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あや乃古典教室「茜さす紫の杜」

三鷹市&武蔵野市で、大学受験専用の古文・漢文塾を開講しました。古文教師の視点から、季節のいろいろを綴ります。

蔵人①

2013-07-19 08:02:59 | 内侍&蔵人
さて、蔵人です。

日本史的には
「天皇の秘書的役割を果たした」と記述される、令外官の1つです。

役所名を、蔵人所。
蔵人所の名目上の責任者を、蔵人別当。
蔵人所の実質的な責任者を、蔵人頭(くろうどのとう)と言いました。

日本史的には、何やら格好良さげな蔵人ですが>天皇の秘書的役割
古文に残るその姿は、
「すまじきものは、宮仕え」(枕草子)を彷彿とさせます。

「風流」「もののあはれ」「雅」
そういったキーワードを纏っているから、
あるいは、纏っているように<読むべき>だと思っているから、
蔵人絡みのお話が、素敵(?)に見えるだけで、
事実だけを追っていけば、ホント、気の毒に思えて仕方がありません>蔵人。

蔵人絡みの有名どころの古文を例に取りながら、
彼らの苦労を追ってみたいと思います。

内侍⑮

2013-07-18 10:35:15 | 内侍&蔵人
「とりかへばや物語」では、
女の子として育てられた男の子が、そのまま女性として、
尚侍(ないしのかみ)として、出仕(しゅっし)します。

私は、「とりかへばや物語」を原文で読んでいないので、
内容的に、「準拠」しているかどうか、断言できないのですが、

現在、「Flowers」という漫画雑誌で、
「さいとうちほ」さんという方が、
「とりかへばや物語」の漫画バージョンを連載中です。

尚侍(ないしのかみ)として、
忙しく立ち働く彼女?彼?の姿が、描かれています。

「なるほど、仕事してるわ・・・」と、
ご確認頂ければと思います。

内侍⑭

2013-07-17 10:09:09 | 内侍&蔵人
徒然草23段に、内侍所のことが一瞬、出てきます。

(徒然草23段より)
「衰へたる末の世とはいへど、
なほ九重の神さびたる有様こと、世づかずめでたきものなれ。
~中略~
内侍所の御鈴の音は、めでたく優れなるものなりとぞ、
徳大寺太政大臣は、おほせらるる」

「宮中賢所物語」によると、今も変わらず賢所には鈴があり、
内掌典がお鈴を鳴らして、御奉仕なさっている様子が伺えます。

(宮中賢所物語より抜粋)

・御鈴はまさに内掌典の、いちばん大切な御用と教えられました。

・おめでたい時の御奉告、御記念の御時に、それぞれ内掌典が御鈴を上げさせて頂きます。

・お綱を引く手の力を徐々に抜きますと、御鈴は一斉に鳴りながら、
高い御音からだんだんとおなびきあそばしまして後、
自然に余韻のお静まりあそばしますのを、お一つとお数え申し上げます。

・御鈴の御音は、御神音でございますとのこと、教えて頂きました。

内侍⑬

2013-07-16 15:37:48 | 内侍&蔵人
明治になると、内侍司は後宮から切り離され、
役割の一つだった、
賢所での祭祀に専念する役職として、編成され直しました。

宮中祭祀を掌る掌典職(しょうてんしょく)に組み込まれた、
現在の内掌典(ないしょうてん)です。

内掌典(ないしょうてん)は、
特有の御所言葉と生活形態を今に伝えているようで、
内掌典として、
57年、宮中にお仕えした方の手記が、数年前に出版され、
その生活の一端が、明らかにされています。

