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あや乃古典教室「茜さす紫の杜」

三鷹市&武蔵野市で、大学受験専用の古文・漢文塾を開講しました。古文教師の視点から、季節のいろいろを綴ります。

桜のこと23(敦盛③)

2013-04-24 00:16:46 | 
「笛を吹く」というのは、
平安貴族の楽しみであり、遊びであり、嗜みであり、教養だったようで、
王朝文学に出てくる男性は、しょっちゅう笛(横笛)を吹いています。

肺活量の関係からか、
女性には<無理>な楽器だと思われていたようで、女性は吹かなかったようです。
例えば、男女を取り替えられて育てられた「とりかへばや物語」の、
(見かけ)「男性」(本来、女性)が、女性に戻るときに、
「笛が吹けなくなる」と、嘆く場面があります。

「笛を吹く」その行為や、戦場にまで笛を持って行った愛着や優雅さが、
戦乱もない穏やかな時代の続いた摂関家時代と、
またそれが戦場であったがために、その時代の終焉をも感じさせ、
平家物語をして
「あな優し 平家の公達」と言わしめた所以かと思います。

<マンガ情報>
Flowers というマンガ雑誌で、「とりかへばや物語」のマンガ版が、
連載中です。原文と照合していないので断言できませんが、
おそらく(多分。。。)今のところ、
原文に忠実にマンガに起こしてあるような気がします。
興味のある方は、本屋さんでご確認下さいね。

桜のこと22(敦盛②)

2013-04-22 22:30:21 | 
引用平家本文に、
「管弦し給へるは、この人々にておはしけり」とあります。
管弦と言うのは、今風に言えば「合奏」のことなので、
敦盛のみならず「複数の人たち」が「複数の楽器」を、
戦場に持ち込んでいたと考えられます。

敦盛が笛(横笛)を持ち込んでいたわけですが、
管弦というからには、
篳篥と笙が、最低でも各1本づつ(つまり他に2人は必須)は欲しいところです。
(もっといえば、笛と笙と篳篥と各1本ずつ、計3人いれば管弦になります)

ものすごく妥協すれば、
敦盛の他に、篳篥と笙のどちらか1本(つまり他に1人)は、
戦場に楽器を持ち込んでいたことになります。

「この人々」というのは、
高校や予備校の古文の解釈的には「平家の人たち」と習うところですが、
楽器を中心に考えると「この人々=管弦を行っていた人々」であって、
平家の軍勢が、総力を上げて管弦を行ったわけでも、
平家一門が皆、楽器を持ち込んだわけでもないでしょうから(いくら何でもね。。。)
「当時、一の谷に居た平家の軍勢で、管弦を行った平家一門の人々」と
解釈するのが、正確かと思います。
大抵の人は、見る&聞く側に回っていたはずですしね。

桜のこと21(敦盛①)

2013-04-21 21:52:31 | 
あな優し 平家の公達 (平家物語)

敦盛と忠度の話が、
平家一門の貴族性をよく物語っているのではないかと、思っています。

敦盛と聞いて、ピンと来た方もおいでになるのではないでしょうか?
平家物語の該当箇所をまとめますと)
ある武将が熊谷次郎直実と組み合って破れ、直実は頸を打とうとしますが、
自分の子供の小次郎とさほど変わらない年頃の少年であることがわかります。
助けたいとは思うのですが、(自分の)味方の軍勢が迫っていてどうにもならず、
「人の手にかかるよりは(自分が手にかけて、後の弔いをした方が。。。)」と思い、
その少年を手にかけたところ、その少年は懐に笛を挿して持っていました。
「武門の家に生まれなければ、こんな思いをすることもなかったのに」と、
直実に出家の思いを強くさせた、一の谷の合戦での出来事です。

そもそも論として、
戦場に笛なんぞ持っていくのは、論外。
さらに言えば、純粋武士は、笛なんぞ吹かないでしょう。
「武芸の道」に「笛が吹けること」なんて、項目は存在しません。

