待望の皇子-後一条天皇-

2014-08-28 21:57:07 | 歴史あるトコ-京都

第66代 一条天皇の第2皇子として誕生した敦成(あつひら)親王


時の権力者・藤原道長の外孫で、

藤原一族栄華の初花です。

 

時の天皇、第65代 三条天皇は道長の次女・妍子が入内、中宮となりますが、

皇子には恵まれず、さらに東宮時代からの女御・娍子を皇后に立后させたことなど、

道長と天皇は不仲でした。

 

そんな中、天皇が眼病を患い、道長は譲位を進めます。

1016年、三条天皇は第1皇子・敦明親王の立太子を条件に、譲位。

 

8歳の幼帝、第67代 後一条天皇が即位します。

 

1018年、天皇の元服を待っていたかのように、叔母で道長の三女・威子が入内。

9歳年上の妃でした。

摂政となった道長の権勢はすさまじく、

道長が亡くなった後も、後宮に他の妃が入ることはありませんでした。 

 

そのため、天皇の子女は、章子内親王馨子内親王の二人のみ。

 

 1036年、突然の崩御。わずか29歳でした。

 

 

墓所は京都市左京区にある菩提樹院陵が治定されています。

 

同域内に娘である後冷泉天皇中宮・章子内親王も葬られています。


幼くして両親を亡くした章子内親王。

祖母である上東門院彰子に育てられたと言います。

 

この奥に生垣に囲まれている部分があるから・・・・

そこが中宮の陵墓かな?(憶測・・・)

 

 

父娘、仲良く眠っている陵墓です。

 

 

 

一度、行ってみて

京都市左京区  菩提樹院陵





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