「宮中賢所物語(きゅうちゅうけんしょものがたり)」という本です。

残念ながら、現在絶版なので、ご興味のある方は、
アマゾンか、近所の図書館を探してみて下さい。

なお、三鷹市では駅前図書館に1冊入っています。

内侍⑫

2013-07-15 09:21:31 | 内侍&蔵人
話を、内侍に戻します。

長官、次官が揃って、
帝の后妃に準じた扱いを受けたり、
侍妾としての性格を備え出したりしましたが、

それでも、
「後宮の事務屋さん」としての内侍司の役目は、あるわけです。
3番手の内侍が、実際の事務を切り盛りし始め、
その存在感が増してきます。

3番手の内侍は、複数存在しており、
3番手の内侍の中でも、トップに位置する内侍を、
(役職名として)匂当内侍(こうとうのないし)と呼びます。

歴史上、一番有名な匂当内侍(こうとうのないし)は
後醍醐天皇の時の、匂当内侍(こうとうのないし)かと思います。

後醍醐天皇の時の、匂当内侍は、
実在が疑われたりもしていますが、話の上では、
新田義貞に下賜され、新田義貞敗因の原因となったとも言われます。

五節の舞⑥

2013-07-15 09:20:03 | 内侍&蔵人
②男性が、衣を返してくれず、地上に留まり夫婦になる
→)その後
ある日、衣を見つけ、天女さんは衣を見つけ、天に帰ってしまう

パターンが、比較的多く見られ、
また、「夫婦となった二人の間に」子供のある無しでも、展開が分かれてきます。

子有りバージョンの場合、
その子は、「人間以外の何か」の異能を引継ぎ(発揮し)、
長じて後、その民族の伝説上の始祖や、
英雄として活躍するという説話パターンが、
多く見られます。

こうした、人間と人間以外の<何か>との婚姻に纏わる説話などを、
「異類婚姻譚(いるいこんいんたん)」と言い、
安倍晴明出生に纏わる「信太狐」なども、その好例です。

五節の舞⑤

2013-07-15 09:19:19 | 内侍&蔵人
謡曲「羽衣」では、
この「三保の松原」を舞台に、話が展開しますが、
謡曲としての脚色を除いて、伝説を記しますと

・天女が、松に羽衣を引っ掛けて水浴びをしていた
・その羽衣を、人間の男性が取ってしまった

ここまでは、共通していますが、以後、複数のパターンがあります。

①男性が、天女にあっさりと衣を返す
例)
謡曲「羽衣」は、このパターン。
羽衣を巡って、
「返せ」、「返さない」としばらく問答をし、
天女さんが「衣を返してくれたら、一曲舞ってあげる」と言う。
一度は、その気になりかけた男性(漁師)ですが、
「衣を返したら、
舞わずにそのまま天に帰ってしまうだろうから、嫌!」と拒否します。

それに対し、天女さんに
「疑いは、人間にあり。天に偽りなきものを」と言われ
<私を疑うなんて、失礼しちゃうわっ!と言っている

恥じ入った漁師が、衣を返し、以後、天女さんの舞が続きます。

五節の舞④

2013-07-15 09:18:55 | 内侍&蔵人
「天武天皇の時代に、吉野に天女が降り立った」という、
五節の舞の基になった伝説の真偽は、さておき。

天女伝説の最たるものは(天女伝説=天女が降り立った)、
「三保の松原」の羽衣伝説かと思います。

富士山文化遺産登録に際し、逆転登録で、
一躍、有名になった「三保の松原」ですが、
ここにも、天女伝説というか羽衣伝説が残っています。

まあ、「三保の松原」が、「羽衣伝説の地」として、
名前が売れているのは、
謡曲「羽衣」の影響が大きいかなとも思いますが。。

羽衣伝説自体は、日本各地に分布する説話でもあり、
また、広く東南アジアや世界各地にも、似通った説話が存在します。

五節の舞③

2013-07-15 09:18:08 | 内侍&蔵人
五節の舞の様子を詠んだ歌としては、
六歌仙の一人である僧正遍照の
「天つ風 雲の通い路 吹き閉じよ 乙女の姿 しばしとどめむ」が有名です。

天女伝説に基づく、実際の五節の舞を見つつ、
五節の舞姫を、天女に例えた歌です。

五節の舞は、基本的には、
公卿の娘から2人、
受領&殿上人の娘から2人、選ばれていたようです。

が、貴族女性が、
人前に姿を見せないようになった平安中期以降は、
公卿は実際には娘を奉仕させず、
配下の中級貴族の娘を奉仕させたようです。

是光の娘が、五節の舞姫に選出されたのも、
こうした時代背景に依拠しています。

五節の舞②

2013-07-15 09:16:43 | 内侍&蔵人
京都御所での、現行の五節の舞の様子です。
http://www.youtube.com/watch?v=ZLVYQc6khxo

