 20:58:16 | 
敷島(しきしま)の 大和心を 人問はば 朝日に匂う 山桜花
                        (本居宣長)

敷島というのは、大和にかかる枕詞です。
その他に、大和にかかる枕詞としては、
「そらみつ」や「あきづしま」があります。

敷島→大和
そらみつ→大和
あきづしま→大和

ところで、宣長などの国文学者の系譜をまとめておきますと、
荷田春満(かだのあずままろ)→賀茂真淵(かものまぶち)→
本居宣長(もとおりのりなが)(→)平田篤胤(ひらたあつたね)
となります。
→が、師弟関係の流れです。

ところで、この宣長、実は「鈴コレクター」だったそうなんです。

「へ!?鈴?」と思っちゃいますが、
「大量にある鈴を、天井からぶら下げて、物書きに疲れたら、
その鈴を鳴らして、音で癒されていた」という話です。

いろんな人がいるものですね~

なので、宣長の屋敷を「鈴の屋(すずのや)」と言い、
宣長は「鈴野屋問答」という本も書いています。

桜のこと⑤

2013-04-05 20:35:03 | 
あおによし 奈良の都の 八重桜 今日 九重に 匂いぬるかな

「奈良時代に花と言えば、梅。平安時代に花と言えば、桜」
と書きました。

奈良時代に、有名どころの和歌としては、
唯一、桜を詠んでいる和歌がなくもないんです。

それが、上記ですが、
わざわざ「八重桜」と明記してありますよね。

そんなところからも、

敷島の 大和心を 人問はば 朝日に匂う 山桜花

と、わざわざ、山桜と詠んでいる以上、
宣長の頃には、山桜ではない桜も出始めたのか?」
と思ってしまうのです。

「あおによし」というのは、「奈良」にかかる枕詞です。

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関東近郊は、週末、大荒れのお天気のようですね。
今年の桜も、見納めになってしまいますね。

散る桜 残る桜も 散る桜
        (良寛和尚)

桜のこと④

2013-04-04 19:44:31 | 
敷島(しきしま)の 大和心を 人 問はば 朝日に匂う 山桜花
                          (本居宣長)

ところで、
現在のところ「桜」と言えば、「ほぼソメイヨシノ」です。

が、このソメイヨシノは、
江戸末期から明治初期に育成された人口品種で
(諸説なくもないですが、一般的にはそう言われています)
明治中頃から、圧倒的に多く植えられた品種なんです。

で、このソメイヨシノ、樹木としての生命力は強くなく、
・自前の種子では、増えることができない
・現在のソメイヨシノは、全て人の手により増えたもの
という特徴があります。

一方、古文の時代には、ソメイヨシノは存在していないわけで、
古文の世界で、「桜」といえば、「山桜」を指します。

わざわざ「山桜」と詠んでるところを見ると、
宣長の時代には、そろそろソメイヨシノなどの人工的桜品種が、
出て来はじめたのかな?とも考えてしまいます。

桜のこと③

2013-04-03 19:28:48 | 
さくら花 ちりぬる風の なごりには 水なき空に 浪ぞ立ちける
                         (紀貫之)
咲いて良し、散って良し。
桜が散った名残りの風さえも、紀貫之は歌にしています。

ところで、古今和歌集の仮名序の出だし。
和歌の心を詠んだものとしても、有名なので挙げておきます。


仮名序の出だし)
やまと歌は 人の心を種として よろづの言の葉とぞなれりける
世の中にある人 事 業しげきものなれば
心に思ふことを見るもの聞くものにつけて 言ひいだせるなり

花に鳴くうぐひす 水に住むかはづの声を聞けば
生きとし生けるもの いづれか歌をよまざりける

力をも入れずして天地を動かし 目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ
男女のなかをも やはらげ 
猛きもののふ(武士)の心をも なぐさむるは歌なり


=生きとし生けるもの いづれか歌をよまざりける=
余談ですが、日本人がこんなにブログが好きなのは、
遥か平安時代ぐらいからの、日記文学や和歌の伝統を引いているという説もあります。

PCという便利なツールを得たことで、
本々の「筆まめ」で「歌詠み」の民族特性が、
現代的に、最大限に発揮されているといったところでしょうか?

桜のこと②

2013-04-02 22:44:30 | 
久方(ひさかた)の ひかりのどけき 春の日に しず心なく 花の散るらん

紀貫之の従兄弟である、紀友則の歌です。

はらはらはらはらと、ひたすらに桜が散り敷く様子を歌っています。

風に吹かれて舞い散る様も美しいですが、
のどやかな春の日の穏やかさと対照させることで、
よりいっそう、「散る」という桜の動作性が際立って見えてきますね。

お住まいの地域での、桜は今、如何でしょうか?

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文学史的な整理をしますと、古今和歌集は、最初の勅撰和歌集です。

八代勅撰和歌集とは、
古今→後撰→拾遺→後拾遺→金葉→詩歌→千載→新古今。

選者は、紀友則、紀貫之、凡河内躬恒、壬生忠岑の4人。
前書きに、仮名序と真名序の2つがあります。

仮名序は、仮名で書かれていて、真名序は、漢字で書かれています。
仮名序を書いたのが、紀貫之。真名序を書いたのが、紀淑望(きの よしもち)。

桜のこと①

2013-04-02 01:34:22 | 
世の中に たえて桜のなかりせば 春の心は のどけからまし
                (古今和歌集 在原業平)

こんにちは。
4月から、一ヶ月は、桜がらみのお話です。

もう、何と言うか。。。
今年は、桜の咲き始めが早かったので、
道真公の話をしながら、実は私はヒヤヒヤしてました。。。
→桜が散ったら、どうしよう~(悲鳴)

季節に置いていかれそうです。
しかし、「季節の移ろいを大事にする」と宣言した以上、
それもどうかと思いますし、
かといって、桜の話ぬきに、日本の春は語れません。

4月も終わりになれば、葉桜でも良いんですよ。
だけど、
「今日から4月です!桜の話をします!」で、
完全に葉桜なのは、あんまりにヌケてる話だろうと思うのです。

そんなわけで、ここ10日間ぐらい、本当に、やきもきしてました。

お題の和歌は、そんな心を上手く表していますよね。