この敦盛が携帯していた笛は、敦盛の祖父である忠盛が、
鳥羽法皇より贈られた小枝(または青葉)の笛という名で呼ばれる笛を、
孫の敦盛が譲り受けたものです。

古文に出てくる楽器については、どこかで1月、詳細に書き綴る予定にしていますが、
敦盛が携帯していた笛(横笛)は、二本。
敦盛が携帯していた高麗笛を「小枝」、龍笛を「青葉」と称します。
現在も、神戸市の須磨寺では、敦盛の「小枝」と「青葉」と伝えられる笛が、
宝物館で展示されています。


原文)平家物語 巻九 より
「あれは大将軍とこそ、見参らせ候へ。
まさなうも敵にうしろを見せさせ給ふものかな。帰させ給え」と扇を上げて招きければ、
招かれて取って帰す。

汀に、うち上がらむとするところに、押し並べてむずと組んでどうと落ち、
取って押さえて頸をかかんと甲をおしのけて見ければ、
年一六一七ばかりなるが、薄化粧してかねぐろ也。
我が子の小次郎が、齢(よわい)程にて、容顔まことに美麗なりければ、
いずくに刀を立つべしとも覚えず。

熊谷「そもそもいかなる人にて、ましまし候ぞ。名乗らせ給え、助け参らせん」と申せば、
「汝は誰そ」と問い給ふ。
「物そのもので候はね共、武蔵国住人、熊谷次郎直実」と名乗り申す。
「さては汝に会うては、名乗るまじぞ。汝がためには、良い敵(かたき)ぞ。
名乗らずとも、頸を取って人に問え。見知ろうずるそ」とぞ、宣ひける。

熊谷「あっぱれ大将軍や、この人一人打ちたてまたりとも、負くべき戦に勝つべきようもなし。
また打ち奉らずとも、勝つべき戦に負くることも、よもあらじ。
小次郎が、うす手負たるをだに、直実は心苦しうこそ思うに、
此の殿の父、打たれぬと聞いて、いかばかりか嘆き給はんずらん。
あはれ、助け奉らばや」と思ひて、
うしろをきっと見ければ、土肥・梶原五十騎ばかりで、続いたり。

熊谷、涙を抑えて申しけるは
「助け参らせんとは存じ候へども、味方の軍兵、雲霞の如く候。
よも、逃れさせ給はじ。人手にかけ参らせんより、
同じくは直実が手にかけ参らせて、後の御孝養をこそ、仕候はめ」と申しければ、
「ただとくとく頸を取れ」とぞ宣ひける。

熊谷、あまりにいとおしくて、いづくに刀を立つべしとも思えず、
目もくれ心も消え果てて、前後不覚に覚えけれども、
さてしもあるべき事ならねば、泣く泣く頸をぞかいてんげる。

「あはれ、弓矢取る身ほど口惜しかりけるものはなし。
武芸の家に生まれずは、何とてかかる憂き目をは見るべき。
情けなくも、打ち奉るものかな」とかきくどき、袖を顔に押し当てて、さめざめとぞ泣き居たる。

やや久しうあって、さてもあるべきようならねば、
鎧直垂を取って、頸を包まんとしけるに、錦の袋に入れたる笛をぞ、腰に差されたる。
「あないとおし、この暁城のうちにて、管弦し給ひつるは、この人々にておはしけり。
当時、味方に東国の勢何万騎かあるらめども、
戦の陣へ笛持つ人はよもあらじ。上臈は猶もやさしかりけり」とて、
九郎御曹司の見参に入れたりければ、是を見る人、涙を流さずという事なし。
後に聞けば、修理大夫経盛の子息に太夫敦盛とて、生年十七にぞなられける。

桜のこと⑳(平家政権の二面性について)

2013-04-20 18:58:24 | 
平氏政権の二面性について、補足します。

「武家的側面」というのは、
「まあ、あれは武士だからねぇ~」ということで、
問題なく理解して頂けるにしても
平氏政権の「貴族的側面」と聞いても、
「?」という方も多いのではないかと思います。