木村尚三郎が『粋な時間にしひがし』の中で、
能楽を見た西洋人が、あまりに「動かない」能の動きに痺れを切らし、
「西洋人を殺そうと思ったら(発狂させようと思ったら?)
武器はいらない。能楽を見せれば良い!」と叫んだという話が載っていますが、
(手元に本がないので、記憶頼みです。詳細に齟齬のある可能性有り)
それぐらい、
この五節の舞と、現代人のペースには 「ズレ」があるように思います。

つまり、楽器特集などで、リンクで貼った説明映像なんかは、
丹念に見て頂きたいと思っているのですが、

この舞に限っては、
これが延々10分間にわたり続くことを考えると、
このペースに付き合うと、

現代人はほぼ壊滅的に寝るか、
発狂しそうになると思いますので、
「ああ、こんな感じなのね」とだけ、
さらっと見て頂ければと思います。

五節の舞①

2013-07-15 09:16:08 | 内侍&蔵人
せっかく、五節の舞が出てきたので、
少し寄り道をしようと思います。

五節の舞というのは、
天武天皇の時代に、
吉野に天女が舞い降りたという伝説に依拠した舞であり、
4人~5人の女性が舞う、舞です。

現在は、京都御所で一般公開の機会があり、
見る事も可能なようですが、ほぼ目にする機会はありません。

現行の五節の舞は「復曲舞」。
つまり、一度は絶えてしまっていましたが、
いろんな文献を付きあせた結果、
「多分、こんな感じのものだっただろう」ということで、
復活された舞なので、
平安の昔に、そっくり現行のような状況だったかどうかは、
定かではありません。

内侍⑪

2013-07-09 21:58:59 | 内侍&蔵人
そうは言っても、典侍は、
皆が皆「お妃待遇」になったわけでもないようです。
あくまでも、人によりけりだったのでしょう。

例えば、同じく源氏物語に出てくる源典侍(げんのないしのすけ)なんぞは、
どう読んでも、帝と関係があったようにも思えません。

しかし、同じ源氏物語で、
惟光の娘が、五節の舞姫に選ばれましたが、
その姿を見て、夕霧は一目ぼれしてしまいます。
「典侍に上げるつもりがある」ことを聞き、慌てます。

これなんぞは、「何に」慌てたか、ですが、
単に「女官として出仕する」だけでなく、
帝に持っていかれる(=天皇の侍妾)ことを恐れた節が伺われます。

内侍⑩

2013-07-09 21:58:35 | 内侍&蔵人
内侍司の次官である典侍(ないしのすけ)に関しては、
「讃岐典侍日記」が有名ですね。

この人なんかは、
「内侍所の次官で讃岐と呼ばれた」ということが
「讃岐典侍」という日記の呼称からだけでもわかります。

また日記の内容から
「内侍所の次官の典侍(ないしのすけ)も、
天皇の侍妾としての性格を備えている」時代だっただろう、
ということもわかります。

内侍⑨

2013-07-08 00:45:54 | 内侍&蔵人
「尚侍(ないしのかみ)が、
帝の后妃に準ずる扱いを受けるようになってきた」
時代背景があっただろうとは思うものの、
朧月夜の尚侍としての出仕。
これなんぞ、ウルトラC級の裏技だったろうと思います。
朧月夜の父、右大臣も、
よくぞまあ、考え付いたもんだと思います。

つまり
「あからさまに、女御=お妃」として、
入内させるわけにはいかないけれど
(源氏との関係が公になりすぎてる)

「尚侍(ないしのかみ)として後宮に入る」
<あくまで女官であり、この人は仕事をしている
<あとは「帝と二人のご自由に」
というのは、表向きは口実が立つわけです。

またこの当時、
既に「尚侍がお妃待遇になりうる」時代であった、
ということも示唆しています。

内侍⑧

2013-07-08 00:45:28 | 内侍&蔵人
例えば、内侍司の長官である尚侍(ないしのかみ)。
その好例が、源氏の朧月夜の件。

源氏物語で、
朱雀帝に女御として入内することが、ほぼ本決まりだったのに、
源氏と密通し、それがバレた為に、
朧月夜の君は、
「女御としてではなく、尚侍として」、入内し、
朱雀帝の寵愛を得ます。

これなんぞは、
「尚侍(ないしのかみ)が、
帝の后妃に準ずる扱いを受けるようになってきた」ことを知らないと、
全く意味不明の話かと思います。