現在の日本史解釈的には
平氏政権は
①清盛は、娘の徳子を高倉天皇の中宮とし、
その子の安徳天皇が即位すると外戚となった。
→政治的基盤としては、摂関政治の権力構造を踏襲

②全盛期には、日本全国の約半分に上る知行国や、
500余りの荘園を有していた。
→経済的基盤としても、摂関政治時代の荘園制度を踏襲

③厳島神社の平家納経
→文化的側面からの、平家の栄華と貴族性を物語る

以上3点を代表とし、平家政権は貴族的側面が極めて強く、
その出自の武家的側面と合わさって、
武家的側面と、貴族的側面の二面性を有していたとされています。

桜のこと⑲

2013-04-19 22:46:22 | 
平家にあらずんば、人にあらず (平家物語)

時代が下って、平安末期。
のどやかな王朝文化が終焉を迎えつつあり、
これから長く続く武士の世、戦乱の世の幕開けのような時代です。

その時代に、藤原政権に代わり、権力中枢を占めたのが平家一門でした。

平家一門の二面性、即ちその「貴族的側面」と「武家的側面」は、
よく指摘されるところですが、
貴族階級から武士階級に支配層が代わる、
その過渡期の時代に現れた平氏政権は、
来るべき階級からのし上がり、過ぎ行く時代の文化を背負った、
過渡期特有の両面性を見せる一族であり、
そうしたエピソードも、古文的には多数あります。

桜のこと⑱

2013-04-18 19:03:41 | 
「己の進退に重ねて、桜の散り際の潔さが武士階級に好まれたから」
というのが、理由としてよく言われるところです。

たしかに、今月の最初に提示した桜からみの和歌4首は、
奈良や平安期の貴族階級の手になる和歌ですが、
「散り行く様」が好まれたのは確かなようですが、
そこに、人の生き死にを重ねる視点は、伺えませんよね↓

・世の中に たえて桜のなかりせば 春の心は のどけからまし
・久方(ひさかた)の ひかりのどけき 春の日に しず心なく 花の散るらん
・さくら花 ちりぬる風の なごりには 水なき空に 浪ぞ立ちける
・あおによし 奈良の都の 八重桜 今日 九重に 匂いぬるかな

桜のこと⑰

2013-04-17 19:37:15 | 
行き暮れて 木の下陰を宿とせば 花ぞ 今宵の 主ならまし

さて、4月も半ばを過ぎました。
話を、古文の世界の桜に、戻したいと思います。
(決して、忘れていたわけではありません。。。)

桜なんぞ、とうの昔に散っとる!と思った方。
それは、ソメイヨシノ。
古文の世界で言うところの桜=山桜は、
山の中で、人知れず、
今を盛りと、ひっそりと咲き誇っている時期だったりします。
(例年なら。。。です。季節のご機嫌までは、読みきれません。。。)

「桜の木の下には、死体が眠っている」と書いた梶井基次郎は、
もはや、論外にしても
「はらはら散る桜」には、日本人的には
どうにも「生き死に(いきしに)」のイメージが、
つきまとってしまいます。

「それがなぜで、何時ごろからなのか」
桜(花)からみの有名どころの和歌と、その時代背景から、
しばらく、考察を加えてみたいと思います。
<あくまで野望です。

桜のこと⑯

2013-04-17 00:37:17 | 
ところで、
東京都青梅市の武蔵御岳神社には、
「天狗の腰掛け杉」と言われる、杉の巨木があります。

ちょうど、天狗さんが腰掛けるのに、
良さそ~な形に枝分かれした枝があり、
それで「天狗の腰掛け杉」と呼ばれています。
(何年か前の台風か何かで、バキッと折れちゃってます)

その杉の根本(ねもと)には、
いつもひっそりと、お供えがしてあります。

実は、この腰掛け杉の近辺で、
ハイカーによる「天狗さん、目撃情報」が、絶えないんです。
曰く「突然、ものすごい突風が吹いて、上見たら、いた」

ひそかに、とても楽しみにしてるんですが、
私は、まだ遭遇したことがありません。

見かけた方は、あまり大騒ぎにせず、
伝承に託して、また、
静かに後世に伝えてほしいなと思ったりしています。

桜のこと⑮

2013-04-15 22:30:02 | 
<天狗さん、豆知識その4>

その他に、変わったところでは、天狗さんというのは、
・日本に漂着した、西洋の人の喩え
なのではないかという説もあります。

根拠は、
天狗さんの赤ら顔や、あの高い鼻が、
西洋系の人の風貌のデフォルメそのものだから。

難破船なんかで漂着した西洋系の人がいきなり現れたら、
そら、びっくりするでしょ?

山奥に隠れ住んでたのと、何かの拍子に接触したら、
そりゃあ、天狗伝説でも出来るでしょう?

大昔とて、航海技術とてあったわけで、
海流その他の影響で、流れ着き住み着いた人たちが居たにしても、
「彼らが、何者か」
推測する術のなかった古代人が、「そう」理解したのではないか

という辺りが、天狗=異人説の根拠のようです。

桜のこと⑭

2013-04-14 20:36:00 | 
結局、花月少年は、彼を探すために出家し、
諸国遍歴の旅に出ていたお父さんと無事にめぐり合い、
一緒に仏道の旅に出ます。

あの僧に会い奉るうれしさよ
→このお坊さんが、実はお父さん

今よりこのささら さっと捨てて誘うらば
あれなる御僧に 連れ参らせて仏道
連れ参らせて 仏道の修行に出づるぞ うれしかりける
出づるぞ うれしかりける 

<天狗さん 豆知識その3>
天狗さんというのは、仏教的には
・仏道の修行に失敗した、半端な人
という扱いだったりするので、

お父さんが出家までしてしまうような、
信心深い家で育った花月君には、
天狗さんに連れ歩かれるようなのは、
我慢ならなかったのかなとも思います。

桜のこと⑬

2013-04-13 21:24:26 | 
花月君は、まだ泣いてます。

富士の高嶺に上がりつつ 雲に起き伏す時もあり

→上昇気流にでも乗ったんでしょうか?
富士山の高嶺に上がって、
雲の上で寝起きしたこともあると、花月少年は、語ります。
あのね?
そうそう出来る体験じゃないんだから、花月君、楽しもうよ!

かよおに狂い巡りて 心乱るる このささら
さらさらさらさらと 吸っては謡い 舞うては数え

→いや、だから、天狗さんは、多分、
 君を自慢したかっただけなのではないかと。。。

山々峰々里々 巡り巡りて

→ね?あちこち、連れ歩いてもらったんでしょ?

<天狗さん 豆知識その2>
大天狗さんには、それぞれ名前が付いていて、
花月の謡文にも一部出てきますが、それぞれ「~坊」と言います。

愛宕山→太郎坊   鞍馬山→僧正坊   比良山→次郎坊
比叡山→法性坊   英彦山→豊前坊   筑波山→法印坊
大山→伯耆坊    葛城山→高間坊   高尾山→内供坊
富士山→太郎坊   白峰山→相模坊 

などが、有名どころの大天狗さんと、そのお山です。

桜のこと⑫

2013-04-12 21:03:19 | 
花月君の訴えは、続きます。

さて 京近き山々 さて京近き山々
→京都近辺に戻ってきてますね

愛宕の山の太郎坊 平野の峰の次郎坊
→太郎坊に会い!次郎坊に会いしてですねぇ~
良い話だと思うんですが、花月君、君、一体、何が不満?

名高き日枝の大岳に 少し心の澄みしこそ 
→日枝の大岳を見て、少し心が落ちついたようです

月の世 川の流れなれ 日頃はよそにのみ 見てややみなんと眺めしに

葛城や 高間の山 三条 大峰 釈迦の岳
→近畿近郊の有名どころの山を、全制覇!
大峰だの、釈迦岳だの、熊野古道の真髄をなす山なわけで、
そんなところを、天狗さんに連れ歩かれる。
う、うらやましい。。。。。。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
<天狗さん 豆知識その1>

天狗さんとは、何モノか?については、諸説ありますが、
修験系との関係が指摘されています。

修験系の名前のあるような大きい山には、
大天狗さんと称される天狗さんが住んでいて、
辺り一帯に、睨みを利かせていたという思想が、謡の背景にあります。

花月君は、「修験系の名前のある大きい山で、
大天狗さんと称される天狗さんが住んでいる」ような山を、
連れ歩かれています。

桜のこと⑪

2013-04-12 00:02:48 | 
取られて行きし 山々を 思いやるこそ 悲しけれ
                   (謡曲 花月より)


まず筑紫には英彦の山 深き思いをしおおじ
→九州大分県の、英彦山(ひこさん)に行った模様です。

讃岐には 松山 降り積む雪の白峰
→四国の松山にも行ってます

さて伯耆には大山 さて伯耆には大山 
→今の鳥取県の大山(だいせん)にも行ってます

丹後丹波の境なる 鬼が城と聞きしは 天狗よりも 恐ろしや
→いや、だから・・・・天狗さん、そんなに怖かった?

桜のこと⑩

2013-04-10 20:16:13 | 
取られて行きし 山々を 思いやるこそ 悲しけれ(謡曲 花月)

「天狗さんにさらわれた」という物語のスキーム自体は、
さほど珍しいものでもなく、謡曲にもあります。「花月」です。

花月少年は天狗さんにさらわれ、
あちこち連れ歩かれるようなんですが、よっぽど怖かったのでしょう。

取られて行きし 山々を 思いやるこそ 悲しけれ
→天狗さんに連れ歩かれた山々を、思い返すのも悲しい

と、訴えます。

「こんな可愛い子、捕まえた♪」と、
天狗さんは、自慢げに連れ歩いて、
仲間に見せびらかしただけなんじゃないのかと、
個人的には、思ってしまうんですけどねぇ~

花月君は、怖かったようです。

私だったら、
あちこちの大天狗さんに紹介されて歩いたら、
大喜びで、一緒に宴会騒ぎしちゃって、
「うっとおしいから、この人、帰したら!?」と、
言われそうなんですけどねぇ~


私の悪い癖で、
こういう子供を見ると、つい構ってしまいたくなるので、
(だから、家庭教師が続いているという説もありますが。。。)
しばらくの間、彼の訴えを聞いてみたいと思います。

花月君の身に、一体、何が起こったんでしょうか?

桜のこと⑨

2013-04-09 20:26:38 | 
敷島(しきしま)の 大和心を 人問はば 朝日に匂う 山桜花
                          (本居宣長)

この平田篤胤。
高校の山川の日本史教科書には

「日本古来の純粋な信仰を尊ぶ復古神道をひらき、儒教や仏教を強く排斥した」

と、あっさり書いてありますが
(詳説日本史改訂版 2011年3月1日印刷。2006年3月20日 文部科学省検定済)

はっきり言って、
相当に>変な<人でした。

例えば、
「天狗に連れられて、神仙界を訪れ、呪術修行を受けて、帰ってきた」
と称する寅吉という少年が、江戸市中に現れるのですが、
この少年を手元に引き取り、9年間も衣食住の世話をし、
少年から、異界・幽冥の世界の様子を聞き出し、
それを元に
「仙境異聞」(せんきょういぶん)と題する本を出版したりしています。

篤胤自身は、大真面目なんです。

さらには「勝五郎再生記聞」という、
要は「生まれ変わり」の考察もやっています。

ちなみに、岩波文庫に、
仙境異聞も勝五郎再生記聞も収録されています(まあ、びっくり!)